ルナ太郎の腹筋崩壊ブログ

私は…仮面ライダーゼロワンの気になった所を大人げなく殴り書くのが仕事だから!

「財団Xの決着つけろ!」言いながら「アンクは復活しなくても…」と言うヲタクの矛盾に思うこと

ご無沙汰しています、ルナ太郎です。

最近、そろそろ3歳になる息子とコンビニに行ったのですが、雑誌コーナーを通った際に水着姿のアギレラちゃんが表紙のヤングジャンプを見てニッコリと笑い、「これ欲しい」と所望してきたので「これが血なのか」と頭を抱えかけたりしたりしていました…。

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皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 

さてさて。

セイバーを見終えてとりあえずはこれからの仮面ライダーに期待出来ぬという結論に至りTwitterをやめ、つぶやきなしでリバイスを見始めてそれでも文句が沸いてきたのでTwitterを再開し、やっぱりどうしようもなさそうでまたやめてしまったのですが(笑)

仮面ライダーオーズ』の10th作品に対して文句も生まれつつ、似たような文句を言ってる特ヲタに対しても違う文句が生まれたので、再びブログ記事を書いてみようと思った次第です。

皺寄せを受け続けた作品であった『仮面ライダーオーズの辿った特異な扱いを振り返りつつ、度々ネットで議論されがちな"財団X"なる敵組織についても考えて見ようと思います。

 

 

 

 

 

アンク復活における一抹の不安

 

記事のタイトルの通りなんですが、財団Xの壊滅を求める声とアンク復活を求める声は矛盾していると思うんですよね。

初めに私の意見から申し上げますと「財団Xは壊滅させなくていいし、アンクは復活しなくていい」という感じなんです。

ただ、そういうスタンスであっても「断固反対」というわけではなく、あくまで『仮面ライダーオーズ10th復活のコアメダル』そのものを否定するつもりはありません。

作品のタイトル通り10周年記念碑的な作品に対して、主要キャストを欠くことなく揃えやることや、そこまでの商業的な規模で展開せずに既存の玩具の色替えやスーツの使い回しへのケチつけは恥ずかしいことでしかないと思っています。

やってくれるだけでありがたい話なんですから。

 

例えば、電王を佐藤健のみならず、白鳥百合子まで揃えて10thやったとしたらどうでしょうか。

ダブルを菅田将暉までも揃えて10thやれてしまえたらどんな内容であっても、メイン脚本を勤めた三条氏を抜きでも同じことが言われてしまうんでしょうかねぇ…という感じに捉えています。

 

 

『オーズ』は派生作品があんま上手くない

では、何故それでもアンク復活に思うところがあるのかというと、『オーズ』という作品が他作品の皺寄せをくらい続け、TV本編が始まる前から翻弄された経歴を持ったからです。

『劇場版仮面ライダーダブル AtoZ』や『仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE』では、TV本編の映司と乖離したキャラクターとして描かれています。

どちらの撮影タイミングでも火野映司というキャラクターはまだ固まっておらず、オーズのメインプロデューサー武部氏が関わっていながら、思想や台詞の言い回しすら怪しいのです。

もう映司のキャラ確立の遅さからクロスオーバーによる『オーズ』のブレ人生が早い段階で始まっていたと思うのですよ。

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『MOVIE大戦CORE』の方は武部P主体でありながら、映司のキャラのズレに始まり、バースの変身者も定まっておらず、まだ案として存在していたラスボスに通ずるヤミーの設定にも矛盾があるように感じます。

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火野の由来が金銭的な「火の車」から来ていた名残があります

 

結果的にこれらの作品はパラレルワールドとして認識し、TV本編と切り離すことがこの映画の抱える矛盾を解消する最も良い捉え方になってしまいます。

ついついヲタクは整合性や時系列の正しさを求めますが、『仮面ライダー1000回記念』でも『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』でもTV本編との繋がりを薄め、TV本編に干渉しないことの方がベターなのです。

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里中君、カムバックありがたし

もちろん、忙しいスケジュールの中で企画されたクロスオーバー作品なので、先出しの『AtoZ』も含めてその粗さも味と楽しむのが大人な見方のだと思いますが。

むしろ、それぐらいに劇場版を捉えた方がどの作品もストレスなく見れますしね。

 

私の中で評価の高かった『MEGAMAX』でも、アンクの復活が示唆された途端の財団X乱入は演出として酷かったなぁという印象でした。

そんな武部P、キバではメイン脚本にライダーらしからぬ大団円を求め過ぎたゆえ「じゃあ、お前が書け」と叱られ、鎧武では夏の劇場版に話題作りとしてサッカー要素を組み込むというどうにも格好つかなそうな無理難題な采配したことを思い出すと、プロデューサーの手腕によって『オーズ』が愛される作品へと出来上がっていったのではないような気がしていて。

オーズ夏映画さえもTVと独立して見た方が辻褄が合ってしまう。

そんなPに企画する10thにTV本編のようなクオリティは期待できないな、というのが正直なところです。

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一部ファンから執着される財団Xの行く末

 

40周年記念作品として電王と共にショッカーを倒し、今度は『ダブル』&『フォーゼ』の塚田ライダーと財団Xを倒したかと思えば、数年後に『エグゼイド』&『ビルド』大森ライダーと再び財団Xを倒すことになった数奇な作品。

しかし今回、言及する財団Xそのものは40周年記念作品のために塚田Pが2年スパンで用意した簡易版ショッカーであって、平成二期のライダーが追い続けなければならない敵ではないと考えています。

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ダンテ・カーバーを記事のトップ画にしたかっただけのチョイス

 

塚田Pは翌年に『仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム』も担当しましたが、そこで財団Xを絡ませなかったのは何故なんでしょうか。

財団Xが『アルティメイタム』の敵であるアクマイザーにも関与していい、組織として介入するのは難しくないはずなんです。

オーズ本編に財団Xは出て来ず、ウィザードの笛木の資金提供をするシーンもなく、戦極からゲネシスドライバーを買い付けなかったのは何故なのか…後発のシリーズの関わりを考えていけば、財団Xという組織がそこまでのロングスパンで考えられていなかったというのは明白でしょう。

アクマイザー登場は反省が残ったフォーゼ夏映画、過去作の昭和ヒーローヴィラン化計画で不評だったキョーダインのリベンジでしかなく、財団Xはあくまで塚田P版ライダー40周年用の敵。

塚田Pの頭の中に過去作の清算に財団Xの文字はなく、昭和ヒーローのヴィラン化計画しかなかったのです。

 

 

じゃあどの辺のライダーが倒すべきなのよ

一部特ヲタが言うように「平成二期のライダーが追って決着をつけなければならない敵」が財団Xなら、『MEGAMAX』で共に闘った昭和ライダーたちが平成二期に投げてしまうことに文句はないのでしょうか?

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『MEGAMAX』の最後にオーズとフォーゼが追いかけたのは、彼らに持ち去られたメダルとスイッチに因縁があったからでしょう。

(大人の事情で言えば、その年のシリーズに任せるのが順当)

ダブルでさえ、「ここは俺に任せろ」ムーブでしたし。

 

たまに聞こえてくる「ジオウで財団Xを倒すべきだった、ジオウを担当した白倉Pは悪い」という理屈はおかしく、それならば本来は平成の終わりとして当初用意されていた仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL ビルド&エグゼイドwithレジェンドライダー』で壊滅させるべきだったように思うのです。

そもそも、財団Xは昭和ライダーを含まず平成二期だけの敵だという認識は『平ジェネFIN』から来たものですよね。

 

『平ジェネFIN』はレジェンドキャストを揃え、前振りである『エグゼイド』の夏映画のエピローグに繋がって出来が良いように思えますが、それでも時間経過の矛盾が存在し、それに合う付け焼き刃な都合の良い理屈を捏ねてるわけですよ。

『エグゼイド』夏映画が初出しだった仮面ライダービルドのキャラのブレも上手くTV本編で回収したかのようですが、そこのこだわりに対してTV本編最後の地球A全滅の理屈は酷いものですし、映画との辻褄合わせが良ければ、TVシリーズそのものも非の打ち所がないとは限らないでしょう。

むしろ、TVシリーズこそ、その作品を指すべきなのですから、そっちをちゃんとやらなきゃでしょと。

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こんな屁理屈で唸ってしまうん?

 

ジオウが関わる後の『平ジェネFO』や夏映画『OQ』が平成を閉じる役目を負ったのは元号の切り替えがズレた結果論であって、当初はビルドで平成が閉じる節目の作品だったはず。

だからビルドにはディケイド的に他作品のライダーになれる隠し機能があったのではなかったのでしょうか。

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財団Xに限らず、過去作においては半身が残ったアークオルフェノク(ファイズ)や暗躍する謎組織がありそうな魔化魍(響鬼)、消えない悪イマジン(電王)、ネオファンガイア(キバ)、笛木を倒した後も各地に現れるファントム(ウィザード)…など完全消滅で終わらない敵たちは「仮面ライダーとしての戦いは続く」=「君の好きなライダーは不滅」というメッセージでもあり、壊滅させて終わらせることが絶対ではないとも考えています。

『スーパーヒーロー戦記』的に言えば、ヒーローを存続させるためには悪が常になくてはならいということでもあるといったところでしょうか。

財団Xの壊滅にそこまで執着する理由はあるのかと。

『平ジェネFIN』を担当した大森Pは前年の『平ジェネ』を自ら超えるため、『ウィザード』のオリジナルキャストに匹敵するシリーズの主役キャストを揃え、それに相応しい敵として、壊滅したと断言されていなかった財団Xをに引っ張り出してきただけに過ぎません。

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『オーズ』も財団Xも、『平ジェネFIN』にとって興行のための客寄せパンダでしかなかったのです。

それを証拠に作品内でのアンク復活にメインのビルド、エグゼイドは同じ映画にいながら一切関わって来ませんし、塚田Pの©️である組織は決定的に壊滅した説明もしないのです。

 

 

 

仮面ライダーオーズとはなんだったのか

 

…と、ここまで『オーズ』が翻弄されてきた作品であること、そして財団X本来の役割は平成二期をまとめあげる企画ではなかったということを話してきました。

ここからは『仮面ライダーオーズ』の本質について話していきたいと思います。

 

『オーズ』は映司とアンクのバディものではなく、ただ無償の男であった映司が自己犠牲に徹するのをやめ、自分を想う人たちのことに気付く話だと考えています。

あくまで主人公は映司であり、アンク消滅に迷い戸惑う映司は「お前はお前の人生を生きろ」と最終的にアンクに背中を押されて終わる話であったはずです。

傍らにアンクの腕がついて回らないと成立しない仮面ライダーではないはずなんです。

 

持論ですが、前にも話した通り、本来は完結したTV本編が基本的に作品の色を示すものであり、派生作品は作品の補完でなく、あくまでも派生単体、悪く言えば蛇足にしかなりえないものだと考えています。

TVシリーズの作品が発したメッセージを全てのスピンオフを踏まえて語るのはちょっと違う、捻じ曲げるようなものだと思うんですよ。

アンク復活までが語られるとTV本編に示したものがブレてしまうようで少し悲しくはあります。

それは生配信で映司役の渡部氏も語っていましたよね。

 

最近のライダーは外伝ありきになっていて、TV本編で語るべきことがおろそかになっている気がして、それがとにかく受け入れ難く、セイバーに愛想が尽きてしまったところはそういうところにもあったりするんですが…。

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突然ですが、『ドライブ』は『オーズ』の成功が反映されていると思っています。

『ダブル』のメイン脚本の担当した三条氏の色により塚田P作品に近い臭いがしていますが、『ドライブ』って映司を「泊のトラウマ克服からの自立」と「剛のチェイス復活を願う結末」に分かれたものと言えますよね。

泊にクローズップしますが、このタイプの、敵を壊滅させ、自身は変身能力も失っても主人公が初回から大きく成長することで物語が完結するという方式は単に敵を殲滅するだけが解決ではなく、自身が成長することこそ大事なんだと視聴者に提示してくれます。

その手のエンディングは顰蹙を買うどころか評価されるパターンも多い気がしますし。

 

概ね好評だった『ドライブ』の最終回を書いたのは今回『10th復活のコアメダル』を書く毛利氏でしたね。

「毛利氏だから駄作になる」という危惧も類似の『ドライブ』が書けたのならそこまで問題視することでもないような。

「キタムランド」に関しては確かに擁護しようのないセンスですが(笑)、当時のライダーと戦隊のコントラストを熟知していないが故の安直さで、今、ライダーでこのセンスのものが飛び出しても問題視されない気もします。

大事なのは脚本家をハンドリングする上の方々だと思っているので。

 

 

敵を殲滅しきれないままヒーローであり続けて終わる作品は存在しますし、敵を殲滅してヒーローでなくなる話も存在します。

しかし、敵を殲滅せずに、ヒーローの能力を失う、そんな中途半端な話は存在しえません。

ユニバースとして財団Xを殲滅させるべきだと訴えるなら、アンク(コアメダル)の復活によるオーズ再起は必要不可欠なはずであると思うんですよ。

『MEGAMAX』と『平ジェネFIN』でコアメダルの再生を描いてしまったのなら、財団Xとアンク復活はセットで描かなければ所詮はクロスオーバー作品によるご都合な関与であったことの証明になってしまうように感じます。

(私は財団Xとオーズをそもそも切り離されたものと考えているので、映司が成長した以上、「壊滅させなくて良いし、復活しなくていい」という主張の矛盾にはないと考えています。)

 

財団Xにより、『MEGAMAX』ではエピローグを用意させられ、『FINAL』でエピローグの追加エピソードを足され、その反響から生み出された『復活のコアメダル』であり、真の独立した"10th"と言い難くなってしまいました。

最近のキャラ復活多過ぎ問題の便乗したかのように差し込まれてしまうこのアンク復活。

黎斗、ポッピー、ビルドの面々、イズ、タッセルと来て、アンクになってしまうんですよ。

(『ジオウ』のラストに関してはビルドの品のない復活のカウンターとしてまあ…)

 

「好きなキャラが亡くなったままでは悲しいので、生き返してほしい」という安直なファンの要望に答え続ける風潮に、『オーズ』も流されてしまったようで悲しいです。

縮小生産の集合体であるデザストも復活するスピンオフの話は既に上がっており、アンクの二番煎じであるチェイスまでも復活エピソードの企画が上がるのでれば、アンクもこの流れの一環として埋もれてしまう気がするのです。

一部ファンの願いのように映司がアンク復活に固執するキャラしようとしてしまえば、それはあの小さな村で消えてしまった子に間違った執着をしている解釈になる気もしますしね。

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突然の「ホワット・イフ…?」

 

作り手だけの話で言えば、『オーズ』の功労者は誰なのかと考えると、他作品の雑復活に対して小林靖子抜きで格の違いを見せられるとは残念ながら思えません。

10thの記念碑的作品にそこまで求めるのは酷かも知れませんが、どうせなら近年の簡単に復活させてしまう作品に見せつけほしかったと悔やむばかりです。

 

 

ジオウでのクロスオーバー元の扱い

ジオウは各ライダー作品をユニバースとはせず、独立した世界線であるべきだという主張でした。

担当したプロデューサーの話でしてしまえば、ディケイドから一貫しており、財団Xに干渉を受け続けた『オーズ』に対して、ジオウは無理矢理ユニバースにしてしまうことでの歪みとして『オーズ』を描いてくれましたよね。

今回の「アンクは復活しなくても…」現象は『ジオウ』の時の交われない二人が交われてしまう剣回の時の反応に似ていますが、ジオウの根本であるマルチバース前提がある以上、それは「もしも」の世界でしかなく、原典であるTV本編に侵食していなかったように感じられるんです。

確かにオーズ回でネタ的に『エグゼイド』のキャラクターが絡み、アンク役のキャストは一切姿を見せませんでしたが、だからこそ『復活のコアメダル』になんの影響も与えることなかったと思うと作品の保全になっていたと思います。

先程、チェイスの話をしましたが、恐らく白倉Pが剛とチェイスを『ジオウ』に出す許可を得た時に先走った大森Pが『仮面ライダーブレイン』で復活の示唆をし、結局はマルチバースのため再会を果たさせなかったのを見ると二人のプロデューサーの中でクロスオーバーに対するTV本編の世界線へのリスペクトのし方が対照的で笑ってしまうんですよね(笑)

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剛とチェイスは決して対峙しませんでした。

せっかく出演するのだから会わせてほしいと願った方もいるかもしれません。

白倉Pがそれを自分の役目ではないことを理解していたのではないかと思います。

それをしてしまうと『平ジェネFIN』から『10thコアメダル』の流れになってしまう。

これから『ドライブ』でチェイスの復活劇が実現したとしても、『ジオウ』でのクロスオーバーがノイズになってくることはないと思います。

平行世界の再現体、いわば夢物語みたいなものですから。

 

『ジオウ』ついでに言えば、TV本編に死んでしまった仮面ライダーアクアの話をさせてください。

劇中でのアクアの死はお粗末でファンからは不評だったようですが、あの死には意味があると思うのです。

ライダー50周年記念作品『仮面ライダー ビヨンド・ジェネレーションズ』では仮面ライダーセンチュリーという未来のライダーが登場するという情報が開示されました。

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私は40周年記念作品である『MEGAMAX』のそれにあたるのがアクアだと思っています。

とするのであれば、「アクアの死=ライダーの未来が消失」であり、この後のライダー世界消滅への前兆を表現していたのではないでしょうか。

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『ディケイド』で響鬼の世界とキバの世界がぶつかり合って消滅する様を描いていた表現と似たメタな表現なのかなと。

松田賢二氏がどちらの世界にいるという矛盾を介してね(そうなの?)

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そんな大人げない話はやめようよ

 

さてさて話を戻して。

本来なら『MEGAMAX』のオーズパートのみような余韻が足される後日談が個人的には10thに相応しかったと思いますし、多少譲っても『平ジェネFIN』のような復活(仮)が10thでも良かったように感じています。

私の中では老人になった映司の横に不意にアンクが座る、そんな先を「いつかの未来」であっても構わないと10年間思っていましたから。

アンクに関して、復活の示唆、仮初めの復活と来れば、もう完全復活しかあり得ないのですが、TV本編が与えてくれた余韻というものを作品を愛した人たちに向けて、たった10年で、しかも他作品の影響を受けながら完璧に閉じてしまって良いものなのかと考えてしまいます。

…とはいえ上の方で述べた通り、喜ばしい10thアニバーサリーに対して腐すようなことを言うのは場を白けさせてしまう自覚を持ち、自戒の念も込めて締めさせて頂きます。

10年後に新作を見られる有り難みを、大震災後にまたアフターコロナに私達に励ましを贈ってくれる感謝を噛み締めて。

 

読んで頂き、ありがとうございました。