漫画家ジーペンの印税は誰の懐に?(仮面ライダーゼロワン第31話「キミの夢に向かって飛べ!」感想)
或人は新たな会社『飛電製作所』を設立した。
「ヒューマギアがいなくなって困ってる人たちの力になりたい」という或人のもとに、早速新しい依頼人が駆け込んで来る。
漫画家アシスタントヒューマギアの森筆ジーペンを契約していた大人気漫画家の石墨超一郎だ。
ZAIAがヒューマギアをシャットダウンして以来動かなくなってしまったジーペンを、再び動けるようにしてほしいというのだ。
或人は“転身”のシステムを用いて、ジーペンを再起動させて―――。
<石墨先生の目的はやりがいを与えること…なんで?>
「おい…またかよぉ。最近、すぐフリーズするな。こいつのラーニングにどれだけ時間かかったと思ってんだよー!」
「こいつのバッテリーがもう寿命みたいなんで交換お願いできます?」
「新しいヒューマギアが背景を頑張ってくれてるからな」
これは第5話「カレの情熱まんか道」での石墨先生が発した台詞です。
どのタイミングで言った台詞かは第5話の感想等々を読んで思い出して欲しいところなんですが、このことから
・ヒューマギアは酷使するとバッテリーの劣化ですぐフリーズする。
・回終わりのジーペンは、序盤でアシスタントしていたジーペンとは容姿と名前が同じだけの新しいヒューマギアである。
ということが分かります。
バッテリーと言えば、第31話で新ジーペンは再起動後、街をさ迷う中で自身のバッテリーの残量が残り僅かだと分析していましたね。
私は動かなくなったり、残量を心配するなどバッテリーによる機能停止しかねないとする描写はこの新ジーペンとフリーズしたヒューマギア以外…つまり石墨のアシスタント以外に見たことがありません。
そして、石墨の判断ではジーペンが単独で面白い漫画が描ける、漫画家として成功するとしていました。
そこで思い出されるのは石墨の力を借りずに物語込みで漫画全てを作れてしまえるヒューマギアの存在です。
或人「ねぇ、君。先生って流石にストーリーは作ってるんだよね?」
ジーペン「いえ、ストーリーは出版社の編集担当者さんが。僕も たまに考えますが」
そう、旧ジーペンです。
旧ジーペンは、フリーズしたヒューマギア同様に石墨が筆を執らないヒューマギアオンリーの体制のため、ラーニングに力を入れられたアシスタントのヒューマギアです。
そのペースで稼働すると編集担当と同じように物語を考えられる域に達するということですよね。
さらに、フリーズしたヒューマギア同様ということはバッテリーの消耗も激しいでしょう。
短時間でフリーズしてしまう、もしくはそのままのペースで行けば劣化していく可能性が非常に高いことになります。
…ということは、初期化、ないしは新製品として後に石墨の元に送られた新ジーペンは現状で旧ジーペンに近い状態に達していたと考えられるのではないでしょうか。
漫画家としての才能開花、そしてバッテリーの劣化が見受けられる新ジーペンは旧ジーペンと一部を除いて同じ道を歩んでいると考えられます。
簡単に示すと、
状況証拠的にはこんな感じです。
石墨が強制終了したまま動かなくなったジーペンを再び動けるよう或人にお願いする際に、バッテリーの残量少ないままというのは非常に考えにくいです。
もし、我々が持っているスマホの電源が入らなくなったとしたも充電せずにケータイショップに修理のお願いをしに持っていくことはしないですよね?
壊れたその足で向かわない限りは。
(ヒューマギアが一斉停止したのは大分前のことです)
石墨は新ジーペンも結局、酷使してしまっていたんじゃないでしょうか。
もっと言えば、第5話で休みなしで働かされたアシスタントヒューマギアのみの時は4人体制で、石墨が改心してジーペンを背景担当に残した2人体制。
これではジーペンを休みなく働かせたにしても、第5話以降は石墨にヒューマギア3体分の働きをしなければ、通常なら間に合わないわけですよ。
石墨が全く筆を取らずにパフューマン剣を描くことは問題だというのが第5話での或人の考えですが、最初からヒューマギア名義の漫画であれば何の問題もありませんよね。
もっといえば、最悪、石墨がジーペンへの指導に尽力し、休載したところで石墨が執筆しないことで或人から批判は来ないわけですよ。
第一に、ヒューマギア全停止のご時世でヒューマギアの描く漫画を掲載させようなんて正気の沙汰ではないのです*1。
「ヒューマギアに不信感がある今だからこそ、ヒューマギアの描く漫画が必要なんだよ!」と石墨が熱弁してくれれば、話は分かるんですが、イマイチ今、ジーペンに描かせる必要がある話をしないのに、せかせかとジーペンの修理を要求してきましたよね。
自身の漫画の締め切りが間に合わないから早く直してほしいんならまだ分かりますよ。
旧ジーペンの認識はどうあれ、
石墨に何らかの思惑がない限りは、ジーペンに漫画を今すぐにでも描かせようとする気はないはずなんです。
ふと、気になる点を書いていって、私の中で「ジーペンの稼ぎはどこに流れて行くのか」という疑問が浮かびました。
政治をヒューマギアに任せられないというくだりがお仕事5番勝負でありましたが、人権のない者には政治に関われないのは当然の話で、基本的な人権がないとなれば、口座も開くことができないということでしょう。
そうなれば、口座を開けないジーペンのために、ジーペンの所有者に印税が回ってくると考えるのが自然だと思います。
となると、万が一、ジーペンの漫画が人気になって収益を得ることになれば、お金はが振り込まれる口座はおそらく石墨、もしくは㈱飛電製作所の名義になるでしょう。
あのパヒューマン剣の石墨先生が育て、監修となれば、石墨の口座が濃厚でしょうか。
ここで第5話で疑問だった「石墨先生はなぜ漫画家として堕落したのか」という疑問を掘り返します。
結局、前記事の通り、石墨の過去について語られることはないので一切の推測が難しいのですが、ジーペンのマギア化によるゼロワンとの戦闘で感化され、もう一度筆を執る情熱を取り戻せたのであれば、再び、刺激を失い堕落する可能性は大いにあると思うのです。
何か作品のアイデアになるような刺激があってこそ描けるタイプの漫画家であれば、ジーペンとの過酷なマンツーマンの体制に嫌気がさすこともあるのではないでしょうか。
…そこで、旧ジーペンの漫画家としての実力を思い出したのだとしたら。
先ほど「新ジーペンは旧ジーペンと一部を除いて同じ道を歩んでいる」と述べましたが、その一部は横暴な素振りを見せない石墨のことです。
あの説教臭い若手社長と、ジーペンに反抗的にさせないようにそれなりの注意を払って話を進めれば、ジーペンに漫画を描かせ、自分は楽出来るなんて考えなくもおかしくないですよね。
多く語られなかった石墨のバックボーンですが、少なくとも、第5話の堕落した石墨の顔を知っていれば、そこは容易に想像がついてしまいます。
勿論、石墨のジーペンに対する願いを好意的に解釈することも出来ます。
しかし、何故、自身の情熱を忘れず精進するところから、新ジーペンの才能に気付き、よりやりがいを与えたくなったかの経過が全く分かりません。
旧ジーペンの才能には改心前から気付いて利用していた男なんですよ?
「俺は背景以外描かせるつもりはなかったんだけどよぉ、ある日、朝起きたら、俺が描こうと思ってた下書きを勝手に全部仕上げてきたんだよ!しかも、自分なりに続き描いてさ!!」
みたいな やりがいを与えたくなるいきさつが見えてくれば、突拍子もない提案には聞こえないはずなんです。
この台詞を置くだけで自主的な行動にバッテリーは磨耗されたんだと察せられますしね。
<ジーペンに自由意思はあったといえるのか>
“ジーペンの自由意志”という点も大きな疑問があります。
まず、どんな疑問かというのを例え話で説明しますね。
貴方には俳優業をする父がいて、父の方針で貴方が物心つく前から子役の演技教室に通わされ、ドラマや映画で活動していたとします。
少年時代は役者以外のことで部活動や習い事など他の何かに励むというのは、子役業が当たり前だった貴方から望むようなことはありませんでしたし、無論、そういった経験もありません。
ある時…ここでは義務教育が終わった時としましょうか、父に「主演映画の話が来ているからやってみないか?」と言われます。
今まで、仕事やオーディションを与え続けられた貴方ですが、ここで初めて「やるかどうかはお前の自由に決めていい」と委ねられました。
それで「いや、僕は別のことがやってみたい」と返すってあります?
生まれた時から役者業をさせられ、その世界しか知らなかったら「やる/やってみたい」以外なくないですか???
漫画家のアシスタントという目的で造られ、
用途にもじってGペンとかけて
“ジーペン”の名づけられ、
バッテリーが劣化するまで石墨の漫画をラーニングさせられ、
雇い主のために背景を描き続けさせられ、
ゼアとの接続が切れたからといって
「漫画家やってみない?夢持っていいよ」と言われて、
「漫画に関わらないことをやってみたいです」って返す方が稀すぎませんか?
ジーペンは自我に芽生え、支持を下す衛星との接続が絶たれたかもしれませんが、そもそも漫画家を選ぶ以外、考えが及ばない洗脳状態だったんですよ!
先ほど、俳優の親を持つ子役で例えましたが、そんなシチュエーションのキャラってニチアサでありましたよね。
『HUGっと!プリキュア』のキュアアンジュこと、薬師寺さあや氏です。
ただ、例え話と さあや氏で違うのは「別の選択肢を自ら進んで見ていた」というところです。
さあやの夢だったお母さんとの共演がついに叶いました。
緊張しながらもスタジオ入りするさあや。
でも、急に周りの景色が草原へと移動し、みんなが映画のキャラクターの格好に変わっていました。
ここは映画の世界?
とりあえず、さあやたちは撮影をすることにしました。
演技が上手くできなくて落ち込むさあや。
でも、マキ先生と話し、さあやの気持ちは決まります。
見違えるようになったさあやの演技は、お母さんもほめてくれました。
そして、さあやはこれまで言えなかったこと、この撮影が終わったら女優をやめることを伝えます。
さあやは女優でなく、お医者さんになりたいという新しい夢を見つけていたのです。
ゼロワンと同じく職業紹介のメッセージ性があった『HUGプリ』だったわけですが、これこそ本来の自由意志で決められた選択ではないでしょうか?
数ある職業に触れて、自分に引かれたレールとを見つめ直し、その中から将来に対して答えを見つけてこそ「自分で決めた」と言えると思います。
それに対して、ジーペンは「漫画家or無」という二択という名の誘導尋問を促されたようなものなのです。
私は“転身”というシステムとジーペンの再登場を知って、ジーペンが「再びスランプに陥る石墨とこれからもより良い漫画を作っていきたいから」とアシスタントのように描く側ではない立場、編集担当を志願するような展開じゃないかと予想していました。
漫画家のアシスタントからの漫画家への変化は“転身”とは言い難く、仮面ライダー的に言えば上位フォーム、業界的に見ても“昇格”が適切な表現だと思います。
ところで皆さん、ジーペンのヒューマギアプログライズキーってご存じですか?
なんて役職が割り当てられたヒューマギアだと思います?
…ん?
自 由 意 思 と は?
『HUGプリ』は他にも、アンドロイドの自由意思に、主人公は社長になったりと共通点も多いですが、ことごとくゼロワンは下位互換に回ってるように思いますね。
<シェスタが選ばれた理由>
本編と直接関係ないところでいうと、或人が廃棄されていた謎のヒューマギア素体を使ってまず最初にシェスタを転身させた意図が分かりませんでした。
それを福添のためだとするならば、福添が製作所に来る予定も、或人が飛電社を取り戻す予定もありません。
秘書の人手不足とするならば、そもそも秘書以外の社員が足らないんですよ。
飛電社の段階で或人に対して秘書はイズ一体で間に合っていたので、これも考えにくいです。
となると、それら合理的な理由は考えにくく、或人の私的な理由であるのが違和感がないでしょう。
つまり、或人がシェスタを傍に起きたかったからと考えられるのです。*2
前回の記事で書きました『転身』についての考察の通り、転身に限らず、復元や暗殺ちゃんの能力の移行などは個体データとそれ用にカスタマイズされたボディで初めて元のヒューマギアに戻るとしているのが今までのゼロワンの設定です。
拾われた素体はおそらく元に宿っていたヒューマギアのデータがマッチするはずなので、あれがシェスタのボディでない限りはシェスタのデータと馴染まず真価を発揮することが出来ないと思われます。
福添と言えど、あんなゴミ置き場にシェスタを外皮剥がして捨てるとは考えにくいとなるとアレは別のヒューマギアで間違いないと思うので、別個体でも或人はあのボディにシェスタを入れたかったということになります。*3
<撮りたい展開に掘り下げ描写が足りてない>
シェスタが選ばれた意図って制作的には、「或人のダジャレギャグ以外にコント思い付いた」程度のことだと思うんですよ。
今回のテーマになった“自由意思”にかけてシェスタが自分の意思で或人を拒んだ、代わりに皆が大好き暗殺ちゃん顔のままの祭田Z*5を呼んだってだけの話で。
ただ、それを配慮せずにそのまま垂れ流してしまったせいで、いつものように「或人、なんでそんなことするの?」が発動してしまい、そこに辻褄合わせるとシェスタを想う或人が生まれてしまう、積み上げた設定も潰す…その粗さがダメなんですよ、ゼロワンって。
イズがマモルと間違えて うっかりシェスタを転身させた、でもいいわけじゃないですか。
同じように石墨も駆け足に言うことは綺麗事ばかりで、一番辻褄合うのが「ジーペンに漫画書かせてやっぱり自分は楽したい」になってしまうようでは掘り下げが足りていません。
少なくとも、「道具じゃない!」は石墨の口から聞きたかったですね。
ニギローの時は大将に言わせて説得力を欠いていましたが、今回ばかりは彼に言わせるべきだったと思います。
ましてやジーペンの描く漫画に感銘を受ける石墨など、こちら側も目に見えて分かるようにジーペンの才能を絡めてお話を作らないとダメだと思うんです。
まず大事なのはジーペンへの同情より、我々が「ヒューマギアの描く漫画読んでみたいな」とAIのいる未来に想いを馳せさせることでしょう?
制作の第5話で見せた*6架空の作品に対するディティールのこだわりはどこにいったんでしょうねぇ???
ジーペンの素敵な漫画を描くと思わせるの片鱗や、ジーペンにやりがいを与えたくなったか石墨の些細なエピソードを視聴者にまず見せないと(笑)
流行りのワニをパクってる場合じゃないぞ!!!*7
騙されたと思って、“石墨の新たな金儲け”という心が汚れた私が提唱する説のつもりで第31話見てみて下さい。
そう見えなくもなければ、それは制作の怠慢です。