セイバーは実験的仮面ライダー作品じゃない、実験的戦隊作品だ(仮面ライダーセイバー第2話「水の剣士、青いライオンとともに。」 感想)
聖剣・火炎剣烈火を手にし、異変から街を救った飛羽真だったが、剣と本、不思議な世界など謎が深まるばかりだった。
そんな飛羽真の前に現れたのは、古より“力を持つ本”(ワンダーライドブック)を守ってきた組織・ソード・オブ・ロゴスの剣士・新堂倫太郎だった。
彼に導かれて訪れた組織の本部・ノーザンベースで飛羽真は驚くべき事実を知る。
ボンヌレクチュール!…で合ってます?
主人公の目的がぼんやりしていること、倫太郎の育ちが違うキャラ付け押し、メインヒロインの光らなさ、タッセルのウケなさと心配していたことが心配通りになった第2話。
いかがだったでしょうか。(倫太郎は心配事ではありませんが)
最後の最後で倫理観とAI論が明後日に飛んで行った『ゼロワン』も記憶に新しいところかと思いますが、仕切り直し的に始まった『セイバー』をどのような姿勢で望むべきが第1話ではまだ定まらない自分がいました。
ついつい平成の延長として令和ライダーを見ようとしてしまい、方向性というものを掴むための視聴になったように思います。
私は放送始まってから『セイバー』のキービジュアルをちゃんと見て知ったのですが、五色の5人ライダーなんですね!!!(遅い)
「戦隊ライダーをやる気か」なんて声が上がっていたのはエンディングのダンスのせいかと思っていた手前、なかなかな戦隊っぷりに今更ながら面を食らったわけです。
手前3人がレギュラーにしたって、赤青黄色でもろ戦隊のフォーマットじゃあないですか(すごく遅い)。
はてさて、私のクウガからリアタイ視聴が始まった仮面ライダー人生にも「戦隊ライダー」と呼ばれていたシリーズは記憶にあります。
それは龍騎の前情報でかなりのライダーが出るのが判明した時。
そしてエグゼイド序盤、ドラゴナイトハンターZを使い、4人の戦士が力を合わせてドラドを倒した時でした。
(私の周囲だけの話かもしれませんが)
では、セイバーは実験的に再びライダーを戦隊に寄せてみよういう発想の元作られたのか?とも思ったのですが、なんでもアリでここまで走ってきたライダーが前例があるように戦隊っぽくやることにそこまで意外性が無いように思うんですよね。
そして、ふと、こんな考えが湧いてきたんです。
これは「戦隊で試しにくいことを試みるライダー」なんじゃないかと。
仮面ライダーは様々な挑戦をしてきた分、倫理観さえ保てていれば見てくれから何から寛容に受け止めてもらえがちなのに対して、戦隊は戦隊なりのフォーマットを崩しすぎると横から言われてしまう、崩しにくい印象があると思うのです。
戦隊ものシリーズ内で2つのスーパー戦隊をもうけてVSモノにしたり、5人の基本人数を大きく上回り大人数戦隊を用意したりと様々な角度から新しい挑戦はしていますが、フォーマットに乗っ取った中で内側ギリギリを攻めているような感じというか。
そこで一肌脱げるのが意外性で平成を生き抜いた仮面ライダーシリーズではないのでしょうか。
制作の意識はそうでなくても、そういうつもりで見ると違った楽しみ方が出る作品だと思います。
実験的戦隊の側面
1.女性のいない5人チーム
…と言えば、至ってフツーの多勢ライダーシリーズのように聞こえますが、戦隊ならどうでしょう?
過去に男性だけだったスーパー戦隊はサンバルカンが思い出されますが、その代わり敵が総統以外はほぼ女性ということも重なって、今やるには問題になりそうな構成ですよね。
女性の活躍の場に意識高かったはずの『ゼロワン』が見事働く女性として刃唯阿を描ききってくれたので*1、男性比率が圧倒的に多いライダーですから今回はレギュラーに女性の変身者にいないということは気にも止まらないわけです。
少し前ですが、戦隊の『ルパンレンジャーvsパトレンジャー』ではパトレン3号という番手の最後に女性が来ただけで新聞のコラムに男女平等について苦言を呈されたこどありました。
戦隊で女性レンジャー不在というだけでもう時代に合わなくなってしまうのです。
今回、メインヒロインのキャラ造形がテキトーに思えるのは描きたいのが男性チーム側だとすると合点がいく気がします。
30分後に始まる煌めく作品とは違い、男性だけのチームにどれだけの反響が生まれるか試しているとしたらどうでしょう。
大幅に異なるコスチュームと武器のデザイン
多勢ライダーも戦隊も基本のアンダースーツや胸パーツが共通で、頭や肩のデザインで差を付けるのが一般的でしたが、今回は割と全ライダーのデザインに共通点が少なく見せているように感じます。
戦隊目線で見ると、最近は共通の武器を持つパターンが多かったですが、専用武器の種類が違うだけでなく、同じ剣でありながら5人の持っているものが違うというのも珍しいポイントですね。
最近(?)だとトッキュウジャーが各々の武器は違えど、共通のスーツで他のキャラの色に乗り換えることで武器を回すというアイデアもありましたが、近年の作品では各々専用のデザインのスーツに専用武器なんて初期メンバーではあり得ませんでした。
(トッキュウジャー、武器とブレスレットを買い揃えれば1~5号どれにもなり切れる面白い試みでしたね。)
戦隊のように共通の武器にすることでごっこ遊びの初めに5人の色を振り分けたところで「あの戦士の武器を持ってない」という状況が回避できますが、今回のライダーは鎧武やエグゼイドの時と違い、「共通のベルトは買っとけ!」ではなく、あからさまな「お前の推しの玩具だけとりあえず買え!」という商法にどれだけの差が出るか試しているように思うのです。
つまり、今のところ、毎話戦隊レッドの元に初期メンからデザインから武器から外しに来ている追加戦士が来る流れのようなものだと言えます。
もし、5人の男戦士を強調させるためにメインヒロインの立場がないがしろになっているのだとしたら怠慢ですが。
チームの集合を丁寧に
鎧武やエグゼイドの序盤では当たり前のようにあったことですが、毎話追加戦士という構成は戦隊において珍しいことです。
最初から結成してる方式(ルパパト)、既存の4人が赤を見つける方式(キラメイジャー)、赤青黄が別動隊と合流する方式(リュウソウ)、他にもパターンはありますが、最近であればこのどれかに当てはめられるでしょう。
早々に揃えないと合体ロボの一応の完成形にたどり着けないという大人の事情も手伝ってか、仲間集めに1話1人も時間をかけないイメージです。
さらに、ソード・オブ・ロゴスは昔に結成済みの組織でありながら、響鬼のように各ライダーが別行動をしており、すぐに既存の4人が揃わないことに制作の戦隊らしさを外す意図を感じました。
ライダーはどうしても揃ったところで仲たがいが起きる分、揃って戦うのは遅いイメージですが、今回は戦隊のように早く揃いそうですけどね。
レギュラーのライダーが3名なのか5名なのかはいまだ不鮮明ですが、揃っている状態から後に掘り下げるのではなく、自己紹介からたっぷり尺を使うのは戦隊として見ると今までになかったように思います。
龍騎は正義を描くように上から言われた白倉Pと小林脚本でエグい正義論を展開したとスタッフ座談会で語られていましたが、お話の道徳的な部分だけではなく、お偉いさんからは構成や見た目にもっとストレートに戦隊に寄せたライダーをあの時から求められていたように思います。
ここまでストレートに戦隊ライダーだとその悲願がようやく今叶ったと喜ぶ関係者がいてもおかしくないと思えてしまいますね(笑)
踊らす気のないEDテーマ
元々、オープニング向きのテンポの良くスピード感のある曲なだけに振り付けが難解なエンディングテーマは今の戦隊なら考えられません。
ゲスな見方ですが、エイベックス的にはスカパラに誰かを引っ付けて売りたいのに「仮面ライダー」と歌詞にある曲は売り込みたくないという結果がこの2曲で本編を挟む構成にさせたのでしょうか。
見ている層を考えても、ついつい踊りやすい方向に行きがちな戦隊ですが、覚えにくいどころかダンスを嗜まない子には踊らせる気が無い振付がどのような反響を生むのか計られている気がします。
『セイバー』にはお決まりのダンス動画すら用意されていませんしね。
実験的ライダーの側面
肯定ライダーチームの“再”確立
前回の記事でもお話ししましたが、主人公の飛羽真は平成ライダーからの流れで見れば珍しい肯定キャラで、ぺこぱのツッコミにインスパイアを受けてか、一見否定すべき行動を取るメインヒロインを傍に置く配置となっています。
「平成の流れでは珍しい」と申し上げた通り、他にも肯定的なキャラがいなかったわけではありません。
シリーズの中でも特にあからさまだったのは『フォーゼ』の如月弦太郎で、彼自身の悲しいバックボーンについて語られることは一切なく、「学園の全員と友達になる」をモットーに仮面ライダーとして戦いました。
しかし、要所要所で友達を選ぶ発言をしたり、小説では回収されるどこかへ吸い上げられた敵幹部の生徒や先生は放っておいたりする行動から、これまでになかったライダーの根明路線を嫌うライダーファンから上手くやれていないと指摘されることもありました。
それほどまでに肯定的なキャラとして描ききるには難しく、大雑把ではならないのです。
作品としては『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』が漫画、小説、舞台、パロ企画、全ての作品を仮面ライダーと認めることで「肯定感の強い作品」としてファンからの反響も大きい肯定作品でした。
平成の仮面ライダーシリーズは白倉プロデューサーが務める作品も多かったせいもあってか、彼の提唱する仮面ライダーの三原則「同族争い」、「親殺し」、「自己否定」の中でも最後の「自己否定」要素が何かしらの形で見られる作品が多かったように思います。
肯定感の強い主人公は今に始まったわけではないと申し上げましたが、では平成の仮面ライダーの流れにおいて、『セイバー』は何が珍しいかと言うと2号ライダーポジが否定しないところなんです。
と言っても、今回の『セイバー』では飛羽真の肯定感が見えませんでしたよね。
しかし、第1話で強調していた肯定感は2号ライダーの紹介も兼ねて代わりに新堂倫太郎で体現していたと思います。
…と今まで、ライダーとして見てどう、戦隊として見てどうとお話しさせていただきましたが、これに関しては戦隊として見てフツーなんですよね(笑)
どうしても、チームワークで敵を倒す特撮なので、赤が寛容なキャラクターが多く、また赤をリーダーとして認めるため他の色の戦士もケンカはあれど、認め合っていくものです。
三原則を掲げた白倉Pはライダーと戦隊の違いを陰と陽と語っており、また「ライダーの戦隊化を手伝ったのは電王だったかもしれない」とも語っていたことがあります。
『電王』の集団でわちゃわちゃしてる感じが今までのライダーのシリアスで陰々滅々とした空気感が違ったというよりは、良太郎の他者を認める肯定力と良太郎を認めるイマジンたちの構図がライダーを戦隊に近づけたのかもしれません。
先程も触れました2019年M-1王者のミルクボーイやファイナリストのぺこぱは、本人の意図とは別にネタにある「肯定感」が話題になるなど、時代が変わって来たように思うのです。
「男が戦って女が守る、女が戦ったって良い」、そんなメッセージ性を前面に出した回が盛り上がった『ハグっとプリキュア』や女性ヒーローでしっかりと興業成績を残した『キャプテンマーベル』や『ワンダーウーマン』が記憶に新しいところですよね。
今や「自己肯定力」がサブカルにも求められる風をセイバーの制作が感じ取ったのかもしれません。
白倉三原則を意識していないはずの『ゼロワン』が結局は自己否定に走ったのも、解決したはずなのに時代に逆行してまだ自己否定をやろうとしているようで笑ってしまいますね。
このご時世に第一線で活躍する女性と性別の設定がない中性AIキャラに敢えて強烈な否定感を持たせた大森Pの手腕は本当に素晴らしいです*2。
今回もやはり、倫太郎の肯定感を引き出させるために無鉄砲な物言いをし続ける立ち回りになった須藤芽依、彼女の存在がかえって『セイバー』が持つ肯定感を削ぐ形にならないと良いのですが。
どこぞの女性キャラの二の舞にならないように。
エグゼイド+1,フォーゼ-1
仮面ライダーセイバーのお披露目イベントでベルトのギミックを説明された時、ベルトに属性別の本が3冊刺さることが「オーズのようだ」と言われていましたが、実際はゲーマドライバーに挿し込み口が1つ増えた、もしくはフォーゼドライバーの挿し込み口を1つ減らしたという作り手のネタ切れを感じさせる仕様になったと思います。
今回使用した「ジャッ君と土豆の木ワンダーブック」はフォームチェンジと言うよりフォーゼのモジュールチェンジのような使い方でしたし、今後のセイバーたちのフォームチェンジを考えると真ん中への追加挿しも見えてくるのでエグゼイドのレベルアップのような仕様になりそうです。
子持ち戦士はどちらの実験的試み?
来週は「子育て王」を名乗るライダー登場とのことで、『ゼロワン』での刃唯阿のように「今までにない多様性ライダー」という話題作りなのかと思っていたのですが、そこまで強いインパクトはないですよね。
ライダーは平成シリーズで色々とやり過ぎてしまったせいで、やはり意外性を付くライダーを作り出すのは困難のように思います。
レギュラーでない、かつ、変化球的な存在で良ければ近々では其雄が父親ライダーで存在しましたし、龍騎から疑似ライダーながらオルタナティブな妻子持ちの戦士が存在しました。
戦隊でも子持ち戦士はいますが、知り合いの子の面倒を見る容姿方式が多く、実の息子というパターンはなかったように思います。
マジレンジャーでは5兄弟の母親が異色の追加戦士に、ニンニンジャーではイレギュラーで赤のお父さんやおじいちゃんが参戦することはありましたが、やはり初期5人の中に関係の無い、非戦士の子供を面倒見るタイプの戦士はいませんでした。
戦隊目線で見てもライダー目線で見てもレギュラー枠にパパライダー枠は、「ポッピーがヒロインでTVシリーズで仮面ライダーになるのが初」、「刃唯阿がレギュラーで序盤から仮面ライダーになる女性キャラとして初」ぐらいの細かい定義付けによって「初」の冠を被る戦士として話題性を持たせたといったところでしょうか。
ここでいきなりガンダムの話をしますが、「親父にもぶたれたことなかったのに!」でお馴染みアムロ・レイは最後の登場になる作品で本来は恋人との間に子供を授かる予定でした。
しかし、上層部の判断の元、「憧れられるヒーローに子供は必要ない」という判断により恋人がいるという設定だけ残りました。(戦争ロボアニメでもヒーローにカテゴライズされていたなんて時代ですね)
あくまで昔の考え方ですし、今は子供を作るガンダムの主人公もいるので需要視すべき思想とは思いませんが、メイン枠に既に守るべき特定の血族がいるヒーローを置くことは1つの挑戦なのかもしれません。
他にも特撮外でお話しすると『子連れ狼』などが子育て王を彷彿とさせますが、乳母車に機関銃を仕込んでいた父親の姿を思い出すと、ライドガトライガーはバスターに用意すべきだったかもしれません(笑)
…と父親戦士に色々思いを巡らせましたが、フツーに養子や拾い子を育てているパターンもあるので、無駄な考察になるかもしれませんけどね…。
さらにそこへメカニカルで武骨なデザインのライダーの要素も足すことでどこまでこの手の設定が子供に愛されるか、逆に立場の近い大人がどれだけ食いつくかか試みていると思うと自然な気もします。
女性層の反応も見ているかもしれません。
少なくとも専用武器の玩具においてはメーカーも相当意気込んでいるようです。
「変身聖剣DX土豪剣激土」!!!
バスターは、ベルトではなくこの土豪剣激土という剣のみで変身します。
その玩具ですが、とにかくインパクトのある商品になっています。
赤や青のライダーとは かけ離れたデザインの武骨なメカっぽいライダー、規格としては大きい剣、初のレギュラーパパライダー、役者は若いイケメンではなく三の線のおじさんという『セイバー』の中では挑戦的な要素が多く取り入れられた仮面ライダーバスターは大きく括ってニチアサとしての実験的試みなのは間違いないようです。
前作、第一線で働く女性のカウンターとして、今回の戦う子育てお父さん!
果たして上手く決まるんでしょうか…!?
しかし、それはそれとして、次回は子育て王に全振りして、またしてもメインヒロインはないがしろになる予感…!
パイロット版が終わり、セイバーに望むこと
今回の記事でメインヒロインに対する危惧をちりばめてまいりましたが、申し上げた通り、今回のメインヒロインはライダーを引き立たせるための汚れ役を任されたのかもしれません。
第2話にいたってはコロナの影響か荒廃した街に人っ子1人いなかったので、怪人のモブ被害者要員に当てられたように思います。
強引に自転車でワンダーランドに向かいましたが、向かったところで役に立つこともなく、被害者としてご都合で戦場に赴いただけなのです。
ソフィアですら飛羽真をすぐに受け入れてしまう肯定感の持ち主であるだけに、謎の少女がヒロインちゃんでない可能性があるのであれば、これからの活躍に期待しないのが吉だと思います。
こんな記事を書きながら彼女を活かすアイデアを1つ思い付いたのですが、長くなりそうなのでまた機会があれば。
あと、他にも気になったことがあります。
ブレイズのお菓子好きは仮面ライダーブレイブへの目配せなのでしょうか?
イマイチどこまでがオマージュで偶然の一致がよく分からないでいます。
「仮面ライダー」の定義付けがもっさりしていることとライドブックのモチーフが元ネタありきで雑なさらい方なのはPがゴースト後に理屈付けの力の抜きようをエグゼイドから学んだからなのでしょうか?
ベルトを巻いてバイクに乗ってライダーキックをすれば仮面ライダー…いや、その条件を満たさなくてもライダーを名乗ってるシリーズはあります。
なので作品内での定義付けというより、担当プロデューサーの中での「仮面ライダーとは?」「石ノ森章太郎イズムとは?」に対するアンサーが作品から見えてくれれば、こだわりとして、このどっち付かずな戦隊ライダーからオリジナリティーが出て面白さを増すのではないのかなと思うんですよ。
出来れば、『ゴースト』をこき下ろす形で比較されがちだった『エグゼイド』の悪い面は真似せず、我が道を行ってセイバーを確立してもらいたいところですね。