ルナ太郎の腹筋崩壊ブログ

私は…仮面ライダーゼロワンの気になった所を大人げなく殴り書くのが仕事だから!

『リバイス』が始まる前から既にバイスがキツい話とデザストを良しとする界隈の風潮がダメな話がしたい

ご無沙汰しています。

以前、急遽、夏映画が始まる直前に『セイバー』に思うところがあり久々にアップして以来の記事、割と早めの更新ですが、その後も何かしら物申すんじゃないかと『セイバー』終了前後に足を運んでくださる方をアクセス数で知り、有難く思う限りです。

 

『リバイス』に関しては夏映画、先日の『セイバー』増刊号、各メディアで開示される事前情報にどんどんと期待できず、小言を言い続けるのはニチアサを楽しみに見始める子を持つ親としてどうなんだという思いから、ツイッターをいっそのことと辞めてしまったのですが、どうしても…吐き出せるものはどうしても出しておこうという思いから今一度更新させていただこうと思いました。

 

何か物言ってくれよと思ってくださる方には、ツイッターやめてしまって申し訳なく思っています。

 

 

で、今回の記事というのは…タイトル通りの内容です(笑)

ただ、私が『リバイス』に期待できないと思ったパイロット版や先行公開的なあくまで設定や描写から読み取れる「(仮)」の要素が強いものですので、そこから危惧すること自体が取り越し苦労であるという自覚があるのは承知の上で読んで頂ければいいと思います。

作り手がライダーお初の人もいるので過去作の失敗例を引き合いに出しても同じ轍を踏むとは限りませんし。

とにもかくにも、相変わらず長ったらしいだけの文章なので目次を見て気になるところだけでも読んでいただけたら幸いです。

 

 

 

仮面ライダーとしての良さが著しく損なわれそう

 

悪魔契約モノってさ

まず『リバイス』は、人間である五十嵐一輝が悪魔バイスと契約することで仮面ライダーリバイに変身するという、元々フォーマットが確立しつつあるようなジャンルものであり、夏映画でいわゆる先行パイロット版が公開されてから『電王』や『オーズ』、『ダブル』に似た設定だと界隈では言われていました。

そのジャンルで見た時に決定的に上手く機能しないであろう設定が既に垣間見えているように思います。

 

フォーマットが確立しつつあると述べましたが、悪魔と契約モノの定型として具体的に挙げると

 

・行きずり/利害の一致で契約する
・人ならざるもの側が人間らしくなっていく
・人間サイドの孤独が契約相手で満たされる

 

…辺りが展開として約束されているというか、このジャンルを好む人が求めうるところだと思います。

『電王』の良太郎とモモタロスや『オーズ』の映司とアンクがまさにそれで、「そもそもアンクはモモタロスのパクリ」という特ヲタの指摘を読んで笑っちゃったのですが、そういう話で言うならモモタロス自身がこの手のジャンルモノのフォーマットに沿ったキャラクターなので、モモタロスですら何かのパクリじゃないのかな、と。

『電王』の爆発的なヒットに関して作り手サイドも分析しきれていない中、ライダーの作り手は未だモモタロスの亜種を定期的に投げてヒットを狙おうとしているような気がします。

それが令和に入ってのデザストであり、今回のバイスへと繋がったんだと思うのですよ。


しかしながら『電王』の場合、型を破っていく平成ライダーの特色から、仮面ライダーと悪魔契約モノが合わさることで色濃く出た最初のシリーズであるのは間違いないと思います。

元々のライダーらしさと言うのは各々によって違うという前置きがどうしても付いてしまいますが、私の中で孤高の主人公が悪の力を正義の力に変えて戦うところであり、そこと悪魔契約モノが持つ定型の良さが見事に合致しているんです。

 

『リバイス』は同じく悪の力を変換し戦うことで上手くジャンルものとして機能するように見えるのですが、主人公の孤独感という部分は銭湯を営む一家の設定が相殺するように感じます。
恐らく、主人公以外には見えないはずのバイスが家族にも見えるようになり、人間の家族を得て人間らしくなっていくという算段なのだろうと透けて見えてきますよね。

一見幸せそうな主人公であっても心の闇はあってという展開も透けつつ、そっちの成長においてはやや置き去りになる気がしてくるんです。

企画的には主役よりもバイスが真ん中に置かれたものなんじゃないかというが見えてきます。

 

そうなると、私の思うライダーらしさの前半分が薄れ、「仮面ライダーでやる意味あるの?」が押し寄せてくるんですよね。

そうやって幸せそうな家族の子供に頼るのならば、敵に反旗を翻した体(てい)の妖精にでもして女の子と契約する『プリキュア』でいいわけじゃないですか。

この手の契約モノは元々身寄りのいない孤独な主人公か、裕福な一般家庭の主人公なら家族が皆殺しに遭うなど、悪魔と契約しておいて仲良しこよしにはならないものなのです。

 

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SFC版『女神転生

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寄生獣

 

家族団らんのところに魔界の住人(異形のモノ)が現れて、その住人とで家族の絆が深まってくるという設定、実は昔のアニメであったんですよね。

それは『ハクション大魔王』です。

 

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以下、wikipediaのあらすじ転載。

 

カンちゃんこと、与田山かんいちは屋根裏でホコリを被った壺を発見する。

壺の前でクシャミをすると、その壺の中から何とも奇妙な魔法使いのハクション大魔王が飛び出して来た。

この大魔王はクシャミをすると壺の中から呼び出され、相手がクシャミをもう一度するまでは壺には帰れない。

しかも、呼び出した者(ご主人様)の願い事を叶えなければならない。

カンちゃんは早速、願い事を叶えさせようとするが、大魔王の魔法は役立たずで何をやっても失敗ばかり。

更にあくびをすれば、大魔王の娘でお転婆なアクビも壺から飛び出して、ご主人様の言うことも聞かずにイタズラし放題。ドジな大魔王とやんちゃなアクビが、街中で大騒動を巻き起こす。

シリーズ前半では、カンちゃんは大魔王とアクビの存在を両親に隠していたが、後半では両親に受け入れられて、家族同然となる。

本編中のエピソードの大半は多少の哀感はありつつもギャグに徹していたが、最終回は一転してシリアスな展開で締めくくられる。

 

ハクション大魔王』がバトルアニメでないのは当然読めば分かることですが、ギャグありなアットホームな感動ありというところならかなり『リバイス』が重なりそうですし、作り手の世代や昨年アニメがリバイバルされた経緯を鑑みると参考にしていてもおかしくないように感じます。

だから仮面ライダーの色にはあまり向かないと思うんですよ。

先ほど申し上げたようにプリキュアがニチアサならば最適だと思います。

「今までやってなさそうだから」っていうライダーを崩す方だけに意識が向いた発想って、面白くなるんですかね?

 

 

 

第二のモモタロスを作る技量は新鋭()スタッフにある気がしない

 

デザストが許容されることはどうかと思っているというのも、モモタロスやアンクと違って、デザストは蓮と元々凸と凹の関係にないもいなければ、酷い恋愛マンガであるような余ったキャラでカップリング作ったお粗末カップリングだからです。

掘り下げる尺がないためツイッターのつぶやきでポエミーなことを言い続け絆された界隈も大概ですが、変身アイテム、変身武器、盗んだ変身武器、マフラー、技を全て形見にして、歌い手が適当ではない挿入歌、何のために始まった戦いか分からない問答にエモ演出に釣られるなんて品がなく、質より量で絆されるなんて恥ずかしいレベルとさえ思えます。

 

Twitterでの散歩写真のアップロードから始まった、草の根活動によりいつの間にか大人気キャラクターとなっていたデザスト。

 

(文責・土井 健生)

www.kamen-rider-official.com

 

 

読んでくださってる方は、モモタロスやアンクが主人公の足りない面を補っているという設計がちゃんとされた上で作られているというに気付いていらっしゃいますよね?

モモタロスは喧嘩っ早くガサツな性格で、制作からは「親戚に一人はいそうな、悪い人じゃないんだけど…なおじさん」と称されています。

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乱暴な考え方や他のイマジンにある賑やかしの要素をマッシュアップすれば、バイスに繋がる見方をすればそうなんですがけど、そもそも「おじさんっぽさ」それは両親を早くに失っている主人公から逆算して作られたものなんですよ。

それは『電王』劇場版の『俺、誕生!』で「もしもモモタロスが良太郎の親戚のおじさんだったら」が垣間見えてくるのですが、決して両親の代わりにはなれなくても前に進もうとする良太郎の背中を押す存在になれたであろう、人生における凸と凹にしっかりなっているのです。

ただ腕っぷしのない青年に力ずくで物事を解決しようとする表面的な凸と凹だけではないんですよね。

(『電王』はおやっさんポジをオーナーにしてるようで、精神的支柱はモモタロス、おじさん風キャラに支えさせたために喫茶店の店主はヒロインに片足入れたキーマンというハイブリッドな愛理さんという計算し尽くされたバランス(さらにはイマジン側にも疑似喫茶店を用意するという))

 

 

アンクも同様です。

一見ヒーローとしては欠点がなく自己犠牲の精神が確立している主人公 火野映司に対して、その異常なまでの自己犠牲の強さと対になるようにアンクはあまりにも自分勝手、利己主義なんですよ。

アンクはもちろん、契約モノの定型に乗っ取るように人間らしくなりましたが、映司も同様にアンクの介入から自己犠牲だけではイケないという精神を学んだワケです。

ただアンクを失って悲しい、長らく連れ添ったから生き返したいというだけではない、映司の成長に一役買ったからこそ大事な存在になりえたわけなんですよ。

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その点で言えば、デザストは元々は序盤の中ボスとして用意された存在であり、制作の都合による路線変更、持て余していた蓮との抱き合わせて散った、アンクになれたかのように扱われたわけですが、骨組みから順序の良さから圧倒的に劣化版なんです。

 

ライダーの数もフォームも多い今作の仮面ライダーセイバー。

制作予算にはもちろん限界があり、その中で楽しみにしてくれる皆さんへ最大限魅力的な作品を作るべく努力しているのですが、毎話1体の怪人を相手にするにはやはり…どうしても倒すべき敵怪人の数が足らない!

困った企画チームの中で生まれたアイディアが「一般のメギドよりも格上で、しかも再生能力まで持たせた中ボス的なメギドを作ろう!」というもの。

 

(文責・土井 健生)

www.kamen-rider-official.com

 

それは要所要所の演出が良かったからという見方も出来ますが、その日(回)暮らし的に演出さえ良ければ成立してしまうのならこれからの仮面ライダーの将来は危ぶまれるでしょう。

そんな出来合いのデザストを納品してドヤる制作と満足してしまう特ヲタの間では質の良いものが今後生まれてくるのか不安でしかありません。

そうなれば、モモタロスの成功にあやかって新しいものを作られたバイスに何も期待できなくなってしまいますよ。

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ダブルは悪魔契約モノじゃねえぞ

 

話を戻しまして『リバイス』の情報が解禁され、上がった意見の中で「『ダブル』と一緒じゃん」というのを見ました。

もちろん「フィリップは悪魔じゃないよ」という反論も上がっていたんですけれども、要は「悪魔契約モノは単純にバディものではない」と言うことが言いたいんです。

それはそんなつまんない所感を垂れ流した特ヲタに言いたいのではなく、制作に対して、がかなり強いです!

 

仮面ライダーダブル』は『探偵物語』をベースに作られています。

しかし、ジャンルとしては自社の人気作『相棒』のバディものが参考にされてるんですね。

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時間の波を捕まえがちなアポロガイスト3号

では、『相棒』であるならば、何故ダブルは最初から2人で2人の仮面ライダーにならないのかという話になりますよね。

それは「2人が当たり前に2人で戦うのでは面白味もなければ、ライダーらしさが薄まる」という真っ当な見方があるからですよ。

さらに言えば、変身条件の複雑さから怪人を取り逃がしたり、戦えない状況も作れるわ、ヒロインにフィリップのフォローの役回りも足せるしで作る側にも見る側にも飽きさせない話運びが付与されるわけです。

そこまでの考えが無さそうな『リバイス』に変な期待をしない方が無難なような気がするんですよね。

 

 

 

 

奇をてらったものの奇をてらって、アイデアとしてはフツーになるって何ですか?

 

そもそも悪魔契約モノが後手すぎる

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バイスが世に公表された時言われたのが、「『アラジン』のジーニーっぽい」というものです。

感情豊かに、そして捲し立てるように話す様や何か出現元に繋がってる悪魔形態を見るに恐らく一番に参考とされているものなんでしょう。

それが旬の作品なら分かりますが、『アラジン』は最近実写化されたと言っても2019年公開なんですよ。

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世の中の動きに対して周回遅れというか。

 

先程、契約モノの中でも『ハクション大魔王』を参考にしてるんじゃないかと指摘させてもらいましたけど、2020年にリバイバルされた際のハクション大魔王山寺宏一氏が担当しており、どれだけ山ちゃんの影追うの?と(笑)


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しかも、『ゼロワン』の時は山ちゃんの無駄遣いしてたじゃん、と(爆笑)

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キュウレンジャー』でバイス役の木村昴氏を変身アイテム音に起用していた『リバイス』のプロデューサーですが、再び頼ってやらせることが山ちゃんもどきというのは可哀想です。

https://twitter.com/GiantSUBAru/status/1311833600057171968?s=20

https://twitter.com/GiantSUBAru/status/1311833600057171968?s=20

https://twitter.com/GiantSUBAru/status/1311833600057171968?s=20

https://twitter.com/GiantSUBAru/status/1311833600057171968?s=20

 

 

 

今の制作は色々と足りてない気がする

「第二のモモタロス作れる新鋭スタッフはいない」の派生のお話をしていきます。

 

ギャグセンスがないのでふざけた奴らの変身するのが不安

 

絶賛してる方もたまに見られるのでセンスの問題かもしれません。

しかしながら、シリアスな展開で変身する際にギャグが挟まってシラケるという体験はビルドで経験していました。

「どうせ最強フォーム辺りで二人で一人になるんでしょ」とも言われていましたが、そうなるとチラつくのは失敗例としてクローズビルドで…。


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バディ変身ってダブル以降で上手くいっていたかな

 

合体変身があり得るか分からない中で、考えるだけ取り越し苦労の可能性はあるんですが、ダブルの合体変身以降は大した盛り上がりがないように感じています。

『ジオウ』のトリニティ(そもそもバディではなく三人ですが)は『電王』の縮小再生産なりに、物語の終盤に見せ場を作ったりと機能していたんですけど、『ドライブ』のタイプトライドロンにあったベルトさんモードは上手く活かせていなかったように思いますし、『ダブル』をプロデュースした塚田Pであっても、『フォーゼ』劇場版のフォーゼとメテオの合体フォームはキョーダインの対になるためのものでしかなく、カタルシスもなかったりと割と盛り上げりという面では苦戦しているイメージです。

 

ギャグセンスがキマってなかった(と私は思っている)クローズビルドもダブルを意識しつつ別の糸口を模索した結果の迷走のように思いますし、最終回に似た奇跡フォーム()を用意する割にロジックも大して上手くない、結局、ラビットタンクの姿に戻してしまうナンセンスを許してしまうのはいかがなものかと。

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第4の壁壊すのは配慮が必要

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アメコミ映画に感化されてとか、デップーの真似事ならセンスないからやめとけって話ですね。

 

電王ではモモタロスがやや壊しがちではあったものの、カメラ目線に留めて世界観をTV本編中に壊さなかったのは実在するものとして見せたいならば賢明な判断で、まるでサンタを信じるように見ている子供に対してのメタ発言はもっと気を遣うべきだと思うんですよ。

映画は付き合ってもらう時間が短いので多少は良いと思うのですが、一年間付き合わせて「全部、全知全能所に書かれていたことでした。作り手の苦労や思うを感じてね」をダイレクトにやるのはちょっと違うと思っていて。

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平ジェネFOは虚像云々の話があって逆にカメラ目線が効いてくる


オナラをこかれて頭抱える

 

悪魔はオナラ…すなわち硫黄の臭いがするというのは聖書によるものらしいですが、それはキリスト教の信仰者が多いアメリカのドラマ『スーパーナチュラル』やキアヌ・リーブス主演映画『コンスタンティン』が取り入れたもので、あくまでそれをさらに無宗教ながら聖書出典大好き日本の制作が真似したにすぎなく、さらにオナラの臭いと茶化してヲタクから「なるほど、上手い!」と賞賛を受けてしまう界隈があまりにも安直なように感じました。

だって、特ヲタのほとんどが心霊スポットの残り香なんて意識すらしてないで生きてるじゃないですか(笑)

LINEスタンプ風変身シークエンスもそうですが、「上手いこと言えたことに気づける俺も凄い」が言いたい界隈になってやしませんかね。

それに上手く繋げた徒労と前代未聞の斬新なアイデアかは別だと思います。

 

dot.asahi.com

悟空「魔人ブゥ…?オナラみてえな名前だな!」

 

そんな徒労に時間を費やすなら純粋な物語としての面白さの探求に時間を費やしてもらいたいものです。

 

もっと言えば、この硫黄の臭いというところからオナラで飛ぶという発想は、このご時世に幼稚が過ぎるんじゃないんですかねぇ。

周囲への飛沫を防ぐためのマスク、それを取り入れたデザインの怪人が屁こきって意味分からなくないですか?

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私自身は世代でなく、アメトーークの特集で知っている程度の知識ですが、屁で飛んで、やられて力尽きても屁をこき、それを周囲が臭がる様子は、まさに『キン肉マン』でした。

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気張って屁、羽交い絞めにされ屁で脱出をやったら黒

 

それを今のキッズに向けてやる意義はなんでしょうか。

そもそも、屁で面白がらせようとする作品ってなんなんでしょう…FUJIWARAの一兆個ギャグ持ってる人でも参考に?

誰のアイデアか分かりませんが、もし「屁=キン肉マン」という連想からアイデアを捻り出した者がいるとすれば、それはあまりにも自己満足の域のように思います。

ジニすけ@ゼンカイ脳騎空士 on Twitter: "屁で空を飛ぶってキン肉マンかww #cocotama… "

声優ネタでジャイアンが放屁で空を飛んだ回をパロったという見解もあるようですが、まあ、どちらにせよ…という感じで一度きりの描写、増刊号を撮った石田監督辺りの趣味であってほしいと願うばかりです。

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誰のための仮面ライダーなんだよってね。

 

 

 

「二人が二人に」にそこまでの金脈が見えない

 

芽依が「一人が二人になった!」と驚いて見せましたが、私たちにその衝撃は全然ありません。

おそらく増刊号まで『リバイス』の情報を入れていなくてもそうなると思います。

だって、色々やってしまった仮面ライダーにおいて取り分けおかしなことでもないじゃないですか。

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あのエグゼイドのレベルXXにも届かない絵面ですよ。

これって、要は今までの仮面ライダーにあった「二人で一人」の逆を行っただけ、「今までこんなスタートなかったでしょ?」 先行で作った構図なんですよね。

 

 

 

二人で戦うからなんなのか

 

それを証拠に1体の怪人にリバイとバイスが二人がかりで戦うことに明確な理由…例えば、同時攻撃を仕掛けなければ撃破できないなどの条件の説明は今のところされていません。

相手も似たような変身道具と怪人の発生条件なんですから、敵も敵であちらの契約者とで二人になったりすればこちらも二人で迎撃しなければならないなど、こちらとしても落としどころが見つけられるんですが…。

 

あの駄作奇作『ゼロワン』を生み出した大森Pですら3頭身のライダーを用意するだけでなく、その3頭身が必要な条件も設けて作品における3頭身ライダーの必然性を作り出しました。

それを終盤に再提示することで多くの特ヲタは容易く膝を打ったりしたみたいですし。

…ということは各々の評価は高い低いあるにせよ、『エグゼイド』アンチの方に申し上げるなら「アレ以上の期待はできない」のかもしれません。

アナザーを倒すにも条件があることを思い出せば、『ジオウ』アンチの方にも同様に…と言ったところでしょうか。

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バイスって『電王』意識から生まれたものじゃないかと散々話してきましたが、『電王』は契約モノのジャンルにさらにタイムトラベル要素も付与し、単に主人公が憑依させて倒すだけに留まらず怪人の習性にひと手間加わることで各エピソードに多様性をもたらすという、細部に渡って工夫が見受けられます。

このままとりあえずは怪人倒して終わりで行くんでしょうか、『オーズ』の敵幹部ウヴァのヤミー回しだけと考えると相当楽しませてくれなさそうですね。

 

スタンプ大喜利、硫黄の臭い大喜利はどうでもいいので、そういう工夫を見せてくださいよ!

 

 

 

夏映画の先見せとコラボ回でもう弾切れ感

 

『セイバー』実質の最終回で『リバイス』がクロスオーバーしたわけですが、強調していたバイスのノリとリバイとバイスの二人同時フォームチェンジは夏映画で先見せしたものとの違いがほぼなかったように思います。

明日始まる初回に向けての温存ということなら良いんですが、夏映画で見せたLINE画面風のスタンプCGを思い返してもまだまだ私たちが度肝を抜くような隠し球演出や設定があるとはとても思えないんですよ。

『ダブル』の先見せの夏映画では左右対象のデザインでありながら色が違うこと、フォームチェンジは両方の色が違うところだけを見せ、本編では片一方だけ色を変えられること、半身の意思決定が分かれていること、そして特異なライダーキックを見せてくれたのです。

そうやって計画性をもって制作されたシリーズは先出しする情報を温存して、小出しにしながら我々の期待値を高め、本編で新しくて楽しい映像を提供してくれるんですね。

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ギミックに勝算を感じたPと監督は初回に、さらにCM跨いで焦らしたり


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先出しする情報を計画するにも先出しのチャンスが二回もある『リバイス』には逆にお察ししたいところではありますが、特に「他に何を見せてくれるんだろう?」というワクワクは増刊号に持てませんでした。

ぶっちゃけて言えば、尺も長かったのがあると思いますが、夏映画の『リバイス』がこの作品の持つポテンシャルの全てなような気がしてきましたよ。

このその日暮らしな感じが不安にさせてくれるんですねぇ、景気良く見せてくれているとポジティブに考えてしまえばいいのかもしれませんが。

 

 

見た目と戦い方がマッチしないリバイ

 

インパクトの弾切れついでにデザインについて難癖を。

悪魔と契約したので、見た目がアメコミのスパイダーマンの宿敵ヴェノムを参考にしたかのようなデザインなのはまあいいでしょう。

じゃあ、こんなに禍々しく野性味溢れた顔立ちにするなら、そういう戦い方しろよと思うのです。

もしくはそういう性格に豹変する、とか。

 

「良い人そうな主人公が実は悪い一面も…」みたい展開があるんだろうって話は先ほどしましたが、かといって既にバイスが割と直感的な戦い方寄りであるならば、バイス人格にこそ相応しいデザインだったんじゃないのかなと。

ライダークレストがリバイの中にバイスが潜んでいるという気の利いたものであっても、既に「2人で2人」ではその要素が薄く、このデザイン性に作品そのものが追いつけるのか不安になるんですよ。

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淡いピンクとブルーのカラーリングも一見斬新に思えますが、これまた人気のアメコミキャラ、ハーレー・クィン由来のモノだとしたら、ジーニーにハクション大魔王キン肉マン、ヴェノムと節操のない造形だなと思って今します。

 

逆にバイス側は恐竜の目が猫耳に見えるようなデフォルメ化した商品展開を見越したようなデザインで、ギャップ萌えを狙うにしてもなんだかなぁという気持ちです。f:id:luna_tarou:20210904083400j:image

 

 

 

 

最後にリバイス担当の望月Pの新卒向けメッセージを読んでくれ

 

プロデューサーってぶっちゃけ胡散臭いイメージ、ありますよね?

私も未だに何する人なのかという説明の最適解を見つけられずにいます(笑)。

ただ、それこそが最適解なのかもしれません。

プロデューサーは何でも屋。

企画を考え、協力者(出資者)を集め、脚本家と脚本を練り、俳優をキャスティングし、さらには撮影現場とのスケジュール調整、その後は監督主導の編集や音入れなどに参加する。そして宣伝にも加わりつつ公開に漕ぎつける。

つまり企画の入り口から出口まで、その全てを俯瞰し統括する立場です。

胡散臭くなんかありませんよ!

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最後の画像はボケで入れたんじゃありません。

マジで「胡散臭くない」宣言の後に載せてます↓

 

www.toei.co.jp

 

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キュウレンのテンビンゴールドやリバイスの変身音のチャラさは本人由来?



無駄を経験と捉えるPの『リバイス』、無駄がない素敵なシリーズになるといいですね(強引な締め)