ルナ太郎の腹筋崩壊ブログ

私は…仮面ライダーゼロワンの気になった所を大人げなく殴り書くのが仕事だから!

【ネタバレ注意】控えめに言って劇場版ゼロワン最高でした!今まですみませんでした!!【手のひら返し】

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監督なのでアクション面はある程度の保証がありましたが、何よりシナリオが最高でした!

劇場版の良かったところは、何と言ってもTV本編の描き切れなかった部分の全回収でしょう。

ある種の仕切り直しでありながら真の完結版と言っても過言ではありません。

TV本編ではおろそかであった、飛電或人という人間の共感しにくさや、仕事を奪われた人間はどうなる?など、これらをいつものように問題提起だけして有耶無耶にしたり、ギャグにしてお茶を濁すのではなく、しっかりとそれに対する答えを出しているのです!

映画公開後に公式から出たプロダクションノート(インタビュー書き起こし)を引用しつつ、映画の良かった部分について振り返ってみたいと思います!!

 

 

 

 

 

映画本編の新キャラとおさらい

 

あらすじ

突如、各テレビ局が天津垓によってジャックされ、飛電インテリジェンス一帯の爆破予告がされた。

遡ること数時間前、或人の元に刃、垓、迅が召集され、エスを名乗る謎の人物から決闘の申し込みのメッセージが届いたことが知らされる。

エスという名前に身に覚えがあると話す垓は代わりに彼と決闘させてほしいと或人に申し出るのであった。

垓の様子に心配になった或人は、垓が決闘の場に指定したデイブレイクタウン跡地にあると言われる地下都市へと密かに着いていくが…。

 

 

 

朱音

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ヒューマギアに職を奪われた大手メーカーの元 契約社員

収入がなくなり、デイブレイク跡地にある幻の地下都市に住居を移すことを決めるも、ホームレス生活初日に天津垓とエスの対決に居合わせてしまう。

共働きだった両親のため、子育てヒューマギアに面倒を見られた過去からAIに恩を感じており、ヒューマギアや飛電インテリジェンスを恨むに恨めないでいる。

 

 

エス

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13年前に始まった天津垓の計画のため、この世の悪意をラーニングさせられた実験AI、プロトタイプアーク。

様々な悪意をラーニングさせられるも天津垓の思い描いた結論に至らなかったため破棄されてしまったが、電脳世界に残った彼の一部は是之助を通して人類の未来に淡い期待を抱きつつ動向を見ていた。

しかし、代わって或人が社長の座に就き、是之介同様の期待をかけるも、お仕事5番勝負の結果やアークワン騒動を受け、満を持して人類が不要であったことに気付き、アズに手を貸す形で今回の事件を起こす。

飛電インテリジェンスのトップの座から或人を引きずり下ろし、飛電が持つ世界中の顧客情報を掌握し、わずかでも悪意を持つ者の位置を探知、アバドンを介し次々と処刑していく計画だった。

或人との決闘に備え、万が一を想定し宿す肉体は2つ用意していた。

 

 

 

TV本編を精算するために

 

朱音が見る側に或人の境遇を身近にさせた

 

朱音は或人をもっと受け手にとって身近な存在にさせた再構築したキャラだと、脚本を担当した高氏はインタビューでこのように語っていました。

 

高梨:

TV本編において或人は非常に共感しにくい主人公だったという反省がありました。

つまらないお笑い芸人がヒューマギアに仕事取られたものの、家はヒューマギアの会社経営していたので代わって社長になれ、目の前で父親の顔したヒューマギアが自分を庇った過去を持っているなんて複雑すぎて視聴者には或人の胸中が分かりにくかっただろうなと反省していたんですよ(笑)

なぜつまらないお笑い芸人なのか?

なぜ今になって家を継ぐ気はなかったのか?

どこまで其雄ヒューマギアを家族のように思っていたのか?

そんなノイズを減らして、もっと現実的に起こりうるであろう近い未来と今の社会問題を絡めて語るべきでした。

そこをやり直すために朱音という存在を用意したんです。

決してただの再生産ではありません。

 

もし劇場版の中で改めて飛電或人を説明しようとすると、どうしても崇めるキャラたちの聖人扱いが鼻についてしまいますし、ほぼ即席で考えられ あたかもそうだったように辻褄合わせの後付けで出生を語られても「知らん」って話ですもんね。

そんなノベライズがライダー作品がありましたよ。

 

 

敢えて、別キャラを「或人のようだ」と語らせることで、ゼロワンの解像度をグッと上げてくれたような気がします。

 

作品のメインプロデューサーである大氏はインタービューで

 

大守:

TVの主題歌『REAL×EYEZ』は平成ライダーの主題歌の作詞をいくつも手掛けた藤林聖子が産み出した ゼロワン内で頻繁に使われる“ライズ”と英語の“realize”をかけた造語ですよね。

プロの仕事っていうのはこうあるべきで、ただただここに便乗して「リアライジングホッパー」などを最終回にでっち上げて盛り上げようとする実力の無さに情けない気持ちがありました。

なので、また『REAL×EYEZ』に乗っかる形でただ『REAL×TIME』にしてはイケないという思いが強くて。

TV本編前のファンの考察で面白いものがあったんですよ。

或人という名前の由来はパソコンのキーボードにあるAltキーから来ているというものです。

そこを取り入れまして、この映画は「Re"Alt"IME(=或人の入力変換キー)」として、副題「REALTIME」とするところまで持っていきました。

無理やりに感じるかもしれないですが、ゼロワン好きな人ってとりあえずこういう言葉遊びが好きですし、TV主題歌に負けないぐらい裏の意味を持たせたいなって思いまして(笑)

没案で“り”で始まるゲストキャラ*1と“ある”で始まる或人が主軸の物語だから「“りある”タイム」という候補もあったんですが、言葉遊びにしてはさすがに或人のギャグ並に程度が低くて稚拙なのでやめました。

 

とも述べています。

最初に天津垓が彼女と出会った時、「まるで君は飛電或人だな」と言葉を漏らしますが、まさにそこが本質なんだと感じました。

 

高梨:

朱音が自害しようとする垓を止め、「だって、今、貴方のこと止められるの、私だけだから!」と伝えるシーンがありますが、この言い回し、そのままゼロワンの決め台詞なんですよ。

 

この台詞を成立させるためにわざとらしくゼロワンにしか敵を止められない構図に持っていきがちだったTV本編に対して、ありがちなヒーローものの形式的な禅問答ではなく、ちゃんと会話として成立させているどころか、この台詞を言い放つ必然性にスムーズに言葉が入ってきました。

むしろ、或人は今まで、その場の状況や相手との因縁に対するロジックでこの決め台詞を使いますが、今回の元 或人崇拝者であったエスとの最終決戦で放ったゼロワンの決め台詞もそうですし、朱音の言葉もそう、「俺がやらねば誰がやる」精神で力を持つ者として重要な責任感を込めて発しています。

朱音は出会いから垓が自殺を決意していることを見抜いていたのは、垓が先に行かせようとするシチュエーションで「一緒に」とことごとく拒むシーンで察しがつきます。

TVシリーズの第1話では、ベローサマギアを倒せるのは自分しかいないという変身の動機ではなく、「夢を笑う者を打ちのめしたい」という報復が動機のニュアンスとして強かったため、それでヒーローとするには責任感や使命感が乏しいように感じられました。

というか、TV本編の欠点は社長という人の上に立つ立場でありながら不誠実にさえ思わせる或人の無責任な言動の数々があったことだと思うのですよ。

この責任が込められた決め台詞が『ゼロワン』で聞けて報われた気がしました。

 

 

 

TV本編では語られたかったAIに失業させられる人々に対するアンサー

 

先ほど高梨氏がお話ししていた朱音の台詞、「だって、今、貴方のこと止められるの、私だけだから!」の元であるゼロワンの決め台詞は、ゼロワンの0と1にかかった「“O”nly “One”」の要素から来ているのは皆さんもご存じのことかと思います。

(「1人、俺(0)だ」もかかっていますが)

ここから「自分にしかできない」ということを凡人である、下手すれば貧しい状況にあったゲストキャラに絡めて、そこにいる意味、すなわち存在意義として解いたのは非常に良かったですね。

向いてない職から転身して祖父が積み上げた莫大な富を手に入れた輩に、「俺だけだ!」と言われたところで説得力がありません。

天津垓の「今日の私が生き続けるのに君は必要な一人だった」という感謝の言葉は、映画における二人の関係性だけを指すものではなく、もっと普遍的な意味に繋がり、人は「AIに代われない1人(Only One)である」ことを示せたのではないでしょうか。

 

高梨:

チェケラ回で反対派に言わせたセリフの中に「AIに職を奪われた人はどうなる?」というものがあって、或人にそれらしいことを雰囲気で言わせて明確な答えを出さなかったのですが、「子供番組で先行き不安な問題提起だけしてこちらから何も示さないというスタンスは大きな過ちだったのではないか?」と後悔しました。

少なくとも、私、ゼロワンの制作側からこういう答えなのかな、というのを示すために作られた存在でもあります。

 

コロナ禍においてゼロワンはどのようなメッセージを提示するのかと鑑賞していたのですが、救出されたホームレスに再起出来る救済の場が明示されたり、朱音がこの騒動を経てまた新しい一歩を踏み出してみせることで困難な状況下で職を失った方々への激励が込められているというのももちろんそうなんですが、今、このコロナ禍で把握されていない職を失った方々の苦しい状況を今一度私たちに認知してもらおうとしているのだと感じました。

さすが職業紹介に重きを置いて始まったゼロワン、職の無い者という社会問題から目をそらさず、切り込むのは実にらしいのではないかな、と思うんです。

もし、AIとの共存や職業紹介というゼロワンらしさを捨てて、「ナノテクノロジーが凄い!こんな風に技術が発展するなら新種のウイルスも大丈夫だね」なんてメッセージを発信しようもんなら気休めもいいところですし、軸がブレブレですもんね。

 

高梨:

社長室のラボにある便利3Dプリンタって無から何でも作っちゃうので現実的な近未来のテクノロジーを引っ張ってきても霞んじゃうんですよね(笑)

 

 

 

エスに託された宿敵たちの遺恨

 

大守:

エスはウィル、天津垓、アークの集大成的存在として作りました。天津垓がAI犬の過去で是之助とのエピソードをあやふやにしてしまったために、信じた者の憎しみとしてのやり直しを図っています。

どれも当初の想定していた動機を変更したり、訴えに対して解決策を見出ださないままだったので、改めてエスにその役割を担わせてTV本編で示すべきものを示し直すことにしたんです。

 

この「想定していた動機」というのは天津垓が飛電を恨む理由などでしょうか。

ウィルは昨年度の冬映画で「ヒューマギアの労働に対価を」と訴えていましたが、ここに対してはエピローグでTV本編から続投のマギアナ*2の読み上げていたニュースが思い出されます。

 

 

本日の会見で、飛電インテリジェンスの社長 飛電或人氏はヒューマギアの貸し出す料金の一部をヒューマギアに自由意思で娯楽やお洒落などの用途で使うことのできる、実質的な給料として割り振る方針を決めました。

 

 

これは間違いなく、ウィルの投げかけに対するアンサーなのでしょう。

是之介ですら曖昧に終わらせた部分を継いだ或人が受け止め、彼なりの答えを出したということになります。

正直、ウィルの反発動機を聞いた時は「どうせもっともらしい理由付けて悪役に仕立てあげて何も考えてないんだろうな」と思っていただけに、そこまで回収したゼロワンチームの完結編に対する構成力には感心させられました。

 

高梨:

MCチェケラが悪意を取り入れてしまい、結果的に破壊衝動からアークの介入なしにマギア化してしまうというお話はこれからの展開に対する暗示のつもりだったんですが、視聴者には大分不評でした。

チェケラ回を有耶無耶にしてTV本編は進んでいきましたが、やはりあの回と向き合わなくては本当の意味でゼロワンは完結できないと感じていたんですよ。

これはもう一度向き合い直した方が良いなという制作チームの話し合いの元、近い形でエスも破壊衝動を持ってしまうという流れに。

エスは実は2体いたという複数形を表す“s”と衝動という意味の“es”から来ています。

 

或人の目指す先に淡い期待を抱いていたMCチェケラも踏まえた動機ということになるのでしょう。

ヒューマギアが自発的に悪意に目覚め、ただ破壊されていったのでそこの語り直しも図っているとはお見事です。

同時に或人の言動やゼロワン本編の結論に疑問を感じた視聴者の投影にもなっていて隙がないなと唸るばかりでした。

 

また、今回の「お前を止められるのはただ一人、俺だ!」と言う台詞はエス的に「アンチ或人の怒りを鎮められるのは或人だけ」という関係性も表しており、今までとまた違った意味合いが込められていたのが面白かったです。

 

 

或人の成長、垓の贖罪

 

大守:

或人の再入力はゲストキャラに任せましたが、或人本人の成長も当然見せなければなりません。

 

高梨:

台詞の言い回しで達観したように見せて なんとなく成長してる風を演出するなんて小細工はただただ不誠実なので、エスからの挑戦状が届いた際には刃や垓、迅を呼んで相談して、冷静さと協調性を見せられるように心がけて書いていきました。

アークワンの一件もありますから、エスからの挑戦状を誰に報告をするでもなく、単独行動をするのは社長以前に社会人としてダメですからね(笑)

 

ー代わりに垓が相談無しの単独行動に出ました。

 

大守:

垓はTV本編で黒幕的扱いで中盤から登場し、仲間入りしていく前段にその罪滅ぼしとして刃の辞表パンチや亡のパンツ一丁攻撃で精算したつもりが不評でしたね。

敵側の報復を味方側が報復で返す構図は子供に見せるのは良くなかったのかもしれません。

100%の名がつく裸芸の芸人さんを呼んで、エスの秘密を握る役として垓に全裸にする拷問でもさせようかと思ったのですが、それでは何も成長していないなということになったんです、僕らも含めて(笑)

TV本編では半沢直樹を意識して土下座をさせたりもしましたが、何故子供向け番組で半沢直樹の陰湿なイジメシーンをオマージュする必要があったのか…冷静になった今では恥ずかしい思いです。

それに初期案のエスは婚約者がいてデイブレイクの爆発で亡くなったという予定だったので、デイブレイク事件から何かしら語る上で「結局、天津垓が元凶なんじゃないの?」とよぎってしまっては垓が映る度に物語のノイズになってしまうなと。

なので、今回の映画でしっかり精算しようということになりました。

そうすれば、今後のVシネなどの外伝でも動かしやすくなりますし、TV本編を見直した方も垓の見方が良い意味で変わってくるんじゃないかと考えて、自責の念で苛まれなくなった垓が単身でエスとの決闘に自らを命を捧げる形で終わらせようとする流れになったわけです。

 

高梨:

垓が決闘の場に選んだのがデイブレイクタウン跡地なのも、TV本編の反省を踏まえています。

ゼロワンの物語はデイブレイク事件から動き始めますが、この跡地って中盤からよく分からなくなるんですよね。

滅亡迅雷.netが一度解体され垓のメタルクラスタを造る場になったかと思えば、匠親方が壁に穴を開け、今度は滅たちのアジトに戻り、乗っ取られる形でアークのモノに。

アークを倒した後は非常に不鮮明だったということで、その因縁の場所でちゃんと終わらせようということになりました。

それだけでなく、決闘に居合わせてしまった朱音のために起爆までの時間を30分も取ってしまったことで垓の中に実は存在した他者への優しさを見せられればと思いました。

「悪者の振りをすることで市民の避難を促し、ホームレスの方々や朱音を助け、それで自分は死ぬ覚悟だったんだから許してやってくれ!」という気持ちで必死に書きましたよ(笑)

 

エスとの決闘前、垓はイズに「万が一の時には」と、さうざーたちを託す姿も印象的でしたね。

土下座のような表面的ではない、内から出る誠意が垣間見えたと思います。

 

 

大守:

逆に或人は自分のイズに対する素直な気持ちを伝え、イズの無理なお願いにちゃんと耳を貸すなど、行動で成長を見せるように心がけました。

少しの情報から朱音が昔大事にしていたヒューマギアの見当をつけたり、ヒューマギアを考えた制度に改定したりと、TV本編出疎かだった社長業の側面での成長も見せたつもりです。

 

高梨:

どうしても、イズとのやり取りを引き立たせるため、イズに頼る構図に向かいがちでしたので、そこは注意しましたね。

 

—記者会見でギャグを我慢する或人にも成長を感じました(笑)

 

成長と言えば、エスによってゼロワンドライバーを介してライズフォン使用者の全顧客情報を抜き取られそうになった際、サーバーがロックされ、外部からのアクセスが完全にシャットアウトされた時のやり取りが印象的でした。

アークの同様、ゼロワンドライバーがジャックされて二の舞を踏むのかと思いきや、今回は万全に対策を取っていたという。

 

社長権限であっても顧客データを持ち出そうとする行為があった場合、データをロックするようにプログラムされています。誰であれ許される行為ではないからと。これは或人社長のご指示です。

 

大守:

TVシリーズの時、「何をやっても許されるのは、ただ一人!社長特権を持つ俺だ!」になっていないかというライダーファンの指摘を読んでハッとなったんですよね。

社長という立場に甘えず、ヒューマギアも守りますが、人間もしっかり守る。

そんなスタンスを見せてこそ、成長を見せられると思ったので良い描写になったと思います。

 

高梨:

実はこれ、病院回の個人情報流出を気にする或人のカウンターになっていて(笑)

最新の病院事情の紹介として個人情報の管理について触れたんですが、健康診断中に唐突に或人がそんなこと気にしたり、ギーガーにサーバーが直接吸われていたのにもかかわらず、それがなんの目的だったかも分からなかったりともうグズグズだったんですよ。

我ながらあそこは本当に意味が分からなかった…。

自分の個人情報流出を気にする或人」から「顧客データの流出を防ぐ或人社長」に成長したところを是非見てほしいですね。

 

大守:

成長したな、或人!(笑)

 

高梨:

其雄構文でいじるのやめてください!!(笑)

 

アークの時は脅威として破壊して終わりでしたが、エスの悪意を検知する能力を買って、最終的に飛電インテリジェンスの個人情報から脅威となる悪意を検出した際は知らせるセキュリティとしての協力を仰いだところまで含めて、或人の成長が見えたように思えました。

 

 

 

 

「REAL×TIME」はいかにして作られたか

 

エスの動機と目的

 

高梨:

夏映画でやる想定の時は、別の案として、敵である伊藤英明さんには婚約者がいてデイブレイク事件で亡くしてしまい、データ化して仮想世界でなんとか生かしていて、そこに善良な市民をデータ化して移して理想郷を作ろうとする科学者…というシナリオにしようかと構想を練っていて。

それがいよいよコロナの影響で冬映画にズレそうだと分かった頃に公開が『鬼滅の刃』の映画の後になることが判明したんですよ。

それでゼロワンの制作スタッフで映画になる“無限列車編”を読んでみたんですよね。

そしたら、敵が夢を見せる能力…理想の世界で幸せに過ごしてる間に食べてしまおうという鬼で、主人公の炭治郎が亡くした家族が生きてる理想郷を断ち切って乗り越えるというお話で、これはマズいと(笑)

 

―マズいというのは、真似したと思われてしまうと?

 

高梨:

鬼滅の敵は幸せな夢を見る人間を見て嘲笑うサイコパスですから、真似したと思われることはなさそうなのでそこの心配はしていなくて。

炭治郎は物語の始まりから妹一人以外の家族を失ってしまいながらも懸命に生きる少年です。

そこに秘書アンドロイドの死を受け入れられずもう一度同じ秘書アンドロイドを作ってしまった或人が伊藤英明さんに「悲しいだろうけど死を乗り切れ!」と説教するお話は非常に分が悪い(笑)

ただでさえ、鬼滅を見に来る人は悲しみを帯ながら懸命に生きる炭治郎を知っているのに、ゼロワンを見に来る人に婚約者を失った青年を知ってもらうところでハンディがありますし、そこに死を乗り切ることに説得力のない或人がいるとなると…。

 

大守:

私は大丈夫じゃないかと思ったんですけどね。

高梨さんが凄く心配されていたので、今のプロトアークの復讐・報復路線に完全に舵を切りました。

伊藤英明さんの年齢を考えても朱音役の女優さんが若かったので婚約者という設定は無理がある気もして、父と亡くした娘の話はしていますし、中途半端な年齢差だなと。

なので、思いきって朱音はエスと関係ないキャラになりました。

それで次は人類に対しての報復に何をしようとしているかという話になり、滅亡迅雷.netの掲げた漠然とした人類滅亡計画をただもう一度やるというのは芸が無いだろうということになったんですよ。

それじゃあ、人間をデータ化して仮想世界で管理しようとするところだけ残そうかという話にもなったんですが、勧善懲悪でありがちな支配欲や人間をデータ化しようとするのはドライブやエグゼイドで既にやっています。

 

高梨:

それならとゼロワンのTV本編で語られていない「飛電インテリジェンスはライズフォンで名を上げ、大企業になった」という死に設定を活かそうと思ったんです。

 

―それでライズフォンの個人情報を読み取り悪意のある者、悪意を持ちかねない予備軍を処刑していこうとするエス像が生まれたというわけですか。

 

大守:

天津垓は飛電を乗っ取りヒューマギアを破棄しましたが、そもそも飛電インテリジェンスはZAIAにとっても有益な顧客情報を抱えているのに一切触れませんでしたから(笑)

今、日本ではマイナンバーカードと銘打って国民をデータ化して個人情報を細かく管理していいのかという問題もあります。

若者に人気のTikTokがサービスを停止することに戸惑うニュースもありましたし、先日、Googleの不具合が出てYouTuberが悲鳴をあげていましたよね。

IT社会になって個人情報を扱うサービスやクラウドSNSに依存しすぎることは危険もある、という真っ当な問題提起になるのでその路線でいきました。

社会問題を切るなら実のある議題をあげるべきです

 

高梨:

敵の狙いは何かというのは、実は難しいんですよ。

大守さんが仰られたようにありきたりなものにすると敵自体が薄っぺらく見えてしまうし、具体的にしすぎてしまったが故に物語の本題とズレが生じることがあります。

悪意ある人間を選び、その対象を不治の病や脳の人体実験に利用し、種としての人類を守る理想郷のために有益に命を使うという計画にまで掘り下げた話も考えたんです。

でも、これだと医療問題や死刑の是非、命の重さを問う方に主題がズレかねませんので、今の塩梅に落ち着きました。

AIが人間の体は不要だとデータ化したり、自身が肉体を持つことを拒んだり、逆に人間に憧れて肉体を欲したりというのはSFモノでよくある話なので、そっち方向に膨らませようかと思ったんですが、それはそれで今度はヒューマギアの存在を否定するような身体を必要としないアイちゃんについて触れ直さなければならなくなるのでやめました(笑)

あの子、設定的にはホント邪魔なんですよ!

 

一同:爆笑

 

 

 

 

リアルタイムサスペンス

 

大守:

『REAL×EYEZ』の便乗で副題を『REAL×TIME』にしようかというところに『24』の日本リメイクをテレビ朝日でやるというのを小耳に挟んで、『24』のリアルタイムサスペンスにも便乗しようと思いつきました。

ゼロワンはTV本編の話数も少なくなったので欲をかいて80分の尺を頂き、内の60分をリアルタイム進行にしようと。

しかし、いざ企画を進めてみると『ゼロワン』ってリアルタイムサスペンスに向かないんですよね(笑)

 

高梨:

『24』は24時間、丸一日という長尺でリアルタイムサスペンスだから大規模な事件でも成立するんですよ。

その規模を60分で描こうとするのは、リアルタイムじゃなく、移動描写を短縮することに違和感がない、普通のアクション映画で良いんですよね。

そもそも映画というのは2時間…最近では90分ですが、その尺で何日、何十年にも渡る他人の人生を追体験できるのが映画本来の強みですから。

60分のリアルタイムサスペンスなら、むしろ こじんまりとした密室のシチュエーションの方が向いているんです。

バラエティー番組ですが、やれて『逃走中』の大きい施設ぐらいが関の山かと。

 

―だから、垓パートは舞台を開発途中で頓挫した地下都市という限られた空間に限定し、リアルタイム脱出になったというわけなんですね。

 

大守:

本来なら、『クウガ』のようなリアル志向の作品の方が向いているのかもしれません。

担当する杉浦監督は昼間に戦っていたら急に夜になるような時間経過を気にしない演出を好む方なので頭を抱えました(笑)

監督の好みに合わせるためには、例えば昼夜ごっちゃになっても問題ない仮想空間みたいなものならイケると思ったんですが、そういう非現実的なバーチャルな世界とリアルタイム進行って相性悪いんですよ。

 

高梨:

そもそも、ゼロワンは近未来のお話ですから、時間の価値を変えてしまうオーバーテクノロジーが沢山存在するSFなんですね。

言ってみれば、人ではないエスやアズは未来の道具を持ってるドラえもんみたいなものなので、同じように或人側も四次元ポケットを持っているとイムリミットを設けて緊迫感を持たせるのは非常に難しいのです。

「あと何分でここを脱出しなきゃいけない!」って時にどこでもドアが双方にある状態は盛り上がりに欠けてしまうわけで。

なので、せめて思考速度が変わるゼア内の描写などはリアルタイム進行中は無いように注意を払いました。

地下都市には磁力発電所が存在し、その磁場によりゼロワン世界のテクノロジーが上手く使いこなせないという設定にしたのはそのためでもあります。

 

 

ゼロワン第1話ではこんなやり取りがありました。 

 

 

イズ

ここは我が社の衛星ゼアの思考回路。或人様の脳は今衛星に無線接続しています。

 

或人

つまり今、俺は?

 

イズ

人工知能と同じ思考速度を持った状態という事です。このままでは5秒後に或人様は死亡します。

 

或人

え…?

 

イズ

それまでにマニュアルをラーニングしてもらいます。

 

 

近未来のハイテク感を演出するために実際の5秒を体感的に延長してゼロワンのマニュアルをラーニングするというものです。

なるほどゼロワンの世界観そのままではリアルタイムサスペンスなんて、ちゃんとやれるわけがありませんね。

極端に言えば、『ドラゴンボールZ』でセルが決戦日を10日後に指定したにもかかわらず、Z戦士が1年を外界の1日扱いで過ごせてしまう精神と時の部屋で10年分修行してしまう一種のズルを“たった10日で強くなった”と謳ってしまうようなものです。

 

また磁力発電というこれからのテクノロジーを絡めるのは良いと思いました。

何度も言うようですが、ナノマシンとか都合の言いオーバーテクノロジーお茶を濁すのはSFものにおいては手垢がベッタベタにつけられていて面白味もなくなるので話の軸に置かれなくて良かったと思います。

 

 

大守:

エグゼイドの劇場版の時は、『トゥルーエンディング』という副題をつけ、「TV本編がどのタイミングかで受け取り方の変わる映画」と意味深に謳わせてもらいましたが、実際は「演者にTV本編後のお話であることは黙ってもらって、勝手にファンに考察させる」という姑息な手法を使ったものでした。

なので、今回こそは真摯にリアルタイムサスペンスをすべきだろうと徹底しましたね。

真摯にといえば、制作の途中でAPの方から「子供の集中力は15分程度で小学校高学年でも30分が限界らしい」という話を後で聞いてしまって、過去最長を狙って80分の尺はやりすぎなんじゃないかと思えてきたんです。

 

高梨:

その相談を受けた時、私も、長めの回想なし、電脳世界の描写なし、移動時間の短縮なしで60分持たせろという注文に頭を抱えていたので、「思い切って本編60分の中でリアルタイム進行は30分間にしてはどうか」と提案させていただきました(笑)

ぶっちゃけ、60分も30分も『24』の尺で考えれば大した差じゃないですし、80分の内で20分しか気にせず好きに書けないって60分中30分縛りの無い時間もらえるよりキツいんですよ。

 

大守:

セイバーの20分も入れたら全部で100分強ですからね、大人ですら90分が集中力の限界と言われているのに、それは子供に優しくないと。

Blu-rayなどが出たら、集中してリアルタイムパートの30分だけ切り取って見れた方がまだ親切だろうと、結局、短縮することにしたんです。

あとは、垓がエデンに突き刺したサウザンドジャッカーが起爆装置になったワケですが、場面が切り替わる際には必ずサウザンドジャッカーのカウントを映してもらいました。

イムリミットまであと何分なんだというは子供には常に分かりやすくするべきだと思い、杉浦監督にそこは徹底するようお願いして。

その代わり、リアルタイムじゃないパートは昼夜好きに変えてくれていいと(笑)

合間合間にリアルタイムじゃなくなるのはプロが作るものとして以ての外だと入念に打ち合せを重ねました。

 

 

 

ゼロワンの横に立つゼロツーの正体

 

大守:

ゼロワンとゼロツーを並ばせるというアイデアを思い付いたら単独映画でどうしてもやりたくなってしまって(笑)

 

高梨:

世界観やゼロツー誕生の本質が揺らぎかねないですし、正式にセイバーや他作品とクロスオーバーするお祭り作品でのサプライズとして温存した方が良いんじゃないかと言ったんですがね、どうしても冬映画でやりたいとのことで。

 

大守:

…で、変身者を誰にするかで話し合いをしまして、2号扱いだった不破など候補に挙がったんですが、或人以外ならやはりイズじゃないかと。

ただ、『ゼロワン』というタイトルにかけた「お前を止められるのはただ一人、俺だ!」という決め台詞にゼロ”ツー“という存在は矛盾しますよね。

さらにそこで2人を横並びで見せてしまうと決め台詞はどうなってしまうのかと。

お前を止めるのは、俺たちだ!」?

これはちょっと安易だなということになり、ゼロワンチームのライダー一人一人に「出来るのは俺一人しかいない」というシチュエーションを作りました。

「皆がゼロワンである、オンリーワンなんだ」とした方がゼロワンというタイトルを持つ以上収まりが良いなと。

それであれば、イズがゼロツーになることも大枠では許容されるのではないかということになったんです。

 

高梨:

ですが、先ほども言った通り、ゼロツーは先代のイズが或人の未来を守るために或人に変身してもらう用に身を削って生み出したものなので、当代のイズが代わって変身するのはちょっと違うだろうと。

かと言って、先代のイズが何らかの理由で突然現れて当代のイズと融合するなり、記憶を共有してイズを同一にしてしまうのはTV本編の終わりからしてナンセンスだと思うんですね。

 

—或人の「元通りのイズに育てる」発言ですか?

 

高梨:

ヒューマギア側のことを考えると倫理的には危ういところですか、あくまで育てようとしてるだけだと言い訳するのであれば、ここで付け焼刃的に簡単に奇跡か何かで統合してしまうべきではないと。

 

大守:

今までにない最終回、ヒロインの形を目指してそう結論付けた最終回でしたが、やはり、視聴者には疑問の声もあって。

ヒューマギア個人の意思を尊重できる或人なら元通りに育てたい気持ちがあっても、当人が厳密な同一化に目指さなければ新しいイズも受け入れるかなと思い、別物として「或人を戦いには絶対に向かわせたくない」頑固者なイズ像になりました。

 

高梨:

前のイズと今のイズは長女と次女のような関係と言いましょうか。

最終稿まで亡くなった長女の方のイズを何らかの形で出そうか迷ったんですが、それでは長女の“死”が安くなるような気がして、出さない方向にしました。

ゼロツードライバーそのものが長女のイズがいた証で十分じゃないかなということで。

 

—現イズがゼロツードライバーを「お姉様」と呟きながら撫でるシーンは短いながら印象深かったです。

 

高梨:

私が書いた回のゲストキャラではないですが、ワズがTV本編ではイズの兄という存在でありながら最終的に誰にも思い出されなかったのも悔やんでいて。

イズの兄でありながら飛電の墓石にも名前がありませんでしたしね。

長女と次女のイズを姉妹のように扱うことで、家系図的に兄妹としてワズも今のイズの家族に入れてやりたかったという狙いがありました。

あの言い回しでワズのことも思い出してくれたら嬉しいです。

 

前イズが亡くなってしまったことで、ワズを語れるものがいなくなってしまいましたし、そこまで配慮して下さっていたんですね。

ワズはゼロワンプロジェクトの代償で蘇らせないのに、同じプロジェクト下のイズは私情で蘇らせるのは仰る通りナンセンスでした。

 

—そこから、遠隔で動かせる或人そっくりのロボットという隠し玉を或人を戦場に行かせたくない次女的ポジションのイズが用意して、天津垓を助けに向かわせたところに繋がるわけですか?

 

大守:

社長ライダーは檀黎斗で既に存在していましたが、アメコミでもメインに似たようなヒーローがいたので開き直って色々と便乗しましたしね(笑)

中でも本人が戦闘アーマーを装着せずに遠隔で戦える設定もあったので、今回も少しディティールを変えて拝借させてもらいました。

ゼロワンのスーツはスーツアクターの縄田さんしか着れない仕様で作っていたので、ゼロツーの中身がイズが入っているというのはやはりおかしくて、或人の骨格が入っていることにしなければおかしいんじゃないかという話にもなって。

背の低いゼロツーがゼロワンと並ぶのは何か気持ち悪くて。

 

高梨:

そこに、主役である或人が開始早々敵に負けて死んでしまう、そういうフェイクを入れて見る側の人を驚かせたいという意地の悪い我々のアイデアもあって影武者ロボを作ったんです。

 

—そのエデンの攻撃で死んだと思われた実は或人の影武者ロボですが、アズの手によってヘルライジングホッパーとなり、どこまでも朱音たちを追いかける様はさながらターミネーターのようでした。

 

大守:

そうですね。

液体金属風の飛電メタルなどもそうですが、『ターミネーター』からもいくつかアイデアをもらってたので、こちらも開き直って活かしました。

エスが実は2体なのも最新の『ターミネーター:ニューフェイト』からヒントを得ています。

個人的には仮面ライダービルド』のハザードフォームはすごい反響があったので、そのインパクトと同等、もしくは超えたい欲があって。

それで縄田さんにインパクトある暴走態のアクションをお願いしたくて、例えばまるで骨が折れてるような死者の戦い方や無機質な存在が追いかけてくる怖さを映せたらいいなと思ったんですよ。

 

高梨:

大守さんから「また或人を暴走するダークライダーにしたい、腕を変な方向に曲げてみたい」という提案があって、流石に「何回、或人を痛めつければ気が済むんだ」と反発しました(笑)

なので、見た目は或人だけど或人じゃない存在が出せたらそれはそれで面白いと言うことになり、あの形に。

 

—ヘルライジングホッパーを迅が止めた後、影武者ロボの身体はイズの遠隔操作に移り、ピンチのゼロワンを助けに行くゼロツーへと繋がっていくわけですもんね。

 

 

 

舞台となるデイブレイクタウン地下都市

 

高梨:

すでに決まっていた“ヘルライジングホッパー”という新フォームの名前を聞いてインフェルノウイングを持つバーニング迅が浮かんで、すぐ相手役が決まりました。

安直な“地獄”繋がりですが、ゼロワンがその手のネーミングを多用しすぎなのを逆手に取ってみようと。

でも、何度も言ってしまって恐縮なんですがゼロワン好きな人ってとりあえずこういうの好きじゃないですか(笑)

それと「地獄から上がっている」というネーミングから芥川龍之介の『蜘蛛の糸』が連想されて、上がってくる必要のある地下都市という構想が思いついて。

次に、ボスとして仮面ライダーエデンと色違いのルシファーも出さなければいけないという注文を受け、エデンが隙を突かれて地下都市へ墜落し、文字通り“堕天使(ルシファー)”になるのがいいかなと。

オルトロスバルカンの時は「ウルフと日本狼で双頭になるから」という安易な発想でしたが、オルトロス狼じゃなくて犬であるにも関わらず食い付いてくださる方が沢山いて逆に不憫に感じていました。

今回の仮面ライダーのネーミングも「地獄の意味なら格好良いと思う層がいる」とか「聖書にある名前ならとりあえず一定の層から関心を引ける」という理由で付けられたのだろうなと察したので、そこだけで薄っぺらくならないようそこにロジカルに、お話の作りと重なるように意味を何個か持たせる努力をしましたね。

 

大守:

迅が絡むのであれば、そこには滅も当然いなくてはなりません。

別でA.I.M.S.と横並びで同時変身や共闘も考えたのですが、AIMSには既に亡がいるのに、さらにかつての敵と協力させたがる構図はかえってチープになると思い、それは没にしました。

横並びの同時変身ってライダーならではの様式美がありますが、お話上生じてしまう揃うことの違和感を感じさせないファンサービスによる思考停止を狙うのは甘えなような気がして。

先ほどもお話ししましたが、TV本編の後半はむしろ同時変身に頼りっぱなしだったようにも思いますしね。

ましてや、セイバーも横並び同時変身で総力戦をやると聞いたので、そこを被せる必要はないと判断しました。

仮面ライダー滅には“スティングディストピア”という技があるので、エデンがルシファーに格落ちし、這い上がったところで、今度こそはとその技で奈落の底へ落とせたら面白いなと。

理想郷を目指すエスとの対比になりますし、地下都市を挟んで地上と最下層の関係で天国と地獄を表現出来るなと杉浦監督ともお話しして。

今年ヒットした『パラサイト~半地下の家族~』では高台の豪邸と半地下のボロ家の行き来で貧富の差を高さで表現していましたし、その辺りは知らない内に影響を受けたのかもしれません。

 

地下都市から脱出する際、そこに住むホームレスの人たちが爆発する地下都市を憂いで「俺たちのユートピアなんだぞ!」と嘆いていましたが、そういう意図があっての台詞だったんですね。

意図していたかは分かりませんが、対照的に或人ともう一人のエデンの最終決戦の場は飛電インテリジェンスビルの屋上だったので、高さで天国と地獄を2段階に分けて上手く表現していたと感心しました。

 

 

 

映画を支えるサブキャラクターたち

 

滅亡迅雷

 

地下都市に向かい、雷の人命救助を手伝う形でエスたちと戦った迅と滅が「デイブレイクの償いとして、もうここで死者を出すつもりはない」と語ったのは良かったですね。

敵組織が簡単に味方入りすると予定調和の匂いがしてしまいますし、TV本編でどれだけ仲間入りする予定があった滅亡迅雷に直接人命を奪う描写がなかったとしても、施設ごとの自爆で被害を抑えようとした工場長とその息子さんの存在をなかったことにはできませんから、そこに対する自責の念を見せたのは本当にグッジョブです。

もし万が一、まるで過去の大罪がなかったかのように「この世界も捨てたもんじゃない」などと綺麗事言い放ったらどうしようかと思いました(笑)

 

高梨:

エスの目的で『鬼滅の刃』を意識して似ないようにしたと話しましたが、逆に滅はTV本編のラストで鬼殺隊の衣装みたいにさせられてしまって。

 

大守:

衣装さんにお任せしていたので、撮影当日はそのまんますぎて驚きました(笑)

 

高梨:

鬼滅人気にあやかったみたいで相当恥ずかしかったんですが、ここは開き直って「誰も死なせなかった滅」をやろうと。

最初、滅と迅はヒューマギアであることを活かして身体を失うことを厭わない戦闘スタイルでエスに立ち向かう予定だったのですが、本人も生きたままの方が鬼滅との違いも出るということで、助け合って垓たちと一緒に脱出する方向に固まりました。

 

大守:

鬼滅の映画になったエピソードで非常に惜しいなと思ったところなんですが、前半の敵と後半の敵で関連性が実はないんですよ。

あるキャラが後半の敵に「あの人は全員守ったんだ、勝ちだ」と怒るんですが、それって怒られる側には関係ないんですよね。

しかも、前半の敵に対して勝てたのは怒ったキャラの功績が強いので、ちょっと論点がズレている気がして。

なので、滅側と或人側の敵は同列にして、或人が「滅の勝ちだ」と言い張ってもいいような作りにしました。

エデンとルシファーが実は関係性が浅いとなると、取って付けたようになってしまいますから。

「皆がただ一人、ゼロワンなんだ」にしようと先ほどお話ししましたがそれがこういうところで効いてくるんです。

 

 

亡もただA.I.M.S.の犬に成り下がるのではなく、雷と迅たちに手に入れた情報を送り、エスとアズの陰謀の阻止に加担したのも良かったです。

刃もそれに気付いていましたが、決して咎めない、むしろ不破に情報を傍受されていいようにしていた刃との共犯関係で信頼があることも見て取れました。

アバドンの単純な思考も看破し、ライズフォンの情報さえ奪われなければ顔をマスクで隠すことで物体認識を防げ、避難する市民が狙われずに済むことに気づけたのは、ヒューマギアならではの視点と実際のコロナ事情とを上手く絡められていると思いましたね。

気休めでも「マスクをつければ大丈夫」という認識を子供にヒーローコンテンツから教えることも出来ますし。

 

 

雷は天津垓や朱音、ホームレスの面々の脱出を手伝うため、ブレイキングマンモスで助けに来たのも印象的でした。

本来、災害救助に使われる予定だったブレイキングマンモスはTV本編で破壊活動しかしていませんでしたから。

リアルタイムパートが終わった後は、ジェットモードで或人影武者ロボを本物の或人の助っ人として飛電インテリジェンスまでひとっ飛びで届けたりと便利アイテムに戻すシームレスな運用もスムーズで上手かったです。

 

 

滅は新イズと対峙するシーンも設けるのかと思っていましたが、無くて良かったですね。

無理に会わせる機会を作って前のイズとのをほじくり返す必要もないのかもしれませんし、そこの清算はわざわざ今回の映画でやらずに後のスピンオフに取っておいてもいいのかもしれません。

そういうシーンを映画で差し込もうとする導線が凄く作為的に感じてしまっては鼻じらむだけです。

或人が許すことでその話は一応終わっているんですから。

 

 

迅がヒロインにヒューマギアを最終的に道具のように切り離さなければならなかったことを懺悔されるシーンで「家族かどうか人間だけが決めることじゃない、僕たちがどう感じるかも大事だよ。そのヒューマギアもちゃんと家族だって思ってくれたんじゃない?」と返し、「飛電或人も結局口だけかなって思ってたけど、最近はヒューマギアのために仕組みを変えようとしてくれてるみたいだしね。」と続けたシーンがありました。

”ヒューマギアの救世主“という名ばかりの肩書きでしたが、今はしっかりと飛電の動向を見定め、人間と共存するヒューマギアを見届けつつ動いているという補完もされていましたね。

 

 

 

刃と不破

 

大守:

ショットライザーライダーの2人は脳改造されている設定がまさに初代の1号2号で、ショッカーライダーオマージュのアバドンにはゼロワンよりも相応しいということで2人vs超多勢というシチュエーションにしました。

アバドンの変身アイテムはスラッシュタイプもありますが、ショットライザー的には関連も強いので。

 

不破はただ刃といつものように共闘するのではなく、調整され安定したオルトロスが近接を仕掛け、ホーネットで遠距離攻撃を行う攻撃にシフトしたのが良かったです。

全身飛電メタルのアバドンは銃撃よるダメージに強いため、近接や身体を通す電撃攻撃が効果的だという理屈に繋がっていくのもスマートでした。

チーターとウルフ、ホーネットとランペイジ辺りは別で見たので、また同じことをやる必要はないですし。

 

大守:

過去の経験から他ライダーの変身アイテムを使った合体フォームはウケると思っていたんですが、雑にしすぎたせいかオルトロスは強引すぎてイマイチだったように感じていていましたし、こちらの狙いのせいで空振りフォームのようになってしまったので、名誉挽回の機会を設けたくて(笑)

 

刃をなぜバイクに乗せて活躍させる必要があったのか分かりませんが、自称仮面ライダーらしく庶民的なスーパーカブに乗る不破とのコントラストも面白かったです。

初代オマージュであれば、1号2号揃ってバイクに乗せるべきですよね。

 

不破の変身シークエンスにもう一捻り加えた変身も圧巻でした。

ショットライザーから放たれ、アバドンに避けられた弾丸は弧を描き不破の元に向きを変えると隙が生まれたアバドンを背後から貫く。

不破は戻ってきた弾丸を殴りつけ、バルカンに変身。

繰り出した拳の勢いのままアバドンにライダーパンチをお見舞いし、挟み撃ち(打ち)にするくだりは実に杉浦監督らしいハッタリの効いたアクションで良かったです。

バルカンの初変身をなぞらえながら、もう一芸入れてくる。

さすが、ただ他作品でありそうな撮り方をそれっぽく落とし込むだけの監督ではありません。

或人のギャグは笑うのに刃のクレバーなアメリカンジョークには一切理解を示さない不破も笑いのツボに対する違う一面として面白かったです。

 

TV本編で良いところがなかった刃には見せ場がしっかりと用意され、2丁拳銃使いのリーダー格のアバドンをショットライザーとアタッシュショットガンの巧みな使い分けで圧倒するだけでなく、ライトニングホーネットと今まで未使用だったスパーキングジラフによる禁断のダブルブラスト技で、数で圧倒するアバドン軍を一掃したのは見ていて爽快でした。

バイクに乗せて格好よく撮れば汚名返上なんてことにはなりませんから、これぐらいの大活躍をしてくれたら満足です。

 

ダブルブラストの使用で限界に達し、上空から落下するバルキリーをバルカンがしっかり受け止めることで、短いながらもこの2人の関係の完成形を見れた気がします。

俺しかお前を受け止められるヤツいなかったろうが!」もゼロワンの決め台詞にかけているのでしょうか。

落ちた先に受け止める相手がいるというのは、実際は単独の犯行であったエスとの上手い対比になっていたと思います。

 

高梨:

別の脚本家の方が担当された回で恐縮なんですが、刃の「想いはテクノロジーを超えるそうだ!」に相当納得がいっていなくて(笑)

エンジニアの認識が精神論優先ではマズいなということで「テクノロジーに悪意を乗せてはいけない、重ねるべきは願いだ!」という台詞を無理やりにでも入れさせてもらいましたね。

せめて刃にはテクノロジーファーストでいてくれないとその側面を持ったキャラがいなくなってしまいますし。

 

 

 

アバド

 

大守:

ゼロワンとゼロツーを並べるならと、「ショッカーライダーも出してはどうか」と仮面ライダーアバドンのデザインを見せてもらいまして。

 

高梨:

また一部層にウケるその手の引用アバドンは元ネタが蝗害そのものが神格化したものだということで。

ほぼメタルクラスタのような存在なら、出所が不明の飛電メタルが実はまだアズの元に大量にあって、正体はその金属で出来たメタルバッタが集まって人型になるのがいいなと。

病院回でチラ見せした量産されていたショットライザーたちがどこにいったかの答え合わせもしておきたかったですし。

それで飛電メタルだから再生能力を強調しようかという話もあったんですが、それこそ鬼滅で「斬ったそばから傷が回復した!」なんてやってるので、ハイテクノロジーで同じことやっても二番煎じにしかならないなということになって。

性格面では個人個人に意思を持たせるよりはエスが全てのアバドンを統制していることにして、敢えてそこにドラマを持たせないことになりました。

 

大守:

それで私としては珍しく初代のショッカーライダー回を見て勉強したんですが、本家もそこにドラマ性はなかったのんですよ。

仮にあそこでショッカーライダーを掘り下げすぎてしまうと1号と2号で脳改造の洗脳を解く方向に尽力してあげなければいけなくなってしまうなと。

ドラマ性を持たせるということは、TV本編で仮面ライダーを夢のために飛ぶ象徴として締めた以上、劇場版以降の作品ではチームゼロワンに加勢してもらい、飛電インテリジェンスは超大所帯の軍隊にならざるを得なくなるということです。

さすがにそれは無茶苦茶ですよね。

 

ということで尺を割く必要性が感じられませんでしたし、伊藤英明さんの逆オファーを頂いたのに違うゲストキャラをわざわざ語るのは勿体無いですから。

80分尺を想定していた時は確かにアバドンにエピソードを用意する案もあったのですが、その尺の段階ですらフォローまでは描けそうになかったんです。

仮に、エスに何らかの理由で協力した人間たちだったとするなら、その人間たちのエスに荷担した動機に対する救済をちゃんと用意しなければなりませんよね。

或人は滅を許す形で破壊しなかったのですから、アバドンも同様にいたずらに変身者ごと滅してはダメなんですよ、それではキャラクターとして生き死にがただの忖度になってしまう

 

高梨:

80分尺で話が進んでいた時、「ニュースから社会問題を少しずつピックアップして、そこから悪意を持った者としてアバドンにさせるのはどうか?」と提案した時は珍しく怒られましたね(笑)

「それじゃあ下世話なワイドショーとやってることが一緒だよ」と言われたの覚えてます。

 

大守:

怒ってはないですよ(笑)

ただ、専門家でもないのに誰が悪だと知った口を利くコメンテーターみたいな雑な認識で語るのはやめるべきだと思っていて。

それをさも高尚な問題提起のように見せるのは良くないと思うのです。

例えば、育児に疲れたせいで破滅願望が持ち、それでアバドン兵を志願する主婦のキャラがいたら、どこまでが悪なのかというフォローまでちゃんとする必要があるんです。

お子さんと一緒に見に来てくれたお母様に「育児に疲れることは悪なの?」と感じさせてしまうようなお話作りは子供向けコンテンツといえど、あってはなりません

そこを掘り下げる必然性のある話なら良いですが、今回の本題は「人間の悪意について」じゃないですからね。

 

高梨:

仮想空間と現実世界のリアルタイムを平行させる案だった頃に『レディ・プレイヤー1』が金曜ロードショーでやったりした影響で、アバドンの変身者をアバター扱いにして、見た目は美少女だけど実際はおばさんが動かしてるなんて意外性があってイケるかなと思ったんですけど、これも却下されました。

それと今回のテーマは何か関係あるの?」と(笑)

Twitterで「アイツ、おばさんだったなんてな」と嘆くおじさんが美少女アニメキャラのアイコンというところまで想定してセットで面白がれると思ったんですが。

 

大守:

あ、高梨さんの性格の悪いところが出ましたね(笑)

 

 

 

福添

 

多目的トイレに閉じ込められた清掃員ヒューマギアを救出する際、「お前を助けられるのはただ一人、俺だ!」と叫んだのには中の人の事情がよぎって笑いました(笑)

 

 

 

 

 

冬映画に欠かせないセイバーとのクロスオーバー

 

物語の最後、向かった先が“ファンタジック本屋かみやま”らしき本屋だったのには驚きました。

朱音が話していた、もう破棄されていたと思っていた子育てヒューマギアが次シリーズの主人公の下で働いているかもしれないという展開は良かったですね。

まさか、間の短い回想で語られた「お兄ちゃん(子育てヒューマギア)の読み聞かせ、好きだったな」が伏線になっているとは。

朱音と大事なヒューマギアをもう一度引き合わせるシーンでこんなサプライズがあるとは思わないじゃないですか。

本屋の外観こそちゃんと見せませんでしたが、「明日は10年ぶりの同窓会なので今日の内に原稿下さい!」と駆け込んできた店主に原稿を催促する淑女は芽依ということなのでしょうか。

 

大守:

流れた夏映画のせいとはいえ、ゼロワンに長尺設けてもらったのはセイバーには申し訳ない気持ちがあったんですよね。

前の冬映画では完結したジオウを巻き込む形で、ゼロワンが近未来要素を持ち込んであちらの世界観を壊してしまったように感じていたのもありましたし、順当にいけば次はこちらが尺を割くべきじゃないですか。

しかも、ジオウの夏映画ではしっかりゼロワンに託してくれていたのに、こちらは作品を通して何もしなくていいのかなって。

それも踏まえてゼロワンが最後に職業紹介するなら本屋さんにすべきだなと考えたんです。

ゼロワンは職業紹介を謳った反面、表層だけを紹介した回も多々あって悔いが残っていました。

先ほどもお話ししましたが、社長ライダーとしてゼロワンは本職に対して不誠実な場面も多々あり、職業に関してはテキトーでいいという風潮をシリーズを通して作ってしまったのならば後発のライダーには良くない流れになってしまったなという思いもあって。

なので、世界観を壊さない形でゼロワンなりのバトンを渡せないかと高梨さんに相談しました。

 

高梨:

制作の都合上、セイバーは初めの方しか台本を拝見できなかったんですが、毎話増えるライダーに、アイテム消化、序盤からどんどん進むストーリーにエグゼイド並の忙しさを感じましたね。

そこからモチーフである本についてお話を絡めていくのは至難の業でしょうから、近未来SFなりにデジタルの見地でしか伝えられないアナログ面での本の素晴らしさがあるなと思い、或人に本の良さを語ってもらいました。

 

大守:

セイバーのプロデューサーである高さんにその旨をお伝えしたら、少ない尺の中にもかかわらず剣士に作家に大忙しで本屋業が疎かになってる飛羽真のシーンも設けてくださって。

求人の貼り紙を芽依が用意するところで、ヒューマギア本来の人助けの本質について触れてくださったのもありがたかったです。

ライダーの先行お披露目を気にしないで済んだせいもあって、結果的にこんなクロスオーバーもありだな、と良いバトンの受け渡しが出来たと思います。

同じ世界線とも違う世界線とも取れる令和らしい柔軟なユニバース 兼 マルチバースになったんじゃないかなと胸を張って言えますね。

セイバーが完結する際に飛羽真の本屋がどうなっているか分かりませんから、このゼロワンの締め方でセイバーの物語の結末を縛らないためにも敢えて曖昧にしました。

セイバーの物語の結末はセイバーが決めないと。

ジオウに上手く引き継げなかったビルドの時の反省が強くて(笑)

せっかく連なるシリーズが同時上映するわけですから、こちらの独りよがりでセイバーがオマケだなんて思わせる作品にしたくないですし、ライダーファンに「ゼロワン単体でやればいいのに」なんて言わせないような、世界観を壊し合わない形で支え合いつつ、高め合えるのが理想的じゃないかと。

 

 

 

ゼロワンとはイズの悪女ものであった

 

大守:

今回はゼロワンらしさを薄めて、本来のゼロワンらしさに戻すことに力を入れました。

話した通り、テレビ本編のやり残したこと、問題提起で終わったところ、難解なところをクリアにしていきながら、ゼロワンのお披露目で見せた杉浦監督のアクションで魅せる戦闘シーンをふんだんに盛り込むことです。

 

ーゼロワンらしさを薄めるというのは?

 

大守:

最後はイズを中心に置かないということですね。

テレビ本編では因縁めいた大筋の中にイズはいないはずでしたが、要所要所で必ず主人公 或人のため傍らにいる形で問題の中心に存在するようになりました。

デイブレイクの一件がキッカケとなった物語なのに、最終的にはイズをどうするかの話になっていったというか。

社長秘書だから優遇されるのは当然と言えば当然なのですが、これらは私がドライブの泊と霧子、ビルドの戦兎と龍我、強いて言えばエグゼイドの永夢とパラドなどから成功体験として、「バディものは外れない」というのを学んだ結果から生まれた僕なりのメソッドなんです。

そして、エグゼイドのポッピーで非人間のヒロインがかなりウケるのも肌で感じて。

だから或人とイズの関係はすぐに浮かびました。

あとはイズがポッピーほどウケるかなと。

 

ーイズは商品化のバリエーションが多く、ネットでのファンアートやコスプレも盛んだったように思います。

 

大守:

はい、予想通り、いや、それ以上にウケたと思います。

高梨さんのみならずゲスト脚本の方もそこを汲み取ってくださったり、イズがあまり活躍しない回でも監督が細かい所作で可愛く映るように撮ってくださいました。

でも、ここが間違いだったんです。

或人はイズをこんなにも贔屓している、何故だかご存じですか?

…それは、或人がどうの以前に、視聴者の皆さんがイズを好きだからです。

人気のキャラクターを軸にお話を作るのが最もウケる。

或人の過去を描くことは少なかったですが、語られたところで女性の影はありませんし、イズが母性的というわけでもありません。

それなのに或人はイズだけは他のヒューマギアよりも特別に扱う、それはテレビやスクリーンの向こうから求められてのを反映しているからなんです。

 

―シビアなお話ですね。

 

大守:

物語の中だけでなく、私を含む作り手も、視聴者もイズのいることが基準になってしまったと思うんですよ。

『ゼロワン』を「ボーイ・ミーツ・ガールものだ」と称してくださるファンの方がいますが、僕は“ファム・ファタール”ものじゃないかと思っていて。

 

高梨:

いわゆる悪女ものです。

悪い女にたぶらかされて真面目な青年が犯罪に手を染めるようなお話と言えば分かりやすいですが、女性に悪意がなくても、例えば、病気の女性に恋をしてしまったがために医療費の工面をするのに銀行強盗を自発的に計画する男性のお話でもそれに該当します。

 

大守:

仮面ライダーでいうと『ダブル』がそれに近いです。

女性の依頼人やその知り合い、女性幹部によって必ず振り回されるという意味で言えば、ほとんどがファム・ファタール回であったと思います。

ただ亜樹子の場合は、一応のヒロインですが かどわかされた男性をスリッパでひっぱたく役なので悪女枠に入らないと思いますけど。

 

ー或人はイズにたぶらかされたということですか?

 

大守:

誘導されたというよりは自発的に間違った方向に進んで行ってしまったというべきでしょうか。

アークワンの一件はまさにそうだったと思います。

 

高梨:

イズにドライバーを渡されて始まった仮面ライダー人生が、渡した相手の死により悪に染まっていく。

あくまで朝のヒーローものなので、罪のない人間を殺めたりすることはありませんでしたが、発端は何かにつけてイズでした。

ヒロインのために時には世界に危機が及ぶ判断をする、というのは最近では『天気の子』のような“セカイ系”と呼ばれるものに多いですが、イズの生き死に関して世界の存亡は関係なく、天秤にかけられるようなこともありませんから、そうとも呼びがたい。

やはりSFを除けば、ファム・ファタールというジャンル分けが一番近いかもしれません。

 

大守:

コロナがなければ、この作品は夏映画になる予定でした。

もし夏映画で決まっていれば伊藤英明さんが亡き恋人のために理想郷を作る初期案で行っていたかもしれません。

ゼロワンとゼロツーが横並びになるのも早い段階で決まったので単純にイズ自身がゼロツーに変身する展開になっていたと思います。

当初はヘルライジングホッパーになって暴走する或人をイズがゼロツーとなって止めるというものでした。

 

高梨:

或人様を止められるのはただ一人、イズです!」をやるつもりでしたね。

結局は夏映画は流れ、TV本編の後のエピソードをやることになってしまいましたが、その代償に不破は“或人を止められない人”にしなければならなかったんです。

それで或人を止められないオルトロスにならざるを得なかった。

 

大守:

元々、バルカンは作品として2号ライダー枠でしたが、ゼロツーにイズがなるのであれば、2号の座を譲ってもらわなければならないので、あの描写で御役御免となりました(笑)

不破はどっちつかずな面もあってにした方がしっくりくるだろうと。

でも、そうやってイズをどうしたいかのために他のキャラクターが動かされていくわけです。

だから僕たちもイズに動かされたファム・ファタール作品の一員だったんですね。

 

高梨:

イズと不破の接点は序盤少なかったですが、お仕事5番勝負に負け、最初に破棄されそうになったイズを助けたのは不破でした。

不破のランペイジに初めて変身する活躍の場がイズの窮地に当てられたんです。

結果、その場では守りきりましたが、結局はイズは奪われ、救出を迅に頼む話になっていきます。

そして、最終的に目覚めたイズが或人のためにシンギュラリティに達する。

あの時だけ、垓はイズに異様な執着を見せるんですよね(笑)

自分にとっての さうざーを或人から取り上げることにしたかったのであれば、どこかしらにその兆候を見せなければなりませんがそんなこともなく。

そうして、どこまでもイズは常に渦中の存在でした。

 

大守:

打ち合わせの段階ではAIの学習要素を見せるためにイズが少しずつ人間らしい表情をつけ、学んでいく成長譚の要素があったんですが、監督たちが各々で魅力的に撮ろうとするあまり、シンギュラリティ前に既に人間らしくなってしまったという(笑)

物語の中だけでなく、外の人間まで動かされていくんです。

結果、AIの学習面は上手く描き切れませんでしたし、或人の贔屓も如実に出てしまって、作品として悪い面が出てきてしまいました。

本来ならそこのバランスを見て統率するのがプロデューサーの仕事なんでしょうが、作品のクオリティや矛盾を生まないことよりその場のウケを取る方に走ってしまったんですね。

それにより「ボーイ・ミーツ・ガール」と錯覚してくださるファンを獲得できましたが、それはファンに「或人とイズがイチャイチャしてればいい」というところまで思考停止させてしまったようなもので、世に取り上げられるエンタメとして恥ずかしいものになってしまったんではないかなと。

現にこちらが意図していない方向にまで膨らませて、ゼロワンが高尚な作品に独り歩きしてることがありますしね。

このままではTVシリーズの時の二の舞になりかねないと思い、今回の映画ではイズを真ん中に置くという「ゼロワンらしさ」を薄めることにしたんです。

映画が終わって、イズがゼロツーになった事実だけがアップデートされただけではTV本編から僕たちが進歩してないことになってしまう。

目指していたゼロワンらしさ…AIは道具なのか、家族になりうるかはあやふやなまま、今度は身体が必要ないと言ったり、犬型AIを出してみたり、職業紹介に関しては占い師の紹介が最後だったかな?

放送前に各所でお話ししたテーマはおざなりで、イズのことばかりに力を注いで情けない限りです。

おかげでイズを復元してしまうであろう或人やゼロツーの変身者は或人の他にイズでなければならないという視聴者との共通認識を一年かけて定着させることに成功はしたんですが、それで終わっては掲げたはずのテーマとしてはよろしくありません。

 

高梨:

イズ人気を利用していたつもりが、いつの間にか頼っていました。

イズがヒロインの部分で大きく作品を持ち上げてくれていたので、新しい立ち位置の女性キャラ 刃唯阿に挑戦するも、結局上手くいかないままでもいいかなとさえ、思ってしまいましたね。

ゼロワンの登場キャラは全員掘り下げが浅いのに、刃だけあのキャラクター性に色々と説明つけるのもおかしいかなということで、ヒステリーになったかと思えば善人キャラになったりと、イズなら持ち前の可愛さでやり過ごせるような描き方で逃げ切ってしまいました

杉浦監督は自身のイズ像で思い描いていた長髪をオープニング映像に登場させ、それをどうにか本編に出すために私たちは頭を捻ってアズを生み出しまたよね。

ゼロワンのオープニング映像には廃墟で暴走したヒューマギアに囲まれる或人たちや、或人、不破に刃、滅と迅ら5人が横並びになるエンドショットもあったのにそこに関しては本編にフィードバックしなかったんです。

全てがイズを動かす方向に進んでいました。

アズは味方に属するイズに出来ない表情をさせるにも勝手の良いキャラでした。

文字通り悪女です。

おそらくアズは今後誰と絡むにも服装は変わってもイズの顔のままでしょうね。

或人をかどわかすためのアズではある必要はなくなっても、イズあってのアズですから。

どこまでもどこまでもイズのいる世界なのです。

 

大守:

嶋ちゃんはオーディションの時からどこか悪女みがあるというか、若い男の子が彼女に魅せられて誤った選択をしてしまいそうだなと感じていて、それが或人とイズの関係やアズに反映されていったのかもしれません。

悪女みというのは誉め言葉ですよ(笑)

そうしてずっとイズファーストに進んでいくんです。

彼女にファッションショーでランウェイを歩いてもらうために、デルモは足を負傷させられたと言っても過言じゃないでしょう。

 

高梨:

話をだいぶ前に戻しまして。

私はシャイニングホッパー回を担当していませんが、担当した脚本家の方はイズと兄妹機のワズを軸にシャイニングホッパーが完成するまでのカタルシスを作ってくれました。

ここにワズが突然現れ、そして退場していったのは、後に或人とイズを軸に強化フォームが作られるエピソードの温存のためです。

ですが、それはアサルトシャイニングホッパーの致命傷を負ったイズのエピソードに留まらず、ゼロツー誕生でもう一度、今度は似た理屈を用意してしまったんですよ。

そこではイズが自身のセントラルメモリーを媒介としつつも、ワズのように活動を停止することなく、シャイニングホッパーのおんぶバッタのライダモデルのように2匹のバッタを出し、「或人とイズが生んだフォーム」というのを強調して、まるでシャイニングホッパーのアイデアたちを全て仮面ライダーゼロツーで上書する形になってしまいました。

確かにこちら側のイズを強調したい思惑もあったんですが、或人とイズで感動的なエピソードに仕立て上げしたいというばかりになって他のエピソードや理屈を食い潰していくのはどうなのかと。

これは作り手として作家性さえも疑われるようで、自分の作家としての引き出しの無さを悔いました。

脚本家のバトンの渡し合いがとにかく上手くいかなかった、他の方のアイデアを取るような形になってしまったこともそうです。

だから今回こそはTV本編で上手く回らなかったという気持ちで挑みたくて。

 

なるほど、TV本編で上手くいかなかったところを投げ出す形で逃げてしまうのではなく、あらゆる上手くいかなかった点を回収し、イズ人気に依存しない、綺麗に『ゼロワン』を畳む素晴らしい作品でした。

スタッフの皆さん、キャストの皆さん、本当にありがとうございました!

 

 

*1:…え、理人って誰ですか?

*2:とりあえず話題作りでテキトーにどっかの層にウケそうな新人女優連れてこなくてよかったと思いました、例えば、客寄せパンダで人気女性声優とか