デルモの夢っていうのは呪いと同じなんだよ…制作は叶えさせる気がないからな!(仮面ライダーゼロワン第32話「ワタシのプライド!夢のランウェイ」感想)
まず、前回の記事で“石墨が金儲けにジーペンを再活用しようとした説”を掲げさせていただいたのですが、もっと恐ろしい説が浮かんでしまったので、第32話の感想よりも先にそちらを補足させていただければと思います。
『DRILL&WEST』
ジーペンデビュー作『DRILL&WEST』の制作過程について少し触れたいと思います。
こちらの作品、もともと原作があったわけでは勿論ございません。
実は同志であるAP湊がベースを考え、武藤聖馬さんにブラッシュアップしてもらった力作です。
湊が考えた企画書がコチラ!
【あらすじ】
西部開拓時代のようなファンタジー世界。
貧しい少年「カイド」は金を求めて地下を掘り続ける生活をしていた。
ある日、偶然掘り当てたのは「ドリル状の貝殻の化石」。
突然現れたモグラ獣人の男「ドリュー」に『選ばれし男よ、東に進め。そこにはお前のための宝“ゴルド”がある』と告げられ、意を決し東へ向かうカイド。
しかし、カイドのドリルを狙う悪党が現れる。
そのボスは虎の獣人『フレイム』。
カイドのピンチに偶然ドリルが手に触れると、大きなドリルが武器となり右手に装備された。
戦いに勝利するカイド。
フレイムから助け出した無表情の少女『アイエス』と共に東を目指す。
“ゴルド”とは何なのか?彼らはゴルドを手にすることができるのか?【キャラクター】
カイド:イケメンな主人公。ビカリアマギアのドリルイメージが入る
アイエス:ボロボロの服を着ていて、無表情。おかっぱ髪。モデルはイズ
これはジーペンが漫画家となり描いていた作品のプロダクションノートになるわけですが、本来、漫画家の思想や願望が作品に投影されるというのがゼロワン本編での解釈になるので非常に危険なジーペンの深層心理が見えてきますよね。
ゴルドというのは自分のための宝、漫画、もしくら漫画家という称号でしょうか。
ドリル型の貝殻の化石を掴み転機が訪れる主人公…これは第5話のジーペンです。
貝殻の化石、右腕のドリルはプロダクションノートの通り、絶滅種がモチーフのビカリアマギアでしょう。
アイエスはこちらも説明の通り、イズですね。
そして何より、悪党が虎の獣人『フレイム』、つまり「フレイミングタイガー=飛電或人」であることが問題です。
私の中で新ジーペンはバックアップを活かし復元されるヒューマギアの中で特例的に旧ジーペンの記憶を引き継いでいないものと解釈していました。
というのも、状況描写的にも初期化されていたというのもあるのですが、旧ジーペン時代に石墨のヒューマギアに対する乱暴な扱いに反抗的な態度を取っていたシーンがあるので、記憶を残すのは非常に危険だと感じていたからです。
実際、出入りしていたアシスタントヒューマギアの中でジーペンを選び直すには贖罪の意味合いにしてもリスクがあるように思います。
後出しですが、一定の不満を超えれば、アークの介在なしにも人間に牙を向けることはMCチェケラで証明されてしまいましたし、悲しくも不要な過去であれば残す必要がないと或人も判断すると思うはず。
しかし、この「ビカリアがタイガーと戦う」記憶は間違いなく、破壊される前のジーペンの記憶からインスパイアされたものであり、意図的なのか消し切れていないのかはともかく新ジーペンの中に残留しているのは間違いありません。
記憶の断片を書き起こしているだけならいいのですが、そこにジーペンの欲望が乗っていることが問題です。
少なくとも
・『ゴルド』のような自分のための何かを求め、
・『アイエス(イズ)』を開放し、新天地へ、
・『悪しき虎(或人)』を倒すイケメンに美化された自分は向かう。
意識していたのか無意識化のことかは断言できませんが、この辺りを夢見ていたのは間違いなさそうです。
例えばこれが金色の獣人であれば、敵をサウザーとし、アイエスと共にいるカイドは或人を憧れとしてジーペンが描いたことになるんですが、何故か願望がねじれているかのように描かれてしまっていますよね。
彼は或人に漫画家という一本道の選択肢を与えられ戸惑っていたようですが、語られることのない 選ばなかった他の夢があるとすれば、炎虎の仲間であるところの人類に反旗を翻し、イズを略奪、新しい自分になる未来だったのかもしれませんね…超怖いっ*1。
或人が作った『飛電製作所』は、ヒューマギアを失って困っている人たちをサポートするための会社になった。
今回のお客様は、ファッションショーを開催するために、モデルたちのキャスティングを担当する男性。
なんでもカリスマ的な人気を誇っていたモデルヒューマギア・デルモがZAIAによるヒューマギアのサービス停止で回収されてしまったのだという。
ところが、ファッションショーを成功させるためには、デルモの存在が欠かせない。
そこで、或人はデータを使ってデルモを復元させる。
ところが、そんな飛電製作所に早くもZAIAの魔の手が伸びて―――。
替えが利いてしまったデルモの夢
デルモの夢は「東京ファッションコレクションのランウェイを今年も歩く」というハードル低めに設定された容易な夢でしたが、制作の狙いにより意図して本人に叶えさせなかったように感じました。
夢を叶えさせなかった大きな理由は、或人とイズの二人がランウェイを歩いてる画がほしかったからだと考えられます。
作品の外では実際のTGCに現行仮面ライダーの主人公とヒロインの役者がランウェイを歩いたことで話題になりましたが、今回の目玉こそ このTGCとのコラボであり、作品内外の光景をリンクさせバスる上でも欲しいのはランウェイでのゼロワンツーショットなんです。
このコラボに対する各ニュースサイトの盛り上げ方を思い出すに用意周到に作られた回であると思います。
そこにゲストキャラであるデルモがいてはノイズになってしまうので、二人が歩いている中にランウェイに上がらせないことがお話上で必要になってきます。
デルモは途中、足を負傷してしまいました。
お察しのことと思いますが、これはお話上、歩かせないために生み出された展開です。
例によって、いつもの“ヒューマギアを守りきれない或人たち”が発動したことになるわけですが、それではせっかく転身してまで蘇ったデルモがあんまりです。
そこで「ランウェイの音が好き」という設定が存在すれば、イズがランウェイの音を転送することでデルモの救済*2を作れるんですよね。
さらに言えば、この設定を付与することでイズたちがランウェイを歩くこととデルモがランウェイを歩かないことを両立させられる…これが書き手の策だったんだと思います。
書き手の策と言えば、テレ朝の公式HPで「デルモの夢を代わりに叶えるため、或人とイズはランウェイを歩きヒューマギアの存在をアピール。」とストーリー紹介をしていたことが引っ掛かりました。
…デルモ自身ではなくヒューマギア全体の存在アピールがデルモの夢でしたっけ?依頼は???
見返すのも恐ろしいですが、本編の会話内容を振り替えってみましょうか。
古澤「今、デルモのファンが悲しみに暮れています。キャスティングをする者としてこんなに悲しいことはありません。なんとかデルモを出演させたいんです!」
或人「分かりました。古澤さん、お手伝いします!」
イズ「或人社長、大きなイベントに出ることが発表されたら、ZAIAが黙っていません。」
或人「いや、それでもやってもらう。むしろ、ヒューマギアの存在をアピール出来る良いチャンスだよ!」
<シーン飛ばして>
デルモ「私の夢は東京ファッションコレクションでのランウェイを今年も歩くこと。そして私自身を表現する!」
或人「素晴らしい夢だね、うん。でも、もう一度デルモの意思を確認しておきたい。今、ファッションショーみたいな晴れ舞台にヒューマギアが出たら、また危険な目に合うかも知れない。」
デルモ「私たちがリコールされてるからでしょ?」
或人「うん…。それでもいいかい?」
デルモ「もちろん!私がヒューマギアのプライドを見せれば、人間も私たちの価値を見直してくれるはず。」
或人「ありがとう。」
…ん、ありがとう???
危険な目に遭うことへの同意とリスクに対するリターンの意見に「ありがとう」と言いましたよね、或人。
こういう時はまずどちらも「俺たちが守るから安心して」ですよね?
というか、ゼロワンにより読解力を衰えさせられていない皆さんなら、この会話劇が微妙に食い違っているのは太字にしなくとも、もうお気付きですよね?
(先日の読解力テスト記事は誤字脱字が多く申し訳ありませんでした)
そうです、依頼「デルモの出演」を「ヒューマギアの出演」へとピントをボカし、「ヒューマギアのプライドを見せつける」というデルモの高い志は広い範囲でデルモの夢に含まれたと拡大解釈が或人(書き手)の中で行われていたんです。
「ありがとう」のくだりなんて文字面だけで見たらランウェイを歩かせない同意を取った詐欺師みたいですよ。
しかし、依頼はあくまで「ファッションショーへデルモの出演」、デルモの夢は「今年のランウェイを歩くこと」なのは確認できましたよね!
ここにも書き手のデルモをファッションショーで歩かせない狙い…というより言い逃れと呼ぶべき予防線がロジカル*3に残されていたというわけなんです。
デルモのプライドとやらはどこへやら。
ところで、現段階でゼロワンで夢を叶えてしまったキャラがいないことにお気付きでしょうか。
お仕事勝負での勝利や仕事における眼下の目標を完遂することは多々ありましたが、夢のように語られたことは未だ叶った試しがないように思います。(捉え方次第というのもあると思いますが)
園長にとって夢だったくすくすランドは壊され、良い調子だったニギローは経験がリセットし、多澤の願いであったセイネの最終オーディションはセイネごと立ち消え、コービーは夢見たチームの勝利を見れないままです。
ジーペンは与えられた一択を選び、それを自身の夢と誘導させられましたが、本編中で真の意味で漫画家になった証となるデビューには至っていませんよね?
(そもそも二階堂にZAIAスペックを垓が回すメリットや勝負外でマッチを襲わせる理由がないなど色々と辻褄が合わない回ではあるのですが)
推測なのですが、ゼロワンを作る上でメインキャラの夢を叶えさせることをメインディッシュとしているため、ゲストキャラの夢を易々と叶えてしまうことを本編で渋っているのではないでしょうか。
或人の夢については1話前半の段階で軽く「笑いを取ること」だと話しましたが、「こういう笑いを取り方もあるのか」と回の終わりにお笑い芸人からのシフトチェンジを示唆し、曖昧ですが今は「人とヒューマギアが笑い合える未来が来ること」に落ち着いたように思います。
このような漠然とでも夢を語れているのは現状で或人と迅ぐらいなもんで、イズは冬映画で或人の夢見届けることだと語られ、滅は自らの意思で夢を持たない未だアークの傀儡、垓は夢ではなく計画、不破(&亡)と刃は夢は見つけていないですから、第32話までを見るにメインどころが夢を叶えるのはまだまだ先のようです。
まだメインキャラの夢が叶えさせる土壌が作られてすらいないのに、ゲストキャラが夢を叶えて心からのハッピーエンドを迎えてしまってはまだまだリコールなどヒューマギアに風当たりが強い過酷なゼロワン世界と温度差が生まれて、結局は手放しで喜べませんよね。
力を入れて描きたいのは当たり前ですが本筋だとすれば、ゲストに感動的な夢の成就させてはメインキャラで撃つ弾数が少なくなってしまいます。
今回のゲストであるデルモの夢は職業における眼下の目標レベルで叶いやすそうなものでしたが、夢として語ってしまっては成就するわけにいかない…いやむしろ、デルモに歩かせる気がないから“夢”として語らせた、それがゼロワンという作品なのではないでしょうか。
ここで思い出して欲しいのは、社訓であり其雄ヒューマギアの遺言である「夢に向かって飛べ」という言葉です。
以前、別記事でも述べましたが、ゼロワンという作品は、夢を叶えることではなく、夢を見続けることに意義をどうやら見出だしているようですよね。
夢に「Land(着地)」するのではなく、「Jump(飛翔)」することを重きを置いているということです。
となれば、デルモが今年ランウェイを歩いてしまうことは飛電製作所の社訓にも沿わないわけなんです(笑)
大事なのは何より「歩くことを目指す」ことなんでしょう。
デルモがここで夢を叶えてしまうと“Jump”ではなくなってしまいますからね、今回の悔しさをバネにもう一度「夢に向かって飛べ」、としたいんだと思います。
くすくすランド再建に努め、二ギローは任されるように再訓練に励み、亡き娘を諦めて声優事務所立て直し、バスケ部員とともに日々練習、これこそがゼロワンの美学!
近未来のお話でもありますから、幼い子供にメッセージとして先が長い話になってしまうため、「夢を掴め」とするより、「夢に向かって飛べ」と未来を見据えたようなメッセージが適切と考えたのかもしれません。
しかし、その独りよがりな教えのためにゲストキャラの目の前で手が届きそうな夢は奪っていく、とんだゼロワン教の其雄宗派ですよ。
このオカルト宗教を体現するための舞台装置、いわばヒューマギアこそが物語上の道具になり下がっているという構成です。
制作が「夢は早々簡単に叶わない、見続けることが大事なんだ」と示したいとすれば、今年の東京ファッションコレクションでランウェイをデルモが歩くのはやはり機ではなく、「シリーズが終わった来年にでも歩けばいいよ」という方針になりますね。
「夢は見るものじゃない、叶えるものだ」と歌や他作品では語られ、教えられて育った私としては、このゼロワンのスタンスに強烈な違和感を感じてしまいます。
それらの要素が相まって、デルモは或人たちの警戒が甘かったがために負傷し、バックヤードでランウェイの音を聴く展開に留まりました。
(細かい“転身”の設定の矛盾は作品に都合の良い解釈があるとして泣き寝入りしますが)デルモのために洗礼されたモデル体型なんて、回収した しがない素体でも替えが利きますし、イズがランウェイを歩いたってデルモを期待してどよめくことなく替えのヒューマギアで満足するファンばかり。
どの辺が唯一無二のカリスマモデルヒューマギアだったんでしょうか…まさか美顔器の常備してるとこ?
或人たちがレイダーの攻撃から守りきってデルモをランウェイで歩かせる展開でも、
デルモが歩いた後でも先でも或人とイズがランウェイを行く展開でも、
足を負傷したなりに松葉杖使って歩くでも、
デルモの足となって或人が119太之助のようにおんぶしてランウェイを歩く展開でも、
デルモの夢にもう少し寄り添えた展開の方が後味として良かったですよね。
しかし、それらの夢が叶う後味の良い展開は制作の意向により敢えて選ばれません。
掲げたい理想や話題作りのために、詐欺し紛いのすれ違い会話という汚い手を使ってデルモに輝かしいランウェイを見せない制作はまさにZAIAのやり口そのものという感じがします。
今回の依頼は「デルモを参加させてほしい」だったにもかかわらず、会社として依頼もろくに完遂しないで自分の発信の場にファッションショーを利用するなんて社長 飛電或人の不誠実さ、ここに極まれり!といった所感でした。
今回が単純に良い話だと思った方、実は友達から詐欺被害に遭ってたりしませんか?*4
おっさん連中が作るモデル回は美顔器や取って付けたようなイズへの声援など演出のロートル感が否めないですし、ゼアの制御なしでは自由に人の首を締め上げる方に触れる恐れもあるのに「暴走しない」と断言する或人、一度克服したはずがまた洗脳される不破と思い入れがない亡の葛藤にいくら演出を盛られても感情移入できない問題、そもそもメタルクラスタで自分の意思で戦えない展開見てんのに今更もう一回?アサルトウルフで???という批判等々、そちらは他の方の感想で書かれていそうなので割愛させて頂きます~。