ライダーヲタのネタバレなし映画『テネット』感想(+仮面ライダーセイバー 第5・6章感想)
ウクライナのオペラハウスで、突如としてテロ事件が発生。
現場に突入した特殊部隊に、ある任務を帯びて参加していた“名もなき男”は、大量虐殺を阻止したものの自身は捕らえられ、仲間を救うために自害用の毒薬を飲まされてしまう。
しかし、その薬はいつの間にか鎮静剤にすり替えられていた。
目覚めた“名もなき男”は、死を恐れず仲間を救ったことで、フェイと名乗る人物から、未来の装置「時間の逆行」を使い未来の第3次世界大戦を防ぐという、謎のミッションにスカウトされる。
鍵となるのは、タイムトラベルではなく“時間の逆行”。混乱する男に、フェイはTENETという言葉を忘れるなと告げる。
クリストファー・ノーラン監督の『テネット』観てきました。
公式の出すあらすじ以上のネタバレにならない程度の感想を書いていきますが、予告や前情報で皆さんもお察しの通り、巻き戻しの世界を扱ったSFということで、こんなデジタルの時代に「高画質の逆再生」というなんともアナログな映像体験を出来ると思い、ワクワクしながら見に行ってきたワケです。
CGに頼るシーンもありますが、通常で撮った映像を逆再生にしたり、逆行する世界観の再現のために逆再生を想定して演者が逆の動作をしたりする場面もあったりと非常に面白い(Interesting)な映画であったと思います。
テネットの感想をライダーと絡めながら
映画を見る前後に頭をよぎったのは『仮面ライダー龍騎』、そして『仮面ライダーカブト』の演出でした。
『龍騎』は当時フィルム撮影であったために、鏡写しであるミラーワールドの反転された世界を撮影するのに合成頼りで進むのではなく、普通に撮影したものを反転させていました。
ミラーワールドで反転していないはずのライダーたちは利き手を逆にして戦闘シーンを撮っていたという逸話は有名です。
『仮面ライダーディケイド』の龍騎回では看板などの備品を反転して用意する発想などの工夫で、演者が利き手を逆にして演技する必要がなくなり、撮影が楽になったという話もありましたよね。
『龍騎』はアギトから倍以上に増えたライダー同士のバトルに加え、さらに独特の世界観を創るエッセンスとして反転世界が用意されたのでしょう。
それに対し、『仮面ライダーカブト』はお話や企画性というより『響鬼』と真反対を行く、ワビサビの格好良さではない、スタイリッシュな格好良さをデジタル撮影導入で増幅させたように思います。
その刷新的な試みとして高速世界で戦うライダーという構成になっていったのでしょう。
つまり、あの倍速で動くライダーにほぼ動かない街並みという画がありきで生まれた作品だということです。
当時、あの画は斬新でしたね。
高速に動くライダーを演出する上で早回しすることで素早く見せたり、高速に動けるライダーだけが動き、あたかも翻弄しているように見せる演出は『仮面ライダーファイズ』でもありました。
しかし、さらにそこから、戦う敵だけでなく、張りつめた空気の流れる音を足し、車や生身の人間を少しずつ動かし(全く動かない時もあったけど)、雨粒の一つ一つが止まったように見せるなど、高速戦闘のアップグレードが朝の特撮に見られたんですよね。
逆に『仮面ライダードライブ』の重加速…通称“どんより”演出は『カブト』のオマージュ…悪く言えば二番煎じに過ぎず、“どんより”ありきの物語ではなく、あくまで『龍騎』的な世界観を作る添え物的立ち位置で、映像としての面白味は『カブト』に比べると皆無に近かったと思います。
福田監督は撮った映像を合成してスロー再生に見せるのではなく、役者にスローな動きをしているところを撮影することでヘンテコな画になったこともありますし、物理法則の理屈から重加速の範囲内で高所から転落しても衝撃が緩和されるため、主人公が落下する仲間を助けないという不誠実な描写もありました。
話を戻します。
今までにない映像を見せることで作品の世界観を映像から作ろう、もっと言えば、今出来る撮影技術で見たことない映像を作ろうとする意識の高さは『龍騎』や『カブト』から感じられました。
「初めてあの演出を見た時のワクワクをもう一度体験したい」、その欲望が私を『テネット』の観賞に気持ちを進ませてくれたのだと思います。
映画の感想自体はあちこちで溢れているので、細かく書き起こすことはしませんが、この「新しい映像体験をしたい」という気持ちは間違いなく叶えてくれるでしょう。
カブトとテネット
『カブト』の“クロックアップ”が映像的にも早送りの世界であるならば、カッシスワームが駆使する“フリーズ”が一時停止、“ハイパークロックアップ”は超早送りであり、時間を遡れてしまう巻き戻しの能力でありました。
しかし、ハイパークロックアップを使用したカブトはガタックが撃破される直前の時間に戻って見せましたが、逆に進む時間の中で敵に攻撃を加えたのではなく、時間を戻した先で、巡行して進む時間の状態で攻撃を与えてガタック撃破を阻止したわけです。
厳密には巻き戻しながらの攻撃ではありません。
では、実際に『テネット』のような逆行する時間で、巡行する敵に攻撃を加えて見るとどのような現象になるのかという話ですが、当時、実はそんなことを『カブト』を見ながら考えたことがあります(笑)
例えば、怪人がカブトに殴りかかり、拳がカブトに当たる直前に時間の流れを逆行に変えて倒してみたとしましょう。
拳をぶつけようとする怪人は振り抜いた拳を引っ込めながら踏み込んだ足を一歩戻していきます。
殴りかかる予定の腕は完全に肘が曲がった状態に戻っていき、怪人はさらに後ろ歩きする形で後退する動作をするでしょう。
じゃあ、このタイミングで怪人にライダーキックをお見舞いするとしましょうか。
ベルトのボタンを順序良く「1・2・3」と押し、カブトゼクターの角を逆に曲げ戻します。
「RIDER KICK」というガイダンス音を合図に、ハイキックレベルに高い位置の回し蹴りを怪人に繰り出し、浴びせられた怪人の爆風を背中に感じる形で右手で天を指し、天道ポーズをキメます。
では、この一連の動作を第三者の視点から通常の時間の流れで見てみます。
背を向け天を指すカブトに殴りかかろうとした怪人は突然爆風に包まれます。
カブトはゆっくり腕を下ろし、腕を下ろしきった刹那に後ろ回し蹴りをしながら爆風に包まれた怪人の方へ向き返ります。
爆風は物凄い勢いで収縮していき、木っ端微塵になった怪人が一瞬で戻っていきます。
怪人は殴りかかる初動の構えをしています。
変身ベルトは「クッイクアードイアル」とガイダンス音を発すると、カブトはカブトゼクターの角を逆の向きに返しては戻します。
するとベルトは「イイルス、ウウトゥ、ンアウ」とカウントを始めます。
カブトはそのカウントダウンに合わせ、テンポ良くベルトを弄ります。
怪人は殴りかかろうとした姿勢から、一歩足を踏み込み、握った拳を振り抜いてカブトの顔にまさに直撃しようとしています。
凄く間抜けな画ですよね。
順行…つまり通常の時間の流れで動く逆行カブトは文字通り逆再生の動きなので決めポーズを決めて技を放ち、逆さ言葉を発するのでしまりません。
逆行カブト目線で見ると決めポーズを決めたあとに爆風から後退りしながら怪人が現れるわけですから、倒した感もありません。
つまり、映像のために理屈をでっち上げても逆再生された戦闘は格好良く見せるのは兎に角難しいのです。
私の逆再生で戦うという妄想は不可能であることを悟り、ここで考えることをやめました(笑)
そんな矛盾をはらみそうな逆行アクションが繰り広げられる『テネット』の感想で「よく分からなかったけど格好良かった、凄かった」といったものがネットに溢れるということはめちゃくちゃ頑張ってるということなのでしょう。
ただ、逆行世界で敵を仕留める“攻”の表現が難解なものになるのは間違いないので、“ハイパークロックアップ”で時間を戻っていっても通常の流れで(順行)で敵と戦うのはやむを得ない表現になると思います。
少なくとも、ガタックを死の危機から回避したり『劇場版仮面ライダーカブト GOD SPEED』のようにそもそもの元凶の隕石をどこかへ押し返すと言った“守”の表現はまだ向いているのかもしれませんね。
とはいえ、先程の例に戻すと、逆行カブトは怪人が殴りかかられる危機がないと先の未来から逆行するキッカケがなくなるため、タイムパラドクスという矛盾が起きてしまいます。
ガタックを救えてしまえばガタックを救おうと時間を戻する天道の導線はなくなりますし、隕石を押し返せば元凶を遠ざけようとする天道の導線がなくなるわけで、あの天道はどうなってどの時間軸へ向かうのだという話になってきます。
こういった話だけでも時間モノはどんなジャンルにおいても成立させるのは大変だということがお分かり頂けるのではないでしょうか。
“T”で始まったら“T”で終わらなければなりません。
そして“E”と続いたら、終わりの前の文字も“E”に決まります。
…そんな視点が『テネット』という映画なのかと思います。
先週、TBSラジオでON AIRされた『アフターシックスジャンクション』の『テネット』評では「映像を作るものとして逆再生の映像に面白味を感じるのは必然ではないか」と言われていたように、あの不可思議な動きをする逆再生映像に金脈を感じ、それで作品を成立させ切りました。
そこがこの映画の一番の評価所なのだと思います。
『カブト』の次シリーズである『仮面ライダー電王』ではカブトのタイムパラドクスのリベンジとも言わんばかりにタイムトラベルモノですし、オープニング映像ではデンバードに跨がる電王や零れる涙に逆再生が使われているシーンなどがあり、東映サイドにも逆行映像に対する探求心を持つ者がいると垣間見えていたと思います。
タイムパラドクスに関しては、話の辻褄合わせに注視しすぎれば面白くなるようなことは何も事は起こせませんし、かっちょええ逆再生の世界にはなんとなく筋が通ってそうなハッタリと格好良さげなキャラ、組織があればいいのです。
そこを理解した上で『カブト』と向き合うと一概に「ストーリーがイマイチ」というだけの批判は、そもそも他を重視したが故に抽象的に描いたことで脆弱になっている部分を突ついているだけの見方のように感じます。
(電王のストーリーの良さもその反動があってこその作りと言えるでしょうし。)
ストーリー外の意欲的な部分も含めて評価出来ないのは間違いではないのかと『テネット』を通じて改めて思った次第です。
テネットとセイバー
映像に対する力の入れ方の違い
先週の感想を休んでしまいましたが、決して見ていないわけではありません。
『テネット』を見て『カブト』などに思いを馳せましたが、VFXの技術が進み、平成シリーズより格段に合成の進歩が見える『セイバー』にも思うところはありました。
例えば今回の剣斬vsデザストの決闘シーン、多角的に撮影しながらも合成とのズレが感じにくく、動きも『ビルド』の動きがガチガチなラビットドラゴンを思い出すと格段に滑らかで、最近のゲーム開発に使われているエンジンを使っているだけはあるのだと感じています。
デザストのマフラーを伝い、走りながら迫っていく剣斬なんてハリウッド映画で見ていたものですからね…数年前に。
最新のエンジンを詰むことで、何年か前のアニメのあのシーンを再現したり、数年前のハリウッドのアクションシーンをやって見せるという方向性でCGが多用されているのを近年のライダーから感じるのですが、そうやって第一線で新しい映像を作る業界のお尻を少ない予算ながら周回遅れで追いかけ、「この時間帯でやる作品の割には」と力を入れることだけでいいのかなという気持ちがあります。
画質としての差がなくなり実際に撮った映像とシームレスになっても、ライダーの実写で撮る動きや画が大がかりなCGとで離れていってしまうのは手放しに喜んで良いものなのでしょうか。
その点で言えば、今回の剣斬の動きは非常にバランスが取れていましたが、このスタミナを絶やさず一年間走り抜けられるかも『セイバー』の見所になるかと思います。
火薬を使わないCGの爆破や空中戦になった途端にフルCGになることに不満はないのですが、『テネット』や『カブト』のようにカメラの撮り方で面白く見せようとする工夫がどんどん薄れて行くのは悲しいですよ。
例えば、特徴的な戦い方を見せた『カブト』の後に始まった『電王』は、普通の状況下での戦闘でありながら『カブト』で連発した代名詞のライダーキックを基本フォームでは封印し、初戦の必殺技はデンガッシャーの刀身目線となり怪人に振り下ろされるという新しいアングルで魅せてくれたのです。
セイバーのように変身シーンにバンクを用意するのは結構なことですが、2つの画を合成して変身していくアナログな手法はどんどん単純化し、監督たちが撮り方の工夫に比重を置かなくなるのは個人的には楽しみがなくなった感覚なのです。
変身シーンの大喜利みたいな各監督の試みが好きでしたね。
CGを使って、どうあのハリウッド映画のアクションシーンを再現するかアニメのあの戦闘を再現するか、そこのチョイスが監督の個性や手腕になると思うのですが、クレーンやスライダーを使った古典的ながら個性が光る変身や戦闘のシーンの画も久しぶりに見てみたいものです。
セイバー第5・6章感想(組織の作り込み甘くね?)
親子の因縁に、とにかく強いエース、ライダー俳優の投入をしても面白くないなら終わらせてしまえば良いと思います。
とりあえず、燃料を積んだ分の盛り上がりは見せられた第5・6話だと思いますが、ある意味、そうなって当然かなとも思っています。
この記事で散々話してきた『テネット』という映画はざっくり言えば、テネットという謎組織に所属した主人公が謎の敵組織と戦っていく話です。
映画を見終わってみて、主人公の組織を具体的に説明できるかというと私には出来ません。
出生やどれぐらいの規模なのかよく分からないまま終わってしまうからです。
しかし、何度も同じ話にしてしまいますが、この映画は組織の作り込みが大事なのではなく、新しい映像体験が大事であって、そのギミックを披露するための道筋としての物語に過ぎないのです。
なので、この組織のディティールなんて多く語ったところで長尺の映画の蛇足になるんですよね。
では、『セイバー』はどうでしょう。
『セイバー』は『カブト』のようにCGを多用しアクションシーンのバージョンアップを図っているのものの、未知の映像体験に重きを置いた作品ではなく、先程お話しした他業界で取り組み済みの画の再現以外では、戦隊の構成に他ライダーの群像劇を楽しむを重視しているのは間違いないと思います。
わざわざ横並びも考慮した変身のバンク演出や出し惜しみなく各エピソード毎、順々に戦士が増えていく構成がその証明になっていますよね。
であれば、戦士の所属する自身の勢力のディティールは大事になって来るでしょう。
では、第5・6章で判明したソード・オブ・ロゴスの詳細、それにより生まれた謎を整理して行きます。
・カリバーはエスパーダの息子
→賢人が就く前の、エスパーダの先代は誰?
・バスターとカリバーが親友
→子供の年齢が離れすぎているので年齢差が大きいのでは?
→そらや賢人の母親は何をしている?
・剣斬はずっと奥の間で修練していた
→いつから修練していた?剣斬の就任はいつ?
→先代の剣斬は誰?
・「本業は小説家、賢人と幼馴染み、よろしく」「下っ端か、マジ無いわ。」
→剣士の序列は就任順?
→賢人と幼馴染みという特別な関係があり得無い?
→剣士を副業としていることが腹立たしい?
台詞自体はありませんが、第5章では“子育て王”の象徴であった 尾上そらが消え、第6章ではバスターが消えました。
本来なら、「バスターはカリバーの捜索をしています」など不在の理由をつけるべきなのですが、もしかすると『響鬼』のようにシフト制、任務によって適任を派遣するなどの役割分担がソード・オブ・ロゴスには存在せず、なんとなくレギュラーで赤・青・黄の剣士はいて、バスターと剣斬は『カブト』のドレイクやサソードのようにいたりいなかったりの準レギュラーライダーとしてこれから回して行く気なのかもしれません。
第5章は監督の性癖なのか、北極に本拠地のあるはずのソード・オブ・ロゴスが飛羽真の近所のビルの屋上で休憩する描写が見られました。
バスターはどこかで炭酸飲料水を買い、笑い所として中身をぶちまけていましたが、剣士は日本のお金を所持している、もしくはキャッシュレス決済が出来たりするのでしょうか。
あまりにも現代社会慣れしているバスターに、本でしか日本での営み方を知らないブレイズとは矛盾しています。
別に、剣士がペイペイでマネー決済してようが日本の銀行に口座を持っていようが構わない…むしろそのディティールを説明したらリアルに剣士たちを感じられて視聴者には面白いと思うのですが、ブレイズの世間知らずを面白がる方に振ってあべこべになっていますよね。
ましてや、独自の世界観で戦う格好良い映像に特化させたことで、主人公が属さないZECTという組織が詳細に描くことに尽力しなかった『カブト』とはワケが違うと思います。
裏組織にしたって現代と乖離している部分が多いですから。
組織の説明が大事なのに疎かにして話を進めてしまった作品だと私は『仮面ライダー剣』が浮かびました。
後半の巻き返しはともかくとして、ろくに主人公の所属する組織が見えてこないまま、裏切りや壊滅状態の施設を見せられても受け手は理解しきれませんよね。
まさに『セイバー』もその状態に近く、ソード・オブ・ロゴスがよく分からないのにアヴァロンだ禁書だと言われてもイマイチ入ってこないのです。
ましてや、他ジャンルの流行りを反映させようとする思惑は見えるだけに、ディテールが一応考えられた所属チームは世界観を作ること、それが受け手を作品に没入させることを『鬼滅』のような一大ブームを起こす最先端の人気作品から傾向を嗅ぎ取れなかったら終わりだと思います。
気になったところを順々に
ブレイズ…倫太郎との相違でいえば、仇に対する復讐心もまた他の剣士とズレがあります。
ズオスは先代のブレイズを葬ったことが第6章で明らかになりましたが、第4章ではデザストが鷲の剣士を仕留めたことが明かされたのに対して、怒りを見せず落ち着いて相手していたバスターがいましたよね。
単にカリバーを親友と見ていたバスターが他の剣士と関係が浅かったのかも知れませんが、15年前の決戦を生き抜いた猛者は気性が荒い性格のはずなのに仲間の仇に冷静ではここも矛盾しますよね。
デザストの強さで言えば、結局どれぐらい強いか分からないままです。
初戦、バスターに相性が良いとされる玄武ジャッ君(文字を打っていて恥ずかしい)相手に撤退したのに対し、剣斬相手には同じく相性の良い子ブタ技の前にしっかり爆散して倒されてしまいました。
デザストはメギドでまた召喚出来るため今回はあっさりやられて見せたのかもしれませんが、いくら強さに固執している剣斬とはいえ15年選手のバスターを差し置いて「バスター<剣斬」の図式を作ってしまっていいのかな?という気持ちになります。
先代の剣斬がデザストに沈められたのなら多少の因縁もあるかもしれませんが語られていませんし。
それにしては剣斬の剣士のしての天才っぷりがアクションではなくお話としてイマイチ見えてこなかったり、賢人に執着する理由が語られないため、キャラを立たせるためだけにヘラヘラしながら「マジ無いわ」と言わせてるだけのキャラに感じてしまいました。
強さの話で言えば、ピラニアメギドの強さも良く分からず、
ピラニア(弟)vsセイバー(ドラゴンヘッジホッグピーターファン)
第5章は3冊挿しで倒された弟に対し、複数挿しに頼らないで兄を倒したことでエスパーダの強さを見せつけたはずですが、第6章では
ピラニア(♀)vsセイバー(ドラゴンイーグル子ブタ)
でいう対戦カード倒されており、エスパーダでいえば2冊挿しで戦うなんて今回は強かったのか、変わりないのか。
変わりないなら兄弟設定はどこにいったのか、良く分かりません。
ハンザキメギドのようにいきなりパワーアップしたりしていませんよね?
メス個体の声優さんは『ゼロワン』でオーディションに参加する役も演じているようでAPの湊氏が贔屓しているのは分かりましたが。
こんなように1つのことを気にすると芋づる式に不明瞭なところがどんどん見えてくる『セイバー』。
『ゼロワン』では或人の私生活が見えてこない問題がありましたが、ソード・オブ・ロゴスの面々が何をして生きてきたか見えてこない分、掘り下げの浅さは『ゼロワン』を越えてくるかもしれないとキモを冷やしております。
『テネット』も組織の体制やキャラの掘り下げが浅いかも知れませんが、『セイバー』よりも掘った跡がありますし、何より映像がそこを気にさせませんから、安心して見て頂けると思います。
最後に剣斬周りで気になったこと
風の戦士で、スピードタイプ、勝負っ気が強くて生意気な若造…それって『リュウソウジャー』のトワですよね?
ゴーストPが関わった作品だからと言ってライダーでも類似品を出す必要があるのでしょうか?
剣士には師弟関係があって、師匠の仇を取る思いや、師匠がそもそもニチアサのレジェンドであることが『リュウソウ』ですしね。。。
重複しますが、剣斬を見せたいのであれば、もっと剣の才能が本人にあることをよく見せるべきだったと思います。
例えば、生身で雑魚メギドや子ピラニアのメギドを簡単に倒してしまうとか。
そして、賢人を何故好きなのかというエピソードも触りだけでも語る必要があったんじゃないかなと。
お世話になったのか、エスパーダの太刀筋に惚れたのか、それを語るだけで剣斬の生意気だけではない人柄に奥行きが見えてきて、もっとキャラクターとして好きになれる気がするのですが。
何より、飛羽真の全肯定キャラがあの生意気な言い草の剣斬に適応されないなんてお飾りの設定ですよね。
結局、フックとして時代の流れに乗った、流行りの芸風を取り入れようとしただけで『キラメイジャー』ほど世相を反映させる意識が持続されない、作りがとにかく甘い作品だと思いました。