デザストの急な掘り下げに思うこと
どうも。
『仮面ライダーセイバー』の感想は久々になりますかね。
『セイバー』に対して思うことはちょこちょことTwitterにつぶやいていて、まとめる必要もないのかなとここまで思っていたのですが、今回は長々と書きたくなってしまいました。
私はデザストの最近の扱いに対してかなり「非」ないしは「否」の立場です。
と言いつつ、記事のタイトルにしました通り、ある意味でデザストが生まれるのは作品の立場上 仕方のないことだったのかもしれないと考えつき、語らせて頂ければと思った次第です。
デザストを許容できない理由
まず、デザストに対して「是」の人にはうるさい意見と思いますが、なぜデザストを受け入れられないかお話しさせてください。
評価出来ない人たちと恐らく同じ理由だとは思うのですが、「"デザさんぽ"などというSNSのプチ企画で視聴者との距離を縮めようなんて姑息」、「唐突に感じる掘り下げに本編の雑さが相まってお粗末」というところに強く嫌悪感を示しています。
よう人間ども。
— 仮面ライダーセイバー【東映公式】 (@saber_toei) 2021年4月15日
俺はデザスト。
本物の海って初めて来たぜ。
海風が頬を撫で、日差しが波に照り返し、磯の香りが抜けていく。
悪くない気分だ。
これは、本で読んだだけじゃわからねえ事だよな。
でも、俺には眩し過ぎる。#デザさんぽ#仮面ライダーセイバー pic.twitter.com/EC1ADjokVq
…(失笑)
SNSのプチ企画や、映画やドラマを見ていればどこかで見たことあるエモ演出という合成着色料で色味の薄いキャラクターに極端に色を付けて、作品を彩れる"紅ショウガ"になれるんだとしたら安く見られたもんじゃありません?(表現が貧困なヲタクの料理例え)
その紅ショウガ、体に悪そう。
・SNSでの掘り下げ
SNSのふざけたプチ企画で思い出されるのは前作『ゼロワン』のゼロPによる【14日後に破壊されるゼロP】です。
【14日後に破壊されるゼロP】
— 仮面ライダーゼロワン (@toei_zero_one) 2020年4月10日
ゼロP「…アレ?或人社長?イズサマ?…急にドコへ行ったのデスか?
…ワタシは幻を見ていたヨウデス…
…バッテリーが…切れかカッテ…ます。
…ワタ…ノ…事ハ、フォ…ワーの皆サマ…ニ番…ノ魅…ヲ……#ゼロワン #仮面ライダーゼロワン #ゼロP pic.twitter.com/X2pXNIsqwH
https://twitter.com/toei_zero_one/status/1248540410793693184?s=20
https://twitter.com/toei_zero_one/status/1248540410793693184?s=20
https://twitter.com/toei_zero_one/status/1248540410793693184?s=20
呆れすぎてゼロワン感想記事でこのクソ企画に言及した記憶さえないのですが、ゼロPはあくまでTwitterの宣伝的マスコットキャラであって、作品内登場人物でないからまだいいんですよ。
しかし、デザストは本編のキャラクターであり、SNSが行方が知らない間の補完的な機能をしているから醜悪なのです。
よく、現行作品を毎週追うのと後で一気見するのとでは作品の印象が変わってしまうなんて話がありますが、『セイバー』においてデザストのSNS上の小ネタは現行だから同時進行的に目に入るから良いものの、それ以後、何かの媒体で作品を見た方には全く機能しない展開なのです。
デザストに対して「デザさんぽからジワジワと好感度上げてきた」と言うような評価を見た気がします。
でもそれはもはや作品外の、Blu-ray BOXにさえ収録されない蛇足で物を言ってるだけでしかありません。
良いか悪いか、オンドゥル語*1が『ブレイド』の話題の一部になりましたが、あれは勝手にネットが盛り上がったことであって、作品を語る上でそのムーブメントを取り上げるべきかは別問題であっても、今回のは公式が打ち出したにも関わらず歴史に埋もれかねない盛り上がりなんですよ。
ただでさえ、セイバーはサブスク限定スピンオフや漫画配信などサブキャラの掘り下げを外に投げているのに、悪ふざけ的にデザストへの感情移入をSNSの企画に委ねてしまうのは、掘り下げとして真に虚無な存在と後ろ指指されても仕方ないと思えてしまうのです。
・スピンオフで掘り下げたかと思いきや
しかも、デザストから"造られた生命の悲哀"なるものをまず意識させられたエピソードが、本編からの正当な派生作品ではなく時系列も曖昧な『ゴースト×セイバー』でのコラボ先、『仮面ライダーゴースト』の深海カノンであるというのも解せません。
そもそも、『セイバー』に同じく造られた境遇を持つキャラクターでソフィアが存在しているんですよね。
中盤、ソフィアの動向が不明になった際にデザストも何をしているか分からない時がありまして、実際はストリウスにソフィアは監禁され、デザストは上條から解き放たれて放浪していたことになっていました。
…で、あればですよ?
デザストのストリウスに所有権が戻った流れにして、囚われのソフィアを監視するよう命じられたデザストはそこでソフィアの生い立ちについて聞き、"造られし生命"としての彼を掘り下げることも可能だったはずです。
その時のソフィアの施しで、デザストが自由の身になったとすればどうでしょう。
デザストだけに限らず、現状ソフィアの掘り下げも一言二言で片付ける不十分さで、"セイバー坂"の際は役に立たず、最新話ではおにぎりも握れないポンコツ属性というネタに走る杜撰さでしたので、もっとまともな形でソフィアの背景を見せて良かったと思います。
そこで、ソフィアから危なっかしい存在の剣参の存在を聞き、興味を持って対峙していく流れにすれば、剣参とデザストのお話に向かって自然に移行できたのではないのかな、と素人目ながら思ってしまうんですよ。
それにいくら時代が時代だからって、TV本編ではなくSNSを利用して親しみを持たせることは言語道断ですが、本編で悲しませようと一応今更ながら順序立てて来たのにも関わらず、そこを追い越してネタにしてしまうのも非常にナンセンスだと思うんですよ。
視聴者の感情をどうしたいの?と。
・剣参との因縁
振り返れば最初にデザストを撃破したのは剣参でした。
それだけ聞けばドラマチックな話運びのような気もしますが、良き好敵手としての因縁の付け方としては不完全燃焼気味で、後に絆を作る構成であるのであれば下手すぎですよね。
恐らく、デザストの最期を見届けた後に『セイバー』を見返したとて初撃破のシーンは「この後の関係性と展開を知っているなら感慨深い」以上のものはなく、話作りの丁寧さなど映像から拾えるようなエモーショナルな要素はないでしょう。
・三属性ミックスは何のための
さらには設定上、フェンリル、ハンミョウ、『歌う骨』の3つの属性で造られた存在というのも、それが効果的に活きた立ち位置でもない気がしています。
それは三馬鹿メギドのストリウス、レジエル(ズオスは倫太郎の仇になるのでまあ…)にも言えることなんですが、その付与された属性が主人公を含むメイン剣士と対にした意味として効果的に感じられず、設定的にデザストは剣士のワンダーコンボに匹敵する強さを持っていてもおかしくないはずなのに、序盤で撃破されるとはなんとも中途半端です。
いや、強さに盲信する蓮の横で少しは弱いことにコンプレックス持てよ!と(笑)
聖剣ドライバーにはアルターライドブックに反応し、「ヴィランライダー!(?)」と呼称するギミックもあったりで、デザストがわざわざヴィランライダーに変身させることもないまま、既存のファルシオンになり代わる意味も見出だす気さえ無くなります。
中盤使うアテの無かったエスパーダのドライバーを奪ってメギドが変身する展開だって出来たはずですもんね。
アルターライドブックさえ破壊されなければ何度でも蘇る存在、というのも雑魚怪人すら含むメギド全体の特徴であり、そこをフィーチャーして復活不可能になったデザストだけを特別で不敏な存在として扱うのも違和感を感じました。
ズオスを剣士たちの仇として恨まれるならば、メギドの中でも殺めた剣士の数は多いデザストも同じはず。
もっと言えば、デザスト以外のメギドたちにも感情あるし、幹部以外は勝手に造られた存在だし!
3属性のメギド、他にもいるし!
セイバーにおける三大属性が合わさって造られた存在でありながら唯一無二ではない中途半端さ…考えれば考えるほどスカスカですが、ここに対して別角度でのデザストの見方があるような発見があったので、次のトピックに行きましょう。
デザストをわざわざライダーに変身させた意味合いもそちらで言及したいと思います。
デザストに与えられたメタ的な役目
さてさて、ここで一人のキャラクターの話ではなく、もっと回帰的な話をさせて頂きたいと思います。
そもそも『仮面ライダーセイバー』ってどういう指針の作品なんでしょう?
ライダー×ファンタジー?
確かに、四大元素や聖書の引用など、過去にもなくはなかった要素をしっかりファンタジーに寄せて書いているのかもしれません。
(聖剣増えすぎて「セフィロトの樹」のセフィラに相当する本数が合ってないですが)
本(物語)の良さを伝える?
…えっと、良さ伝わってませんよね?
このブログで『セイバー』の感想を書いていた時に触れたかもしれませんが、まず戦隊との親和性みたいものを探っているように感じたんですよね。
戦隊45周年作品を目前に戦隊と並ぶことを想定した色割のレギュラーライダーに、その45周年を背負う『ゼンカイジャー』のセンターのルックは過去の戦隊を踏まえつつ、仮面ライダーと並んでも違和感のないデザインになっていたと思います。
そんな30分後に始まるシリーズとのコラボのため以前に、なんと言っても今年でライダーの方こそ50周年を迎えて、初代仮面ライダー放送開始が1971年4月3日ですから、丁度そこにかかる作品であるのが『セイバー』なんですよ。
そんなアニバーサリー作品をもし貴方が担当することになったらどんな作品にしますか?
過去作と絡める、考え付く既存のラインで言えば、
・ジオウ&ゴーカイ的ユニバース風
過去作全ての作品が一つの世界に押し込められ、そこで本作の主人公がレジェンドたちと邂逅するお話
・ディケイド的マルチバース風
過去作(っぽい)世界を巡り、そこで本作の主人公がレジェンドたちと邂逅するお話
・ゼンカイジャー的独立世界イズム堪能系
レジェンドは登場せず、回のモチーフから過去作のテイストや特徴をオマージュするお話
こんなところでしょうか。
初代仮面ライダーに立ち戻るという発想もあると思いますが、モチーフのみでは前シリーズの『ゼロワン』、そしてなんと言っても目玉の庵野総監督による『シン仮面ライダー』も控えています*2から重複を考えるとそちらのベクトルは掘らない方向で行きましょう。
では、『ディケイド』と『ジオウ』を除く過去作で、何かしらの形でアニバーサリーに位置付けられた作品は平成だとどのようクロスオーバーがあったのでしょうか。
仮面ライダー30周年を担った『アギト』では劇場版で本郷猛役の藤岡弘、氏を招き警視総監としてアギトの主人公を激励しました。
仮面ライダー40周年の『オーズ』では、春映画第1弾として昭和と平成が繋がる、『ディケイド』とは異なるユニバースの世界観でライダーの衝突と共闘を描きましたね。
また、『オーズ』のTV本編では全シリーズ合計1000回として、春映画の前段的に本編中に過去作のキャストも招いて1000回スペシャルのエピソードを設けました。
そして、放送開始年としての見た40周年とカウントした『フォーゼ』では冬映画で昭和ライダーたちと共闘する展開も見られたりとその年には様々な形でTVシリーズのライダーがアニバーサリーを祝しています。
次にアニバーサリー作品に位置付けられたのは『鎧武』です。
ただ、こちらは初代仮面ライダーからのカウントではなく、『ディケイド』と『ジオウ』の間となる平成15周年作品という立場で春映画が用意され、平成と昭和の区切りを明確化し、世代で分け、サブライダーを除いて平成15人と昭和15人のライダーが激突する内容になりました。
(ウィザード特別編は鎧武のデザインを案じた白倉Pが用意した特殊な回なので割愛)
…と、アニバーサリー作品に位置付けられた作品を軸にライダーたちが集合する映画やスペシャル回が用意されていましたが、『アギト』は平成シリーズの序盤だけあってサプライズも比較的まともですね(笑)
『フォーゼ』を除いて、次作へのバトンタッチ演出(回)以外で世界観にジオウ、ディケイド、ゼンカイのような他作品との繋がりを意識させるものはありません。
『鎧武』は元々、ディケイドのように各ライダー世界を旅するお話の予定でしたが、没になりました。
そのことと関係があるかは分かりませんが、結果として平成一期前半、クウガから剣までを意識させるような物語として作られたと制作が語っています。
ライダーバトルはさながら龍騎、物として受け渡されるベルトはファイズ、クウガの敵怪人が話す特殊言語を彷彿とさせる幹部怪人や、人ならざる者となり皆の元を離れた主人公が剣の主人公と重なると評価する
…人もいますが、
必ずしもそうではありません。
雑なオマージュと受け入れられず、揶揄する人もいます。
まあ、そうもなるでしょう。
1つの作品に何作品もの要素を押し込めれば、各シリーズの個々の良さは圧縮され、それぞれが薄っぺらくなってしまうのは当然です。
1作品に5作品も詰め込んだのが『鎧武』だとして、50年分をさらに詰め込もうとしたのが『セイバー』なのだとしたら。
どれもこれも薄味になって、リスペクトなのかオマージュなのかはたまた他作品の空似なのかよく分からなくなってしまうかもしれませんね。
まあ、『ゼンカイ』の場合、イズム堪能系と言ってもエピソードに留まらず変身アイテムやキャラのモチーフからしてって…
あ!!!!
以前、聖剣ドライバーのギミックに関して「オーズなんだか、エグゼイドなんだか、フォーゼなんだか…」とネタ切れ感を指摘しましたが、それがもし故意によるもの、つまり『セイバー』の作品全体が「敢えて過去作に類似するように作られている」と考えるとどうでしょう。
そうなると見え方が変わってくるのがデザストです。
剣士サイドのキャラクターだけでは拾いきれない各シリーズの要素を彼に付与したという見方が出来ると思うのです。
そういった意味では『ゼンカイ』のイズムを拾う方向性とかなり近いのかもしれません。
ただし、あんなにワチャワチャしてグズグズそうで実は戦隊らしくオマージュのフォーマットがしっかりしている『ゼンカイ』に対して、『セイバー』は乱雑なオマージュになっているのかもしれないんですね。
デザストでヲタクから指摘、もしくはネタにされていたのが
・デザインの禍々しさ、怪人でありながら人間サイドに寄っている、ライダーにもなれるところが『電王』のモモタロス(イマジンズ)
・核となるアイテムの損傷により先が無くなった命は『オーズ』のアンク
・カップラーメン、、、
まだスーパーヒーローたちのクロスオーバーする企画が定まっていない中、デザストというオマージュを担わされたキャラクターとモモタロスが剣を担ぎ肩を並べ、仮面ライダーファルシオンと電王に同時変身する画を用意出来る、柔軟なクロスオーバーの幅として"造り出された"キャラクターであるとすれば、雑な要素回収も合点がいくようないかないような。
(アーツでデザスト出たらモモと撮る人多そう)
もしクロスオーバー映画前に散ってしまったとしても「ライダーイズムの一つとして作品を彩った」と言ってしまえばアニバーサリー作品としての体裁を保つ一部になってしまいますし。
話のピントを再び広く戻しますが、セイバーの変身ギミックがもうクロスオーバーのためかのようにオマージュのオンパレードなんです。
Xライダーとベルトの同じ位置にある武器を同時に抜刀し、その剣でXの字を描いたかと思えば、ドラゴニックナイトは龍騎と共にドラゴンを呼び出し、ワンダーコンボでタジャドルと共に火炎の波状攻撃、三冊読破すれば3枚のカードをラウズするブレイドとライダーキックをかませます。
さらにはプリミティブドラゴンがファングジョーカーと野性的な動きで奇襲をかけると、エレメンタルドラゴンに切り替えウィザードオールドラゴンと四大元素の属性攻撃を浴びせ、クロスセイバーでストロンガーとパワーアップして鎧武極アームズと共に担当シリーズのライダーたちが使う武器を呼び出し、敵に向けて射出出来るというわけです。
どっち付かずでコピペのようなベルトや武器のギミックも、クロスオーバーを軸にすれば、どの作品が来ても合わせることができてしまう。
ブレイズだってピーターファンのライドブックでフックを装備したらライダーマンやフォーゼのウインチスイッ…
…え?もういいですって???
まあ、そんな感じでバスターは平成後半に増えたおっさんライダーの系譜だよねとか、スラッシュは音撃で響鬼にも合わせられて、見た目のポップさと二重人格でエグゼイドの横にもいられるね、とかどうにでもこじつけられてしまうオリジナリティの無さなんです。
良く言えば、クロスオーバーに対して"ALMIGHTY(オールマイティ)"ということになるんですかね。
クロスオーバー脳のヲタはネタに困らなそう。
なんなら、クロスオーバーが不発でもネットを盛り上げてくれるのはこういうクロスオーバー脳の特ヲタというところまで計算されたものなのかもしれません。
ファルシオン本来の変身者であったバハトを演じた俳優さんも元ライダー&戦隊とあれば、同じくスーパー戦記に放り込んでもクロスオーバーのネタになってしまいますもんね。
そんなこと言い始めたら、もう師匠たちのキャスティングがクロスオーバーネタ踏まえてるみたいところありますし。
例え素面の役者を用意しなくとも、ガワが並ぶだけでそこまで見据えてエモがれてしまうヲタクが目に浮かびます。
思い返せば、40周年を担当したオーズのデザインも胸にショッカーの鷲のマークを彷彿とさせるような鷹の意匠があったり、足には原点のバッターのモチーフだったりしました。
これにより、後にショッカーと戦う企画が控えていることに対する親和性とも取れて、(『セイバー』ほど他シリーズの雑コピペ感もなく)鷲と鷹で源流からは外れた作品であること同時に、バッタをメインのモチーフにしないことで源流ではなくともイズムは残っていることを示唆させているようにも捉えられるわけです。
私としては露骨にバッタモチーフに戻したりしてとりあえず寄り添ってる姿勢だけ見せたりしない、これぐらいの塩梅のオマージュが好きですかね。
逆にセイバーのワンダーコンボで中央に直接的に鷲が来るのにも雑コピペの形跡を感じなくも…
ファンタジック本屋かみやまに巨大ジオラマがある必要性はさておき、各シリーズに存在する名称の建物が街中にあるのは、『セイバー』が置かれた立場を前々から表現していたようにも思えてきました。
50周年目の作品だからこそ詰め込まれたメーカー側の試み、制作側の狙いの元、生まれたのが『セイバー』全体なのかもしれません。
○○風を楽しみたいファン層
突然ですが、この間Amazonプライム限定公開の『トゥモロー・ウォー』なる映画を観ました。
このブログ記事を書こうと考えた時、これを観て感じたものが参考になると思えたんですよ。
そして、その予想通りの物が得られた映画でした。
以下、あらすじをば。
タイムトラベラー達が緊急のメッセージを届けに2051年からやってきた。
その内容は今から30年後の未来、
人類はエイリアンとの戦争に敗れるというものだった。
人類が生き残る唯一の希望は、
今、ここにいる兵士や民間人を未来へ送り込み戦いに参加させること。
娘のために世界を救うことを決意したダン・フォレスターは、
地球の運命を書き換えるため、
優秀な科学者と疎遠になっていた父親と結束し戦いに挑む。
どうですか?
あらすじを読んで、見てみたくなりましたか?
SNSの感想には「『○○』が好きな人にお薦め!」、「『××』や『△△』の要素がある」と言ったような過去の名作SF映画との類似性を例に、楽しめると評価する概ね「賛」の声が多かったように思います。
薦め方に関してはよくある内容だと思いますし、私もやっちゃう薦め方なのですが、ぶっちゃけこのあらすじを見たら当然の列挙されるであろう類似作品なんですよ(笑)
薦められようが薦められまいが、こういう映画が好き人なら導かれるべくして導かれる一本だと思います。
嗅覚が反応するはずなんですよ。
何か感銘を受けた映画から「自称 映画オタク」を名乗るまでになってしまった者ならば、あの時に受けた映画体験を追い続けて、類似作品に良し悪し関係なくとりあえず反応してしまうものだということです。
では、話を仮面ライダーに戻しますね。
ブログを読んでくださってる貴方は何に感銘を受けてライダーを追い続けていますか?
…もちろん、感銘を受けただけで追っているわけではないと思いますが。
2次元より3次元派、幼い頃からの付き合い、子供向けと思って舐めて見てみたら予想を超えた…追い続ける理由は様々とは思いますが、皆さんの中にもライダーにハマる"親鳥"的追い続けたくなったのシリーズがあったはずです。
それは最初に見た作品なのか、何作か見た上で群を抜いて衝撃を走らせた作品なのか、"親鳥"との出会い方は色々あるにせよ、それは長く続くシリーズとしてあるべき姿として、もしくは「これを見るためにシリーズを追っている」、そんな1つの指標になっているのではないでしょうか。
白倉Pが手掛ける作品はその受け手が持ちうる"親鳥"を普遍化なものとして抽象化し、作品に練り込むこと(白倉三原則)で、広く受け手に「これはライダーだ」と思わせる効果があったように感じます。
ですが、やはりそれでは「これを見たくてライダーを追っている」タイプのファンなど全ての"親鳥"を網羅することが厳しく、「ガワのこういうシチュエーションが好き」という特定的な趣向の方にはやはり似たようなシチュエーションを用意する、もしくはその派生やひねりを加えたものを提供してあげる以外に満足させる道はないのでしょう。
デザストの参考になったかもしれない『電王』のイマジンズや『オーズ』のアンクと言った怪人が主人公のバディになるというキャラクターは仮面ライダーにおいてマストの立ち位置ではありません。
そういう枠は本来仮面ライダーには定着していないんです。
よっぽど、今では薄れつつある おやっさんの方が枠して確立しているはずでした。
私にとってのライダーの"親鳥"は『仮面ライダーアマゾン』で、仲間になる怪人はいましたが、シリーズとしては珍しいこと、主人公の真のバディではなかったことを理解していました。
時は流れ、『ゴースト』の放送時に登場した主人公の仲間になるキュビちゃんには似たものを感じ、重ねては一人盛り上がった記憶があります。
同じようにイマジンズやアンクの稀有な立ち位置に好感を持っている人にとっては、シリーズを追うキッカケの"親鳥"を模倣しているように見えるデザストの存在は貴重であり、「人と人ならざる者の友情が好き」でライダーを追いかけ始めてしまった人には何年目かの趣向が巡ってきた気持ちになるのかなと理解は出来るのです。
私からすれば、上の方で申し上げた通り、粗雑に描かれたデザストなどイマジンやアンクに遠く及ばない存在なのです。
しかしながら、全てのシリーズを網羅しなければならないという役割を背負った作品が『セイバー』だとするならば、特定のシリーズの象徴を想起させなくもないキャラが現れるのは必然で、例えそれが見る人によっては劣化コピーであっても渡りに舟になってしまうのかも…と、最近の急な掘り下げとそれに準じたネットのデザスト株の上がり方を見て思うのでした。
それなりに愛着さえ沸いてしまえば末路が見えているキャラに対して有終の美を迎えるのを見守るのではなく、行く末を尊重せず「死なないで」と嘆けるのがヲタクみたいとこもありますもんね。
(文責・湊 ルナ太郎)