誠意のない制作は次回必ずイズを壊す(仮面ライダーゼロワン第41話「ナンジ、隣人と手をとれ!」感想)
或人がイズに託した夢によって、ついに仮面ライダーゼロツーが誕生した!
ゼロツーはアークの予測を上回り、仮面ライダーアークゼロを倒した……か、に見えた。
だが、アークのデータは宇宙に浮かぶ衛星の中に存在していた。
衛星がある限り、何度でも蘇るというアーク。
そんな中、“飛電或人狙い”の計画を変更し、街のインフラ破壊をおこし始めるアーク。
ついに直接的な人類滅亡が始まった!果たして、飛電或人をはじめとした仮面ライダーたちの決断とは―――!?
- <令和発、守れないヒーロー>
- <守れない或人になってしまう理由>
- <アメコミをパクりきれない或人社長>
- <ヒューマギアに仲間意識があった滅>
- <幼い子を射ようとする迅のイミフさ>
- <どうしてもMCチェケラが邪魔>
- <滅ってそんなに強いの?>
<令和発、守れないヒーロー>
恐らく或人はイズを今回も守れないでしょう。
その根拠は或人が作品上、守れないスタンスの立場にいるからです。
事件が起きて、急行するを繰り返す方式であれば、誠意があるように見えるのですが、特に怪人が出没するパターンなども推理しないため、敵の行動を予期できたにも関わらず、放置するパターンもしばしば見られました。
ヒューマギアや人間だけでなく、変身する際に現れるライダモデルが落下し、天井や壁を壊す演出も含めると或人の目の前で結構な建造物も破壊されています。
さらには客を入れたイベントや政府がらみのイベントを自らの判断で台無しにしたり。
今までの被害を考え着くだけでも箇条書きしてみましょう。
■マギア化を許してしまったヒューマギア
マモル、ニギロー&周辺のヒューマギア、バース、Gペン、他漫画アシスタントヒューマギア、セイネ、清掃員ヒューマギア、コービー、白衣の天使まひろちゃん他飛電病院医師&看護師ヒューマギア、エンジ、来図市のヒューマギア群、サクヨ、スマイル、匠親方、ビンゴ、マッチ、エンジ(二回目)、 119之介、MCチェケラ、アーク対応に配備したヒューマギアたち(第42話?)
■守れなかった人間
医電病院の人々、医療センターの人々、撮影スタッフ、大和田伸也、来図市市民、飛電宇宙開発センターの人々
■マギア化せずとも破壊されてしまったヒューマギア
アンナ、イズ、ミドリ、デルモ(歩行不能)、イズ(第42話で通算二回目?)
■攻撃を許した建造物(或人本人が壊したものも含む)
飛電本社ロビー&吹き抜け&駐車場、石墨宅、医電病院、医療センター、来図市各建造物、スマイルの物件数棟、飛電宇宙開発センター、飛電製作所
■或人が関わって消えた企画
劇場版パフューマン剣公開ファイナルオーディション、大和田主演ヒューマギアPR撮影、実験都市計画、デルモのTFS出演
基本的に作品の造りからして或人に誠意を持たせられないんですよ、AIMSの怠慢にしてはいけません。
ダジャレはやかましい、予測予測という割に事件を未然に防ぐ気がなかったりもそうですが、物語を盛り上げるために5番勝負に負ける、ヒューマギアを破棄させる、そういう流れに頼っていれば、今回のイズも予告詐欺で終わることはないと考えられます。
話を盛り上げるためにイズは壊され、ヒューマギアのバックアップキーもあってもゼロワン世界のルールでイズの復活は難しくなってしまうのでしょう。
制作という死神にクライマックスの引き立て役としてイズは満を持して選ばれたのです。
<守れない或人になってしまう理由>
メタ的な理由は2つあると考えています。
まず1つに、先程もチラっと述べましたが、尺を稼ぐために或人が事の起きる現場に既にいるということがあると思います。
ツイッターでライダーがバイクに乗らない理由として挙げてる人もいらっゃいましたが、「既に事件の場所にいる」…言い換えると「現場に急行する」というシークエンスが省かれることになり、人を助けに行く/怪人を倒しに行くというライダーという決死の意思表示が見えにくくなってしまうのです。
ましてや、現場にいつもいる或人がヒューマギアのマギア化する原因の解明や対策をしているくだりを全く見せなかった(後に語る程度)ので、どこでも何にも注意していないように映ってしまうでしょう。
逆に遅れて登場するパターンがあった不破や刃はバンを使っていたこともあったので、怠慢という印象は薄く、常に駆けつけてくれるイメージがあったと思います。
(尺短縮のため、駆けつけるのが早すぎるイメージもありますが)
不破たちは途中まで移動手段を持つ良い例として紹介しましたが、シリーズにおいて希な存在です。
そうなると今度は移動手段を持たないキャラが脇を固めすぎているということも問題になってきます。
最近では作品内外からバイクを持たないライダーがネタにされるシリーズも多々ありますが、共に行動するにあたっていちいちサブライダーにバイクがないのでどうやって現場に行こうかという話になるのは面倒ですよね。
1回2回ぐらいならネタになるかもしれませんが、何度もバイクがない話をするようなら買っておけという話になりますから(笑)
さらに言えば、最近では非力のメインヒロインも戦闘の現場に駆けつけるシリーズも多く、イズを推し出したいという制作の狙いが序盤から見えた『ゼロワン』ではイズがアタッシュカリバーの文字通り鞄持ちとして、またプログライズキー持ちとして常に或人の傍にいたイメージです。
しかし、ご存じの通り、イズはバイクを所有していませんし、或人のバイクに乗り合わせることもしません。
となれば、或人はイズと共にこれから何かが起きうる現場に先にいる方が都合が良い、ということになってしまいます。
『仮面ライダードライブ』で、主人公のバディ役でもあったメインヒロインは移動手段に不破たちのようにバンを使っていましたが、私道しか走れないトライドロンに合わせてバンも持ってくるのは制作的に非常に面倒だったこともバンが出てこなくなった理由に繋がるかもしれません。(トライドロンの運用自体も面倒そう)
最近、久しぶりに或人がバイクに乗って話題になりましたが、やはり“急行する必要がある”と“他に移動手段を持たないキャラがいない”、この2つがセットでないとバイクに乗らない、主人公が何かを守るために一生懸命になる姿を映せないという証明になっていると思います。
(あの時はさうざーの可愛さを堪能させるためにイズが不要だった説)
昨今の仮面ライダーにありがちなメンバー構成に対して必要なのは主人公ライダー専用のバイクではなく、ヒロインやおやっさん枠を一緒に運んでしまうアジト兼 移動要塞が必要なのかも知れませんね。
…と、脱線しましたが、仮面ライダーでありながら「移動の描写に時間を割きたくない」それが或人を守れない主人公にする第一の理由、そして第二の理由は「怪人にしなければならない、壊させなければ盛り上がらない」です。
その場に居合わせ続ける或人がゼツメライザーを付けさせる前に止めれたら、レイダーの攻撃をあらかじめ止められたら、アークに接続されぬよう負の感情を抱かぬように努められたら誰も傷つきませんし、どこも壊されません。
そうなれば誰かが主催したイベントや企画も中止になりませんし、何よりヒューマギアは無事で済むのです。
…でもそしたら物語として何も起きませんよね。
だから或人は止めさせられない、ということなのです。
そうやって“止められない或人”が回を重ねる毎に蓄積され、2クール目「お仕事5番勝負」編に差し掛かります。
ある程度の知識がある大人は誰しも、こんな日曜朝の特撮に或人が勝負に負け、ヒューマギアを廃棄にさせるような展開にはヒーローものとして有り得ないと思っていたでしょう。
面白さを持たせるため、その予定調和を回避しようと打算的になれば、作り手は「或人の負け」を選ぶしかありません。
同じような考えで行けば、暗殺ちゃん戦でイズを庇えた或人にホッとした内に数話後には迅に攻撃させ意外を突かせた流れにも納得がいきます*1。
そして今度は、イズなら瀕死程度に留まるぐらいで済むだろう、万が一破壊されても転身システムあるし大丈夫だろうと腹をくくっている視聴者の意表を突くため、イズは本格的に破壊してしまう方が制作にとって作品を盛り上げるための定石になっているように感じるのです。
おそらく、イズが破壊されると今度ばかりは直せない理由に持っていって、視聴者ごと絶望させようという魂胆でしょうね。
『仮面ライダーウィザード』のメインヒロインの終盤の扱いはライダー作品において相当異例なものでしたが、晴人はそもそも人々を怪人にさせまいと日々奮闘していましたから、イズを守れなかったにしても或人と印象がだいぶ異なるのです。
まさか生温い生き死にの概念でおなじみの大森プロデューサー作品で、メインヒロインが最終回までずっと退場ということはないと思いますが、すぐにひょっこり現れるなんてことはせずに盛り上げようとする、そんな不誠実で意地の悪い展開になると思います。
<アメコミをパクりきれない或人社長>
もうイズが破壊される前提でどんどん話していきます(笑)が、アメコミにもヒロインを殺されてしまうヒーローがいます。
実写映画化されているアレのあの時のシリーズやアレがアレで有名になっているシリーズも主人公が愛したヒロインが囚われ、殺されてしまうというショッキングな展開がありました。
或人はアイアンマンやバットマンの生い立ちに似ていながらも底抜けに明るく*2したような主人公です。
何やらアイアンマンを参考にしたであろう意匠がゼロツーのデザインに紛れていたりもしますが、そんなアメコミヒーローと違って、或人はまず一般市民もろくに守れていない、守る気がないように見受けられて腹が立ってなりません。
今回のサブタイトルに“隣人”という言葉を使われていますが、同じく自身を“親愛なる隣人”と自称しているスパイダーマンは、しっかりと市民に寄り添い、映画のどこかで必ず大衆の命を救う局面が描かれるようになっているのです。
そこに*3意地の悪いヴィランがスパイダーマンのガールフレンドの命と一般市民の命とで天秤にかける、そういう究極の選択を描くから、もしどちらかを守れなくともヒーローとしての尊厳、誠実さを失うこと無く見ていられる造りになっています。
話を戻しますが、スパイダーマンは“スパイダーセンス”という事件を第六感で察知するという能力があり、そのお陰で事件が報道される前に急行出来たり、その場に起こる危険を察知して被害を最小限に留めることが出来たりするのです。
アギトのアンノウン察知能力に近いですね。
さらに基本的に単独行動なので、ビルの合間を糸を伸ばしてすり抜けていく代名詞的な様は他の登場人物のせいで描写出来ないということもないのです。
(スパイダーマンなら抱いて連れていくか安全な場所にいるよう伝えて一人でいってしまいますが)
何故、どういう経緯でイズが破壊されてしまうのかは分かりませんが、そこに或人の楽観視が生んだ原因があったり、イズを守れなかったやむを得ない事情が用意されたりしないと、或人は終盤に来ても尚、未だに“ろくに守れない或人”という不名誉な称号を背負い続けることになるやもしれません。
子供に見せてほしいのは、どんな時でも守ってくれる、勝ってくれる、子供たちの勇気になれる或人なんです。
ここが穿った見方での次回の見所になると思います。
どうしてイズは破壊されるのか、或人はどうして守れなかったのか。
<ヒューマギアに仲間意識があった滅>
今回、滅は迅を破壊しようとするアークに「ヒューマギアを滅ぼそうとする」思考であることに気づき、反旗を翻しました。
しかし滅は子である迅を助けるためにそうしたんだと思われますが、ヒューマギア全体を大事にしているように感じた描写は今までで皆無と言っていいと思います。
「友達を支配するだけじゃ人間と変わらない。
人間の支配からヒューマギアを自由にしてあげなきゃってね。
でもダメだった。
人間は、ヒューマギアを滅ぼした。
結局ヒューマギアはお前ら人間の道具だったんだ!」
これは迅が救世主()として舞い戻ってきた後、或人に語った台詞です。
迅はこの考えから滅亡迅雷.netの強制的にマギア化して支配する認識であることが分かりますが、そういう風に示されると、何らかの形でマギア化して増やした仲間と共に殴り込んでくる滅は「人類滅亡の夢のため、ヒューマギアを利用する」アークと大差ないよう映ってしまうと思うのですよね。
<幼い子を射ようとする迅のイミフさ>
滅は自身が父親型ヒューマギアであった経緯から、自身に父親型としての要素があるのかを確かめるため、公園で遊ぶ幼児に攻撃しようとします。
後に語られる滅の夢から察するに、これは視聴者が「躊躇う滅は優しいから仲間入りするのでは?」と期待を持たせて予想を外れさせる構成だったと分かります。
人類滅亡が本当に目的なのかと疑わせようとしてるんですね。
しかし、だからと言って唐突に子供を狙うのはどうなのなと。
滅の迷いを分かりやすくする演出なのかもしれませんが、確実に傍にいる保育士ヒューマギアに被害が出そうで射たなかった理由もブレますし、思い付きで通り魔手的に狙うにも子供というのは弱者を狙う犯罪者の心理と変わらずイメージも悪いので、ミスリードや善意を誘うならもっと別の良い方向にとらえられるシチュエーションを用意すべきだったと思うのです。
例えば、悪い口を利く成人男性を狙ったらその男性の子供が駆け寄ってきてやめてしまう、とか。
そうすれば、ミドリを誘拐する際に絆を見せた野菜親子の双方に乱暴を働いた滅からの変化が見られると思いますしね。
そもそも、滅は今までに人を殺めた描写があるのでしょうか?
…ないんです。
昔のライダーと違って、人が殺される描写が流せないのは分かりますが、人類滅亡を掲げるテロリストが一向に人を殺めないまま、ヒューマギアを人と同等に扱っているはずの主人公がバッタバッタとヒューマギアを破壊していくこの作品の大元の造りがダメなんだと思います。
次回、なぜその夢を抱くようになったか語られるかもしれませんが、アークを倒して結びつく結論が「俺がしたかったの人類滅亡」というのはスムーズじゃないと思います。
幼児を狙わなかったミスリードに説明もつかぬまま、思わせぶりだっただけにしかならないのはいかがなものでしょうか。
アークから学んだ人間の悪意とヒューマギアである子を想う父親ヒューマギアとしての思考が結びついたのだとしたら、もっと他の描写も必要だったんじゃありませんかね。
<どうしてもMCチェケラが邪魔>
滅はアークから人間の愚かさを学んだ、いわば養殖物の人類滅亡を訴えるAIです。
アークも垓から人間の過ちを教え込まれたのなら造り物に他なりません。
しかし、この作品でただ1つ。
いや、1人だけ自ら体験し、学び、何者にも接続すること無く、人類滅亡を訴えたAIがいるのです。
そう、それがMCチェケラです。
「何故、人類滅亡が夢に?」なんて茶々を入れられることはチェケラなら有り得ません。
「飛電或人なら…。
あいつに影響受けたヒューマギアは
アークにハッキングされない心を持ってる。
あいつなら…アークを超えられる!」
或人とも関わり、アークにハッキングされることもなく、自らの意志で人類を滅亡できる唯一無二で最凶の存在。
SNSなどではとりあえずチェケラをソースにゼロワンを叩いておけば良いという界隈の風潮は未だにあります。
とはいえ、この無視できない存在を作り出してしまったのは作り手最大のブレ、最大のミスに他ならないと思います。
作品にとって邪魔すぎますよ、MCチェケラ。
<滅ってそんなに強いの?>
もうどうでもいい疑問なのですが、初期フォームににして最強の滅が凄いみたいなSNSの論調に疑問があります。
最近のライダーバトルを見ていても、滅が強いのではなく、迅が弱くなったように感じるのです。
サウザーvsバーニング迅△(第27話)
サウザーvs滅×(第34話)
サウザーvs滅亡雷×(第37話)
アークワンvsゼロツー〇(第40話)
バーニング迅vs滅〇(第41話)
アークゼロvsゼロツー&滅〇(第41話)
滅周りの対戦結果を見るとこんな感じですね。
滅はサウザーに単体では敵いませんでしたが、バーニング迅は初戦でサウザーと互角にやり合っているのを想定すると、父親である滅相手に気後れした、もしくは滅が迅の攻撃パターンをよく理解していたと考えるべきです。
もしくはそんな風に理論建てしなくても、「次回以降、ゼロツーの敵となるのは滅だから強くしとこ」ぐらいの話かもしれませんけど。
「ノリが良い方が勝つ理論」で言えば、こんな推察自体が馬鹿馬鹿しいのですが、ゼロワンのプログライズキーの性能で戦力のシーソーゲームをしているような作品にノリを持ち出す方がそもそもナンセンスだと思いますので。
<仮面ライダーセイバー>
う~ん、設定からして面白くはなさそう!