仮面ライダーオーズ完結編「復活のコアメダル」の結末について
当たり前ですがネタバレます。
今回、賛否両論ある結末については避けようがない、必然であったなと思っていて。
というのも、TV本編(アンクの死)、『MEGAMAX』(アンク復活の未来提示)、『平ジェネFIN』(仮初めのアンク復活)が来た以上、この結末しかあり得なくなってしまうということなんですよ。
本来の10周年であれば、レギュラー陣総出ならなおのこと『平ジェネFIN』のビルド&エグゼイド&オーズ以外のレジェンド抜きで仮初めのアンク復活をやるのが妥当な線ですが、もう既にやってしまっている。
さらには『MEGAMAX』で、アンクが復活している先に映司は不在、ポセイドンの横行が許され、仮面ライダーアクアがオーズの代わりに戦う未来が決まっているので、アンクの復活は確約されたものの、「アンク復活する未来に映司が不在」でなければならなくなってしまったのです。
『復活のコアメダル』が決まった際に思うこと記事を上げつつ、どう書いたか読み返すのも面倒臭いんですが(笑)、『MEGAMAX』の指す未来ならば「おじいちゃん映司の横に復活してあの頃の姿のままアンクがいる」が成立しそう、そこで老いの関係で映司が先に逝きアクアに繋げることは出来そうだと思っていました。
しかしそれは小説など受け手の想像力に委ねる媒体の作品であればまあ許されそうなことであって、実写化でやる場合はもっと何がどう起きて代償に何を失ったかを酷であろうと明確に示さなければならないと思うんです。
曖昧なまま来たアンクの復活を結局有耶無耶にしていくのは不誠実になると思いますし。
ズルズルとアンク復活の兆しを擦って来た以上はアンクをここでハッキリと復活させ、綺麗に締める…もう10周年にオーズを完結させるしか道はなかったワケです。
オーズを閉じるということはアンクが復活するということ、アンクINの映司OUTにさせざるを得ない、となると映司は死ぬしかなかったということになったんだと思います。
そこを突き詰めた作品だったと。
とはいえTV本編だけを思い返せば、アンクは自身の死を以て、自分のせいで誰かを死なせてしまう事実から自己犠牲の塊になってしまった映司を解き放ったラストだったはずです。
少女を守れず悔い続けた映司を解放したのは最終的に利害の一致から始まった関係のアンクであり、他者を救うことで命を懸けすぎず、自分を思う仲間がいることを知った、アンクへの手を放し、手を伸ばされる側になった映司で終わったんですよ。
もちろん、それなのにアンクに自身の命を捧げて復活させるだけなら超ナンセンスですが、別の少女を守った結果、致命傷を負い、であればとアンクに命を譲るという構図は、少女を守りきれるかどうかで「守れたね」と対になるものの、TVシリーズで出した答えの否定になってしまう気がしました。
死に急いでしまう映司を改心させる、それがオーズだったように思うのです。
しかし、上記で述べた通り、アンクの完全復活に映司の不在はセットになってしまっているのでかなり譲歩した構成だとは理解しています。
これに関しては完結する以上、やりようがなかったと言うしか他ないのかな。
「ダブルやフォーゼならこの結末はあり得なかった(誉め意見)」という感想を見ましたが、TV本編からの延長で見れば逆にダブルやフォーゼの方が、街の人のため、友のため、教え子のためにライダーとして死ぬ完結編の方がむしろアリじゃないかと思うぐらいです。
『アルティメイタム』で弦太郎は教え子に勇気を与えるため、何故かあった溶鉱炉にフォーゼドライバーを捨てました。
あれは事実上のフォーゼの完結、フォーゼの死を示したんですよ。
ただ、映画の都合上、ウィザードとの共闘も控えていたので過去に戻って回収していますが(笑)
とにもかくにも簡単に言えば「とにかくライダーって死なせちゃダメだろ」ということですかね。
我々オーズリアタイ勢の拠り所がどうのではなく、子供向けである以上、オーズをこれから見る子にも永遠のヒーローがいなくなってしまう事実はダメだと思います。
ゴースト放送中に放映された『仮面ライダー1号』では中盤にハッキリと1号が死にます。
しかし火葬の熱風を受け、文字通り不死鳥の如く炎の中から蘇るのです。
それは死ぬことでゴーストに絡めた1号の英雄化して見せた役割の他に、単に「仮面ライダーは不滅だ」という明示なワケです。
クレジットの藤岡弘、氏のメッセージにもありましたよね。
『アルティメイタム』に話を戻せば、溶鉱炉にドライバーを捨てた後、賢吾がなんやかんかあってもフォーゼドライバーは必ず弦太郎の元に戻ってくるとフォローしたのは完結と不滅の両方をやるためだったのです。
(もちろん、相反することを直後に説明付けたので「どないやねん」と言いたくなる気持ちは分かります)
「今後、オーズはクロスオーバー作品に出ないでほしい!」なんて感想も見つけましたが、何か理由をつけて復活していいんですよ、ドライブだってなんだって。
それは、子供たちのため。
平ジェネFOのようにずっとオーズドライバーに手を当てる度に「アンク…」と言って戦ってくれるのがオーズ像なんですから。
まあ結局は、平ジェネFINのせいで小さく続編的なことをしてしまった皺寄せが今回の賛否両論を生む結果だと思うと憎いって話ですかねぇ。
(前の記事でも言った気がしますが)
あくまでこの結末に向かった経緯、結末そのものに距離を置きたいだけ。
演出やキャストが揃ったこと全てが混ざり合って作品になるので、『復活のコアメダル』そのものを否定したいわけではないですが。
まさか結果的にジオウのアンクがいない世界線で映司は元気そうという解釈が救いになるとはね…。
とはいえ、完結編を受けて過去作である『MEGAMAX』の未来アンクと映司の邂逅、そしてライダーを引き継いだアクアとの共闘に新しいニュアンスが生まれたのは面白いなと思ったり。
そうなると、ジオウの別世界線で死んでしまうアクアで変な循環が生まれてしまいますが(笑)
個人的には里中くんがこのために女優業復活してくれたのは嬉しかったです。(前も言ったような)
あと、比奈ちゃんのメディア露出も増えてくれましたしね~、とても美しくて(そこ?)
リバイスは…仮面ライダーやってた人が銭湯始めて、無意識化で火事にしたとはいえ、後に都市開発で簡単にみんなで守った銭湯を売ろうとする五十嵐元太の真相に、皆さんよく膝を打てるなと(笑)
三人兄妹に隠された秘密も「ギフ」と「義父」がかかっていた、そうですねぇ、凄いですねぇ。
じゃあ、ギフ様が見つかった場所は岐阜県でいいんじゃないですか?(鼻ほじ)
実在感がないリバイスって劣化版オーズ?(仮面ライダーリバイス第11話周辺の感想)
「さくらって世紀末の、力が全ての世界から来たんか(笑)」
私の世代でもない、恐らく『北斗の拳』的な作品なんであろう揶揄を散見しました。
他にも「『鎧武』の戒斗みたいな作り話的なキャラだから成立するんだよ」なんてのもあったかな?
もう作劇としてのダメさなんて分かりきったことの言及をするつもりもないんですが、そこで「『リバイス』にリアリティを求める滑稽さ」と「さくらに実在感を求めるファン層の深層心理」みたいものに興味が湧いたんですよね。
リアリティってなんだ
まず、逆にお聞きしたいんですが、『リバイス』の他のキャラは現実に有り得る人物像なのかと。
今時、家業を継ぐために若くして夢を諦めたお友達って知り合いにいますか?
親が長男ばかりを贔屓しないのにコンプレックスを抱く次男を媒体でも見たことありますか?
そもそも、意味もなく空を漂う飛行タイプの戦艦風アジトにリアリティを見出だそうとしない時点で、ケレン味優先の『リバイス』にリアリティを求めるのお門違いよねって気がします。
地下に潜伏する地下アジトと対比で空に飛ばすにしたって、ライダー担当することになって戦争もの知るために脚本家がガンダム観漁って引用した『ビルド』じゃないんですから。
今更ながら鉄血のオルフェンズが面白い。
— 武藤将吾 (@muto_shogo) 2017年3月27日
Amazonプライムで毎日1話ずつ観る楽しみ( ´∀`)
全然観てなかったガンダムSEEDとかガンダムOOとかも後追いしそうな勢い。
そんな時間ないのに……(@_@;)
フォロワーさんが「アレはMCUコンプレックスだ」と称していましたが、まさにそれで、あんな離着陸場所の設定も無さそうな、隊員の偵察にも移動手段の描写もなくただ浮いてるだけの機関に何か意味があるとお思いですか?
あの空飛ぶ基地からリバイスのようなホバーバイクに跨がった隊員が急行するとかならまだ分かりますよ。
…おっと、空飛ぶ戦艦ごときにここまで怒れてしまいました。
そこに来て、『デッドプール』みたい気の利いた脚本書けないのに、第4の壁を破って好き放題するバイスですよ。
リアリティを追求するような作品じゃないと把握されているなりに五十嵐さくらには実在しうる人物像を求めるってなんなんでしょう。
雰囲気だけの"作り物"に対して早々に嫌気が差した身としては「今さら?」という感じなんですよね。
言ってみれば、平成ライダーが長らくのお休みを経て再起出来たのは、『クウガ』のこのリアリティの線引きが当時の視聴者に刺さったからと言っても過言じゃないでしょう。
あのリアリティに対する追求の好みは分かれるところではありますが、現代が差す『ライダー』の必要不可欠な要素があります。
『クウガ』がその最たるところだとして、『アギト』以降は設定や人間としての苦悩など、何かしらでリアリティを以て実在感のある作品が作られて来たように思うんですね。
単に設定だけの話でもなく、突拍子もない人格も物語を構築するリアリティの有無に関わる要素だと思いますから、重要なことだと思います。
『ダブル』ではキャラクターが二次元的な脚色であっても架空の都市"風都"については作り込むことで実在感というリアリティを持たせています。
対照的に『オーズ』…小林靖子脚本全般に言えることかもしれませんが世界観こそはぶっ飛んでいてもキャラクターの生き方にリアリティが感じられることで荒唐無稽さが抑えられているように感じました。
『フォーゼ』以降は、二次元的世界観に二次元的キャラクターでライダーらしさが格段に薄れていったように思いますが、何故ここに来てファンの間で五十嵐家の面々に実在感が求められるようになったか不思議でしょうがありません。
(『ビルド』みたいな虚構の塊が実在感のあった『ダブル』と似てると言われるのは心外、ガワだけで語んな)
『リバイス』の方向性として鼻につくほどの"負の感情のリアリティなら出してます感"から「靖子脚本になれなかった作品」と化してしまったのか、フィクションとリアリティの『オーズ』的なバランスの取り方を無意識に皆さんの中で求めてしまったが故の劣化版的な立ち位置の称しやすさになってしまったのか。
「仮面ライダーやりませんか?」と来たときマイルールを決めた。
— 木下半太 (@hanta_kinoshita) 2021年9月7日
子供や特撮ファンに媚びない、遠慮しない。そういうのはすぐにバレる。絶対求めてないよね。
まずは俺自身が物語を楽しむこと。
キャラクターを愛すること。
それが一番大事!
早くアイツらに会いたいぜ!!#仮面ライダーリバイス
逆にアンクが「テレビの前のお前ら、ハッシュタグつけて応援しろ!」なんていう作品だったとしたら媚びないなんてまだ生温い、相当なリアリティでのバランス取りが必要になるので、その状態に達してる『リバイス』はある種の詰み状態な気もします(笑)
武闘派女子は創作の中だけ?
じゃあ何故『リバイス』において、例えば誰かの言うように戒斗は良くて、さくらはダメなのかと考えた時に、フィクション性の高さだけでなく多少のジェンダー的な見方も絡んできているような気がします。
普通の女子高生が力に枯渇することはおかしいのであれば、未だにタピオカジュースに固執する他作品の女子高生はナチュラルなのかという話で。
ネット民がすぐにネタにしたがる強さへの探求心が人一倍あるストイックな女性スポーツ選手もいますし、現実に存在しない思考でもないと思うんですよ。
逆にこちら側の色眼鏡を外せば、男性だって「強さが全て」と力を持つことを強いられる時代ではなくなってきましたしね。
結局のところは所謂"女性語"と呼ばれる「ですわ(ね)」などと言いながら女性"らしい"とされる振る舞い、思考の女性的"型"の持ち主であればキャラが現実離れしていようがステレオタイプ化した方が受け入れやすい傾向にあるんじゃないかと思うんですね。
ギャップ萌えみたいものの作用もあるかもしれません。
そこに説得力を持たせて描けなかったのは脚本家の力不足に他ならないのですが、そういった意味ではアギレラの「ぴえん」などと言った女の子っぽい所作も、さくらと対極に置くための造形にさせられ、中年男性の思い付きそうな女子っぽさの"押し付け"が感じられるなぁと思った次第です。
その方がライダー好きな層には許容どころか愛されていくなんてホント面白い話なんですが(笑)
「ライダーなら主役、戦隊ならレッドが女性」
— 電車に乗ったら窓開けまくるyamazakuraさん@コロナ収束の早道は政権交代 (@yamazakura5963) 2021年7月29日
というのは未だやってない斬新なアイデアだと思うんですが。
「それがプリキュアだろ」という反論も込みで言ってますけど。そうじゃなくて「男女混成チームの中でメインが女性」じゃなきゃ意味無いんですが、これは言ってる人少ないんでは? https://t.co/wlopOiVted
https://twitter.com/yamazakura5963/status/1420688181117153289?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1420688181117153289%7Ctwgr%5E%7Ctwcon%5Es1_c10&ref_url=https%3A%2F%2Fsongen.hateblo.jp%2Fentry%2F2021%2F08%2F13%2F031815むしろ、一時期「女性ライダーを主役に!」と訴えていた一部の意識高い系の層に大変お気の毒な話なのですが、それ以前に作り手も受け手もそこまで意識が育っていない、かえって世の中へのメッセージ性すら受け取れない界隈の成熟しなさっぷりを痛感するばかりです。
年々、意識高いアピの声はデカいだけで、ウケ狙いの安直な方に退縮してる気さえしますし。
何せよ、結果的に、さくらとアギレラの対立構造はあらゆる面で相乗効果でどちらも嘘臭くなってると思うんですよ。
言動もそうですが、さくらの中の人の持つバレエのしなやかな動きと実際の空手道のメリハリのある動きは対照的なものですし、対峙するアギレラの普段の腕に覚えが無さそうな所作と地続きなスタントなしの殺陣も圧倒的な強さに直結しておらず、この画作りに終始「立ち回らされてる」感じがしますしね。
逆にさくらの型がある固い動きに対して、アギレラの中の人がバレエ経験者で軽やかにさばく…なんてアクションだったら説得力がある演出になったような気がします。
「こういう綺麗どころの二人に因縁がもたらされるのが面白い」、その一転突破の価値しかないなと。
ライダーを目指す動機に関しても、いっそ、ジェンダーの部分は開き直って全面に出すというのはどうだったんでしょう。
例えば、
さくらが力を求めるために男幹部に圧倒的大差をつけられ、その中で男兄弟に「お前は何もするな」とたしなめられる。
幼少期にも年上の男の子にいじめられ、それを助けてくれたのか兄二人だった。
それが悔しくて"無敵"を求め、武道を始めた
…とすれば、現在と過去の状況がクロスし、さくらが力を求めライダーになるキャラだったとしても「世紀末に生きるキャラじゃないんだから」なんて言われを受ける必要がなかったような。
強さへの探求については『電王』のキンタロス登場回を私は思い出すのですが、「強くなりたい」という欲望に翻弄されるという意味ではやはり『オーズ』に近いのでしょうか。
…そうです、欲望に対するエゴや悪意をフィーチャーしているだけの違いで、それを仰々しく悪魔と謳ってる『リバイス』って段取り的にも、やっぱり劣化版靖子ライダーであり、劣化版『オーズ』なんですよね。
人の心に棲む「悪魔」に定評あっての脚本家の起用でしたが、そもそもがその手の本質を描いたものは既に良質なシリーズがあったよねという再確認になってしまいました。
ヒーロー像は変わっていくと言いますが
『鎧武』以前にもリアリティのないライダー変身者はいた気もするのですが、皆さんの中でライダーのキャラクターってどういう捉え方をしているんでしょうか。
私たちってそういうリアリティの中のフィクション性からライダーに憧れ、愛していたんじゃなかったのかと。
言ってしまえば、2000の技を持ち、笑顔のために自己犠牲の上で戦う青年だって「そんな奴いない」と卑下されても全然おかしくないと思うんです。
そこに強い説得力を持たせようとしたのが、『オーズ』にて伊達さんが火野映司の見返りの無さを気持ち悪がるシーンだと思います。
「自分が命を懸けることで誰かを守ろうとする人間と、誰も信用置けない世界で自身が力を付けることにアイデンティティーを見出だす人間の、こんなご時世にどちらにリアリティがあるのか?」、私の中でも明確に答えは出せていないのですが『リバイス』へのツッコミを見るにファンもヒーロー像が大分ブレているように感じました。
昨今の出来の悪さに私も見失いかけそうです(笑)
『セイバー』でユーリがヒーローの形は変わり、遠い存在の孤高の戦士から多様性も必要とされ、親近感さえを持ち合わせた、言わば自分の写し鏡であるキャラ像さえも肯定されるような台詞を言っていましたよね。
令和に切り替わり『ゼロワン』や『セイバー』、つまんないことを恥ずかしげもなく大声で言ったり、何でも創作に絡める空想ヲタク脳の主人公だったりと一点では近い人物像に寄っては見せたのかな?
しかし、そういう変化を制作でさえ肌で感じていながら、過去作と違い、主人公とご存命の家族を巻き込みながら語っても、それでもなお視聴者にとってリアリティを思わせられない辺り、やはり『リバイス』にも期待は出来ないように感じてしまいます。
「財団Xの決着つけろ!」言いながら「アンクは復活しなくても…」と言うヲタクの矛盾に思うこと
ご無沙汰しています、ルナ太郎です。
最近、そろそろ3歳になる息子とコンビニに行ったのですが、雑誌コーナーを通った際に水着姿のアギレラちゃんが表紙のヤングジャンプを見てニッコリと笑い、「これ欲しい」と所望してきたので「これが血なのか」と頭を抱えかけたりしたりしていました…。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
さてさて。
セイバーを見終えてとりあえずはこれからの仮面ライダーに期待出来ぬという結論に至りTwitterをやめ、つぶやきなしでリバイスを見始めてそれでも文句が沸いてきたのでTwitterを再開し、やっぱりどうしようもなさそうでまたやめてしまったのですが(笑)
『仮面ライダーオーズ』の10th作品に対して文句も生まれつつ、似たような文句を言ってる特ヲタに対しても違う文句が生まれたので、再びブログ記事を書いてみようと思った次第です。
皺寄せを受け続けた作品であった『仮面ライダーオーズ』の辿った特異な扱いを振り返りつつ、度々ネットで議論されがちな"財団X"なる敵組織についても考えて見ようと思います。
- アンク復活における一抹の不安
- 『オーズ』は派生作品があんま上手くない
- 一部ファンから執着される財団Xの行く末
- じゃあどの辺のライダーが倒すべきなのよ
- 仮面ライダーオーズとはなんだったのか
- ジオウでのクロスオーバー元の扱い
- そんな大人げない話はやめようよ
続きを読む
『リバイス』が始まる前から既にバイスがキツい話とデザストを良しとする界隈の風潮がダメな話がしたい
ご無沙汰しています。
以前、急遽、夏映画が始まる直前に『セイバー』に思うところがあり久々にアップして以来の記事、割と早めの更新ですが、その後も何かしら物申すんじゃないかと『セイバー』終了前後に足を運んでくださる方をアクセス数で知り、有難く思う限りです。
『リバイス』に関しては夏映画、先日の『セイバー』増刊号、各メディアで開示される事前情報にどんどんと期待できず、小言を言い続けるのはニチアサを楽しみに見始める子を持つ親としてどうなんだという思いから、ツイッターをいっそのことと辞めてしまったのですが、どうしても…吐き出せるものはどうしても出しておこうという思いから今一度更新させていただこうと思いました。
何か物言ってくれよと思ってくださる方には、ツイッターやめてしまって申し訳なく思っています。
で、今回の記事というのは…タイトル通りの内容です(笑)
ただ、私が『リバイス』に期待できないと思ったパイロット版や先行公開的なあくまで設定や描写から読み取れる「(仮)」の要素が強いものですので、そこから危惧すること自体が取り越し苦労であるという自覚があるのは承知の上で読んで頂ければいいと思います。
作り手がライダーお初の人もいるので過去作の失敗例を引き合いに出しても同じ轍を踏むとは限りませんし。
とにもかくにも、相変わらず長ったらしいだけの文章なので目次を見て気になるところだけでも読んでいただけたら幸いです。
- 仮面ライダーとしての良さが著しく損なわれそう
- 悪魔契約モノってさ
- 第二のモモタロスを作る技量は新鋭()スタッフにある気がしない
- ダブルは悪魔契約モノじゃねえぞ
- そもそも悪魔契約モノが後手すぎる
- 今の制作は色々と足りてない気がする
- ギャグセンスがないのでふざけた奴らの変身するのが不安
- バディ変身ってダブル以降で上手くいっていたかな
- 第4の壁壊すのは配慮が必要
- オナラをこかれて頭抱える
- 「二人が二人に」にそこまでの金脈が見えない
- 二人で戦うからなんなのか
- 夏映画の先見せとコラボ回でもう弾切れ感
- 見た目と戦い方がマッチしないリバイ
- 最後にリバイス担当の望月Pの新卒向けメッセージを読んでくれ
- ギャグセンスがないのでふざけた奴らの変身するのが不安
デザストの急な掘り下げに思うこと
どうも。
『仮面ライダーセイバー』の感想は久々になりますかね。
『セイバー』に対して思うことはちょこちょことTwitterにつぶやいていて、まとめる必要もないのかなとここまで思っていたのですが、今回は長々と書きたくなってしまいました。
私はデザストの最近の扱いに対してかなり「非」ないしは「否」の立場です。
と言いつつ、記事のタイトルにしました通り、ある意味でデザストが生まれるのは作品の立場上 仕方のないことだったのかもしれないと考えつき、語らせて頂ければと思った次第です。
- デザストを許容できない理由
- ・SNSでの掘り下げ
- ・スピンオフで掘り下げたかと思いきや
- ・剣参との因縁
- ・三属性ミックスは何のための
- デザストに与えられたメタ的な役目
- ○○風を楽しみたいファン層
続きを読む
【ネタバレ注意】控えめに言って劇場版ゼロワン最高でした!今まですみませんでした!!【手のひら返し】
杉浦監督なのでアクション面はある程度の保証がありましたが、何よりシナリオが最高でした!
劇場版の良かったところは、何と言ってもTV本編の描き切れなかった部分の全回収でしょう。
ある種の仕切り直しでありながら真の完結版と言っても過言ではありません。
TV本編ではおろそかであった、飛電或人という人間の共感しにくさや、仕事を奪われた人間はどうなる?など、これらをいつものように問題提起だけして有耶無耶にしたり、ギャグにしてお茶を濁すのではなく、しっかりとそれに対する答えを出しているのです!
映画公開後に公式から出たプロダクションノート(インタビュー書き起こし)を引用しつつ、映画の良かった部分について振り返ってみたいと思います!!
- 映画本編の新キャラとおさらい
- あらすじ
- 朱音
- エス
- TV本編を精算するために
- 朱音が見る側に或人の境遇を身近にさせた
- TV本編では語られたかったAIに失業させられる人々に対するアンサー
- エスに託された宿敵たちの遺恨
- 或人の成長、垓の贖罪
- 「REAL×TIME」はいかにして作られたか
- 映画を支えるサブキャラクターたち
- 滅亡迅雷
- 刃と不破
- アバドン
- 福添
- 冬映画に欠かせないセイバーとのクロスオーバー
- ゼロワンとはイズの悪女ものであった
映画本編の新キャラとおさらい
あらすじ
突如、各テレビ局が天津垓によってジャックされ、飛電インテリジェンス一帯の爆破予告がされた。
遡ること数時間前、或人の元に刃、垓、迅が召集され、エスを名乗る謎の人物から決闘の申し込みのメッセージが届いたことが知らされる。
エスという名前に身に覚えがあると話す垓は代わりに彼と決闘させてほしいと或人に申し出るのであった。
垓の様子に心配になった或人は、垓が決闘の場に指定したデイブレイクタウン跡地にあると言われる地下都市へと密かに着いていくが…。
朱音
ヒューマギアに職を奪われた大手メーカーの元 契約社員。
収入がなくなり、デイブレイク跡地にある幻の地下都市に住居を移すことを決めるも、ホームレス生活初日に天津垓とエスの対決に居合わせてしまう。
共働きだった両親のため、子育てヒューマギアに面倒を見られた過去からAIに恩を感じており、ヒューマギアや飛電インテリジェンスを恨むに恨めないでいる。
エス
13年前に始まった天津垓の計画のため、この世の悪意をラーニングさせられた実験AI、プロトタイプアーク。
様々な悪意をラーニングさせられるも天津垓の思い描いた結論に至らなかったため破棄されてしまったが、電脳世界に残った彼の一部は是之助を通して人類の未来に淡い期待を抱きつつ動向を見ていた。
しかし、代わって或人が社長の座に就き、是之介同様の期待をかけるも、お仕事5番勝負の結果やアークワン騒動を受け、満を持して人類が不要であったことに気付き、アズに手を貸す形で今回の事件を起こす。
飛電インテリジェンスのトップの座から或人を引きずり下ろし、飛電が持つ世界中の顧客情報を掌握し、わずかでも悪意を持つ者の位置を探知、アバドンを介し次々と処刑していく計画だった。
或人との決闘に備え、万が一を想定し宿す肉体は2つ用意していた。
続きを読む
ライダーヲタのネタバレなし映画『テネット』感想(+仮面ライダーセイバー 第5・6章感想)
ウクライナのオペラハウスで、突如としてテロ事件が発生。
現場に突入した特殊部隊に、ある任務を帯びて参加していた“名もなき男”は、大量虐殺を阻止したものの自身は捕らえられ、仲間を救うために自害用の毒薬を飲まされてしまう。
しかし、その薬はいつの間にか鎮静剤にすり替えられていた。
目覚めた“名もなき男”は、死を恐れず仲間を救ったことで、フェイと名乗る人物から、未来の装置「時間の逆行」を使い未来の第3次世界大戦を防ぐという、謎のミッションにスカウトされる。
鍵となるのは、タイムトラベルではなく“時間の逆行”。混乱する男に、フェイはTENETという言葉を忘れるなと告げる。
クリストファー・ノーラン監督の『テネット』観てきました。
公式の出すあらすじ以上のネタバレにならない程度の感想を書いていきますが、予告や前情報で皆さんもお察しの通り、巻き戻しの世界を扱ったSFということで、こんなデジタルの時代に「高画質の逆再生」というなんともアナログな映像体験を出来ると思い、ワクワクしながら見に行ってきたワケです。
CGに頼るシーンもありますが、通常で撮った映像を逆再生にしたり、逆行する世界観の再現のために逆再生を想定して演者が逆の動作をしたりする場面もあったりと非常に面白い(Interesting)な映画であったと思います。
- テネットの感想をライダーと絡めながら
- カブトとテネット
- テネットとセイバー
- 映像に対する力の入れ方の違い
- セイバー第5・6章感想(組織の作り込み甘くね?)
- 気になったところを順々に
- 最後に剣斬周りで気になったこと