aibo参戦で起こるヒューマギア崩壊(仮面ライダーゼロワン第38話「ボクは1000%キミの友だち」感想)
福添副社長らの告発により、社内で重ねてきた悪事の証拠データを突き付けられた天津垓。
ところが、その証拠を一気に握りつぶしにかかるという暴挙に出る。
福添から応援を頼まれた或人は、垓の元に駆けつけるのだが、垓は一向に態度を改める様子を示さない。
一方、仮面ライダーとなったアークは次の作戦へと舵をきっていた。アークが現れたのは飛電インテリジェンスの宇宙開発センター。
一体、アークは何をしようとしているのか―――!?
いつもアクセス頂きありがとうございます。
しかし今回に限っては
KA KU KO TO NE E
と抜かしながら四苦八苦して、aibo参戦に突っ込み入れて約9000文字。
お時間ある際にお付き合い頂ければと思います。
- <飛電インテリジェンスの社歴が歪む>
- <手抜きネーミング>
- <そもそも、アイツって さうざー?>
- <ヒューマギアを凌駕するスペック>
- <DOG-GEARから完全撤退>
- <悪事を働く垓にあの過去は直結しない>
- <早すぎる さうざー改の構築>
- <夢のコラボでメッセージ性も沈没>
<飛電インテリジェンスの社歴が歪む>
② 飛電ライズフォン
ゼロワンの世界では、飛電インテリジェンス製のライズフォンが広く世の中に普及しています。
つまり、元々ライズフォンで盤石の経営基盤を持っている飛電インテリジェンスでしたが、さらにヒューマギア事業にも進出し、大ヒットしているのです。
まさにトップオブトップ企業ですね!
一般ライズフォンはカラバリも各色ありますので、劇中でエキストラさんたちが持っているライズフォンを探しながら見てみるのも面白いかもしれません。
「そもそも、ヒューマギア開発の発端は人工知能を医療に役立てることが1番の目的だったのです。」
仮面ライダーゼロワン 第8話「ココからが滅びの始まり」より
上記のことから、シリーズが始まった当初、飛電インテリジェンスはライズフォンでスマホ分野からのし上がり、AIロボット産業に医療面から進出していった会社という設定ということになっていました。
ヒューマギアを開発が始まったのがデイブレイクが起きる12年前で、なんらかの別の目的で35年前に犬型AIロボットを取り扱っていたとなると、犬型ロボットはヒューマギアの始まりを語る上でイズも触れておくべき社歴のはずです。
社長室のラボにもヒューマギアの歩みとして“さうざー”と同型の犬型AIも置いておくべきだったのではないでしょうか。
犬型ロボ
↓
ライズフォン(ザット)*1
↓
ヒューマギア
↓
アイちゃん
さうざーとアイちゃんの登場により、これが上の「飛電製作所を含む飛電社のAIに関する歩み(最新版)」になるのです。
「私は考えた。或人くんの理念を形にすると、決してヒューマギア型にこだわる必要はない!と。これは大発見だ」
しかし、犬型ロボット以後の規格とはいえ、初期型ヒューマギアであるボット博士のこのセリフは矛盾してきます。
単に歴史というだけでなく、人型に固執する前に人型以外に着目する視点は是之助社長の時代から存在していたことになるわけですから大発見ではありません。
<手抜きネーミング>
DOG-GEAR(ドッグギア)
これが飛電インテリジェンスが販売していた犬型AIロボットの名前です。
ヒューマギアありきで制作が後から付けられたと思われるネーミングですが、ヒューマギアの綴りは「HUMAGIA」であり、少し違います。
間に“-”を起きませんし、ヒューマギアは人間を表す“human”という単語に魔法を意味する“magia”を足したのであって、道具や装置、歯車を意味する“gear”を用いたわけではないのです。
この時点で色々と渋滞することがあるのですが、まずは犬型AIの名前に関する指摘からしていきましょうか。
「ヒューマギアは道具じゃない!」という或人社長の有難いお言葉がありますが、名前の由来で言えば、そうなんです。
しかし、先程さらっと述べてしまいましたが、犬型AIの“gear”には道具という意味があります。
そうです、DOG-GEARはAIを道具扱いしたネーミングなのです。
AIは道具に過ぎないという一部人間の言い分を肯定する形になりますよね。
DOG-GEARを演じる()役者“aibo”ですが、名前の由来は人間の「“相棒”になる存在」というところから来ています。
そうなってくると、この時点でaiboの販売元であるSONYと比較して、道具扱いしている当時の飛電社はAIが発達する未来に対して志の低い会社という印象を抱かさざるを得ません。
(素人の思い付きですが、dogにもう1つgが重なる派生単語で“doggy”(ドギー)という言葉があるので、どうしてもgearにこだわりたいなら、“DOGGiEAR”(ドギーア)の方がまだ小洒落てるかな~と…チラ裏m(_ _)m)
先程、色々渋滞しかけたと言いましたが、他にもヒューマギアに“マギア”が紛れているというところもスルーできません。
magiaとは英語“magic”の元であるラテン語ですが、非科学的な要素の魔力で動いているロボットではないので、Amazingのニュアンスで使われ「驚きのパワーを持つ人間」という意味合いになっていると仮定しましょう。
しかし、この世界での「マギア」という言葉はヒューマギアが変体した怪人の総称です。
「驚きの人間」という意味から「magia」という単語だけが独り歩きし、頭に絶滅種の名が足されることで個々の怪人を差すようになったということになりますよね。
これ、『仮面ライダー剣』に置き換えると、まず我々の始祖「ヒューマンアンデッド」の存在があって、下の語句が独立し、危害を加える怪人の「アンデッド」という総称が生まれ、そして「○○アンデッド」と呼ぶ形で怪人を細分化していったという理屈ですよね。
凄く変な考え方です。
飛電社的にはネガティブなPRになるので人の手伝いをする商品と怪人態の名称に共通性を持たせる必要がありませんし、ヒューマギアと切り離した上で怪人態の総称を作り、細分化すべきでしょう。
このままでは、まるでヒューマギアは怪人態になる前提という、作り手側の事情が世界観に滲み出てしまうのです。
テロリストが付けた名だから、この世界ではそう呼ぶんだと言われてしまえばそれまでなんですが、ゼロワンは時系列的に後発の名称から派生して先発の名前が決まるという後付けの流れが多く、不自然なものが多いのです。
(そもそも、ヒューマギアがトリロバイトマギア(戦闘員)にマギア化する行程を見てみると、顔からシャッター状のフェイスガードが現れたりと明らかにマギア化するための変形機構が内臓されています)
以前ブログで皮肉り、時系列的には「ワズがいて後に兄妹機としてのイズが作られた」はずですが、ネーミングだけで見ればワズ(be動詞の過去形was)はイズ(be動詞の現在形is)ありきの名前なんですよ。
もし、イズの先に生まれた兄弟機を出したいのであれば、wasではなく原形のbeにする方がスマートだと思います。
「DOG-GEARがあってHUMAGIAが存在した」というこの手の後付けの雑さは今回に限らずゼロワンの手癖みたいなものなので、今更吊るし上げる気も起きませんけどね。
<そもそも、アイツって さうざー?>
幼き日の垓が飼っていた“さうざー”は旧型の大文字表記のAIBOが演じています。
その35年後にゼアが再び造った“さうざー”(以後、さうざー改)は新型aiboが演じており、初期型のビーグル犬のような面影はありません。(aiboの方はどの犬種にも見えるニュートラルなデザインを狙ったらしいのですが)
垓が「さうざーとの最後」とは言ったものの、“さうざー”自体を廃棄したという明言は無かったことから、天津垓の実家で押し入れの中に未だ箱に入ったまま眠っている可能性もなくはないのです。
まるで犬ロボから犬ロボへと転生し、再び主人に出会えたような演出ですが、そもそも先代が動かせる状態かもしれません。
あの大きい箱を垓少年がこっそり近所のゴミ捨て場に持っていったとも思えませんし、破棄したり売りに出したりすることをあの親なら「それは自分の弱さからの逃げだ」を責めかねないような気もします。
仮に旧さうざーが通信で飛電社にバックアップを残せるサービスだったにしても、現在サービスを終了してそうなDOG-GEARの各データを丁寧に保管してるとも思いません。
…すみません、回りくどく言ってきました。
つまり何が言いたいかというと、ゼアが造ったアレ、実際問題、“さうざー”ではないですよ。
ゼアが垓にもっかいDOG-GEAR渡したら何か起きるかと思ったら、勝手にさうざーとして見てくれただけのことですよね?
<ヒューマギアを凌駕するスペック>
DOG-GEARによって崩れかけたヒューマギアの歴史ですが、それはスペックにおいても言えることです。
皆さんもさうざー改の活躍はご覧になったことかと思います。
いえいえ、そっちの方の活躍ではなく。
(むしろ あの驚異の身体能力はウケ狙い演出とはいえ、ゼアから射出されたメカバッタが建物を破壊しながらゼロワンと融合して変身する様を見せられている分、コンクリにヒビを入れないだけ可愛いものだと思っています。)
そうではなく、35年前の産物でありながら、AIとして物体認識能力がイズを上回っているという話です。
では、旧さうざー、さうざー改、イズのモニターデータを見てください。
お分かり頂けましたでしょうか。
イズは序盤、再起動して間もない状態とはいえ、物体認識の成功を発声しなければならない程度の認識能力でした。
感情を読み取ろうとする表示はモニターからは見えません。
ところが、さうざーは旧型の時から的確な物体認識どころか主人の複雑な感情を項目に分けて読み解いているのです。
イズは未だに或人が嫌がるギャグの説明をしてしまったり(逆に或人がしてほしくない説明に馴れていった感があるぐらい)、不破に辛辣な言葉を浴びせたりと対象の感情の理解していないような発言をすることがあります。
イズに限らず、ヒューマギアは人間の感情に対して鈍感な個体が多く描写されてきましたよね。
しかし、さうざーは旧型であっても垓を落ち込ませまいと言語は使えずとも身振りで励まそうとする様子から相当なコミュニケーション能力のレベルに達していると言えるのではないでしょうか。
本来であれば、四肢を持つAIロボットの派生の先に二足歩行で手先を器用に扱えるヒューマギアがあり、スマホに搭載された検索AIからフォルムにこだわらないコミュニケーションAIへと進化を遂げ、その可動と会話、全ての技術の集大成としてヒューマギアが生まれることが自然な開発系譜のはずなんです。
ライズフォン→アイちゃん
↓
DOG-GEAR→ヒューマギア
これが自然な流れですよね。
しかし実際は、
DOG-GEAR→アイちゃん
↓ ↗️
ヒューマギア
↑
ライズフォン(ザット)
このような開発系譜になっているのです。
検索厨のイズがライズフォンに搭載されているAI“ザット”*2の流れから来ているのは言わずもがなと思われますが、DOG-GEARから備わっていた人の複雑な感情を読み取るプログラムはイズに反映されているとは考えにくく、それらはダイレクトにアイちゃんに受け継がれているように感じます。
その証拠にわずかな言葉のニュアンスから悩みを的確に見抜いていました。
ヒューマギアの能力からアイちゃんにフィードバックしたものがあるとすれば、せいぜいDOG-GEARにはない言語を発する会話機能ぐらいでしょう。
そして、旧さうざーとさうざー改の進化の差が分かりやすく演出されているのは画面の表示がひらがなから漢字と英語まで使えるようになった程度です。
見た目にも分かりやすいとはいえ、「限られた ひらがな しか使えなかったファミコン初期のドラクエに比べたら、プレステのドラクエになって漢字表記増えたね~!」…じゃないんですよ、くだらなすぎます。
今回担当した監督は初のメインのようですが、少年時代の垓と現在の垓を重ねる演出をしたいがために旧型さうざーを底上げし、旧型に相応しくない性能にしてしまったのだと私は邪推しています。
本来であれば、旧型のさうざーは35年も前の話ですからまだ垓の複雑な心境が分からず、ただもの悲しげにする対象を慰めるプログラムに動かされるまま、懸命に励ましているとしておくのが自然です。
そこから最新の技術により、バージョンアップした さうざー改は相手の複雑な感情を理解し、寄り添い方の幅が変わり、より親密な態度の変化に垓の心は打たれた…にすべきだったと思うんですよね。
そうしなければ、人の感情をイマイチ理解できていない後発のヒューマギアが 旧型のさうざーにすら劣ってしまうことになってしまうんですよ。
この度、「仮面ライダーゼロワン 第38.39話」の監督を務めさせて頂きました。
— 作野 良輔 (@reddaiger) 2020年7月9日
天津垓の過去、aiboとのコラボ、そして何より自分なりの「仮面ライダー」らしさが少しでも演出できたのではないかと思っています。
少しでも多くの方に視聴して頂き気に入ってもらえたら幸いです。
宜しくお願いします。 https://t.co/xjjveMJGYl pic.twitter.com/WDofRWCBGt
初のメイン監督で、「良いシーンを作り上げたい!」という気持ちは分かりますよ?
でも、ここは文字で語りすぎるのをぐっと我慢すればいいじゃないですか。
「ふあん おとうさんにみとめられたい 1000てんとれるずのうがほしい しんぱい」
「絶望 誰にも認められなかった 自分に1%の価値もなかった 挫折 何もかも失った 誰かに助けてほしい」
これらのキャラの感情を安易に文章化してしまうなんて、理解が足りないと見なされた視聴者への冒涜のように思います。
人間の複雑な感情を軽んじてしまった作品に対するマイナス演出と言ってもいいでしょう。
演出家が文字の羅列に頼るなんて、風情ってものがありません。
むしろ、文章化する以外の方法で、画で、垓の感情を我々に伝える努力をするべきではありませんか。
これが脚本家のト書き通りだというのであれば、久々復帰の脚本家への文句に切り替えるだけの話。
もっと言えば、力技で旧型さうざーとさうざー改を同じものに見せてしまうのではなく、素直に似て非なる2つを同一視してしまう垓の弱さ、悲哀をもっと前面に出すべきとも思いました。
そういった垓の人間らしい泥臭さを見せる肝心要のシーンを綺麗事で逃げてしまうのも、ゼロワンの年間を通して反省すべき点でしょう。
或人の考えの浅さを美談に、刃の不器用さを美談に、そうやって良い話風にやり過ごしてきた結果が今じゃないですか。
子供向けながら、その人間臭さを表現していいのが仮面ライダーシリーズの強みだと思うんですけどね。
しかし、それらの演出を含めて、そうやって放送してしまう。
それが公式、それが本編、それが結局はゼロワンの全てなのです。
その日暮らしで現れた犬型ロボットが人の気持ちを的確に理解し、大ジャンプもこなし、ヒューマギア同様に元の生物を超越するAIがこの世界で2つも混在することになってしまいした。
そうなると今度は、この魅力溢れるDOG-GEARの商品はどうして萎んでいったかが矛盾してきますが…。
<DOG-GEARから完全撤退>
「人工知能搭載犬型ロボットといえば、飛電インテリジェンスが昔、開発した商品だよね」
飛電社の歴史についても言及しましたが、アイちゃんのこの口振りから察するに、飛電はDOG-GEARを取り扱わなくなって相当な月日が立ってるように思います。
同様にSONYも一度、AIBOの生産とサービスを終了しています。
“アイボ”が大文字表記と小文字表記に分かれるのはこの前か後かの違いなんですね。
この経緯は当時のCEOが利益を鑑みて不毛な企画としたからと言われていますが、飛電インテリジェンスの是之助の語られてきた考えから察するに、SONYのCEOと同じ理由で利益のために夢のマシンを切ったとはとても思えません。
少なくとも、なんらかの理由で一度生産をやめたDOG-GEARであっても、相互に作用しそうなヒューマギア事業とともに再開してもおかしくないですよね。
そうなると、結局は息子を亡くしたことでAIによる人間 “飛電其雄”の復元にすがり、AIロボットは「夢のマシン」だと心を入れ替えたと推察するのがしっくり来てしまいます。
もしくはDOG-GEARの流行により、手のかかる生身のペット犬の売り上げが下がり、売れ残った多くのペット犬たちが山に捨てられたことが社会問題になって…なんて経緯があるという説も、「ヒューマギアが人間の働き口を奪っていく」と危惧された飛電社の開発した商品らしくて有りだと思いますが(笑)
<悪事を働く垓にあの過去は直結しない>
「AIロボットは人を堕落させる道具だと思っていた」、「実は飛電インテリジェンスを愛していた、愛したかった」という理由付けのエピソードとして“さうざー事件”が作られただけに留まれば問題ありません。
しかし、あのエピソードから垓がなぜAIだけでなく生身の人間をも道具と見なすようになったかは説明付きませんし、裸一貫、己一人のポテンシャルで挑む実力主義となったのであれば華道家や自社の社員を利用する道理も分からなければ、底上げが用途のZAIAスペックも依存しかねない道具になってしまうので、矛盾が生まれます。
99点とも言えないだるだるの、上昇思考を感じられないあの鍛えれていない身体だったことにも説明をつけられないのです。
第一、99点がポテンシャルの垓に足りない1点(正しくは901点)を、他人を出し抜く誤ったやり方で補おうとする心理は決して肯定してならないものです。
父の指す1000点の取りにいく姿勢というのは「悪事に手を染めてでも」なんてメッセージは含まれていませんよね。
何故、さうざーを作った飛電社への逆恨みとはいえ、AIロボを発展させないために敢えてアークに悪意を教え込んだという点も繋がったようにも思えません。
ネットでは「ずっと一人で可哀想な垓を許してあげよう」という声もあるようですが、今回明るみになった悪事一覧に限らず、少年時代から姑息な生き方をしていたからこその現状のように思えてくるのです。
例えば、試験で100点を取るために弱みを握った同級生に回答を盗むよう脅し、その弱みというのは垓があらかじめ仕込んだものだったり、単純に教師を脅迫したり、勝負の時には自分が勝てるように決して苦手分野では戦わなかったり…など、小憎たらしい少年の卑怯な生き方が目に見えるではありませんか。
そこのどこに「誰にも認めてもらえなかった」という同情の余地があるのでしょう?
それは「因果応報」であり、背反する言葉ではありますが「憎まれっ子世に憚る」ということになり、情けをかける道理はほとんどないように思えます。
<早すぎる さうざー改の構築>
垓がアイちゃんに友達になろうと持ちかけられて、何故か自身の生い立ちをベラベラと話すことで垓が昔DOG-GEARを愛用していたことが明らかになりました。
垓の口からDOG-GEARについて語られたことは初めてですが、この会話が終わった直後に沈黙を貫いていたゼアは さうざー改を便利3Dプリンタで造り始めるのです。
最近、日本で驚くべき早さの計算速度を持つスーパーコンピューターがニュースになりましたが、今、垓に再構築した最新型のDOG-GEARを与えられることで或人にどんな優位性があるかを即座に導くというのはいかにゼアがアークも恐れるべき存在であるか理解できます。
しかし、逆に瞬時にここまで予測出来るのであれば、アークがベルトとして実体化する前にいくらでも事前回避できる可能性を見出だせたような気しかしません。
<夢のコラボでメッセージ性も沈没>
以前にブログで「ゼロワン脚本は役者の演技などインスパイアされた時に説明つけやすくするためにキャラクターの背景を前もって語ることが少なく、空白が多い」と言及させて頂きましたが、おそらく垓も柔軟に後付けで生い立ちを足せるように今まで語らないでいたのだと思います。
(ざっくり「親とのいざこざで垓の性格は形成された」ぐらいはイメージしていたのかもしれませんが)
それが物語の佳境になり、スタッフがaiboとのコラボを取ってきたことで垓の過去に組み込むことになったとすれば、父親の言動にさうざーを絡ませる無理矢理とも思えるエピソードにせざるを得なかったことが考えられますよね。
さらにその皺寄せにより、飛電社の直系の跡継ぎではない天津垓のエピソードで、ヒューマギア開発の歩みが、そして飛電インテリジェンスの社歴が歪んでしまったのです。
本末転倒ですよね、ヒューマギアや飛電社のことってメインキャラクターから逆算するにも、少なくとも主人公で、飛電家の正統な跡継ぎである飛電或人の生い立ちから基準に考えていくべきものじゃないですか。
もしそれで「急に決まったコラボなので、序盤からDOG-GEARが組み込まれなかったのは仕方のないことだ」という擁護や言い分があるのだとすれば、それはその場に流れてきた藁にすがった甘え以外の何物でもないと思います。
コラボしたから破綻した、世界観より話題性を重視したなどと胸を張って言い訳されても、1年近く小さい違和感たちを我慢して付き合わされた身としては困るんですよ。
3クールにもかけてすれ違っていた不破と刃をポッと出のアイちゃんに解決させてしまうことも「ヒューマギアはコミュニケーション能力に乏しい。しかし人間から何かを学び、懸命に生きようとしている。学習が大事なのだ」という今までのAIが学習していく積み重ねの重要性を無駄にしてしまうような構成です。
aiboとのコラボという話題性に目がくらんで是之助の理念や飛電社のAIに対する向き合い方をあべこべにして棒に振るなんて、つくづくバカな制作なんだなと呆れた次第でしたとさ。
#仮面ライダーゼロワン いよいよ明日からです✨✨
— 日髙のり子 #nonko40th (@nonko_hidaka531) 2019年8月31日
私はAI「ザット」の音声として頑張ります❣️
優秀なAIと言われたい…🙄笑#ゼロワン待ちきれない https://t.co/czLk8owm2G
#日髙のり子の無駄遣い
ゼアが喋る時に日髙氏を使う日は来るのか。。。