元TBSアナウンサー 宇垣アナは可愛すぎてバイトの面接に落ちたことがないらしい(仮面ライダーゼロワン第19話「カノジョは家を売るヒューマギア」感想)
この都市伝説、信じるか信じないかはあなた次第です。(カメラ目線)
ZAIAエンタープライズが飛電インテリジェンスに仕掛けた“お仕事5番勝負”の初戦は、見事にZAIAが勝利を収めた。
ZAIA社長の次の一手は、ズバリ「家売る勝負」。
ザイアスペックを使った人間とヒューマギア、どちらがより家を売り、より利益を上げられるかという勝負だ。
ZAIAが仕向けるのは業界トップの不動産の営業マン。
そして飛電からは“スマイルで住まい売る”がモットーの不動産ヒューマギア・住田スマイルが立ち向かう。
果たして勝負の行方は?
そして、レイドライザーをばらまく、謎の黒い影の正体とは―――?
ZAIA編で一気につまらなくなったという意見が増えているようですが、放送が始まった途端から「つまらない!面白くなるわけがない!!」と言ってきた当ブログはその批判リンチの流れに乗っからずに思うがままを綴ろうと思います。
今回はゼロワン内での女性表現について、です。
ネット上で、あまりにも空気化する刃唯阿に対して「刃はジェンダー表現として女性が働く社会を描写できているのか?」という書き込みを見ました。
女性ライダーだからと言って女性らしく振舞う必要はありませんし、そこは制作もインタビューでそうならないように意識していると発言していましたが、「では、なぜ長い髪を結わずに銃撃戦をしていたのか?」という疑問が私には前からあったんですよね。
それに関しては刃が女性であるからこそ、わざと女性らしさの象徴である長い髪をたなびかせていたという狙いがあったからじゃないかと推測しています。
第1話と第2話でその長い髪を弾丸がすり抜けていく描写を続けて見せたのは確実に意図的なものでしょう。
ゼロワンのメイン監督である杉原監督はルパパトのメインも担当しており、同じように長い髪を結わずに戦っていた つかさ先輩も思い返せば監督の性癖のようなもので納得できますよね。
この時点で女性らしさを意識しないようにしているという制作の言い分はダウトになるわけですが、ネットの指摘通り、最近の刃は特に目立った活躍をしておらず、中途半端な立ち位置に視聴者の好感度が下がっているのは間違いありません。
刃役を演じている役者さんの可愛いルックスで、なんとかバルキリーファンを繋ぎ止めていると評しても言い過ぎないくらいキャラクターそのものに魅力を失ったと思います。
当初、ゼロワン自体は老若男女問わず、全層に向いた作品だとテレ朝のPが謳っており、“女性の社会進出”のプロパガンダ的役割としてレギュラー枠で序盤から変身する初の女性ライダー 刃唯阿は配置されたのでしょう。
しかし、その作品内において、刃という登場人物がしっかりと機能しているところを描けなければ、それは作品内外に関わらずお飾りの電撃人事だったということになってしまうのです。
最近、どこぞの大臣が育休を取りましたが、そこで「働き方改革の大事な一歩だ、偉いね、凄いね」で話は終わらせてしまうのではなく、育休明けには休みを取ったなりの所感をしっかりと話してもらわなければなりませんし、その間に担当の省が問題なく機能し、他の官僚も育休を取り始めるようになって、初めて働き方改革のプロパガンダとして成功したと言えるのかなと思います。*1
では、刃は現状で自身のポリコレ的立ち位置に上手く活躍の場を当てられていないとして、他の女性キャラはどうでしょうか?
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…あれ、他に女性キャラが存在しないぞ?
では、女性の容姿をしたヒューマギアにスポットを当ててみましょう。
秘書(イズ、シェスタ)、保育士(アバン)、バスガイド(アンナ)、看護師(白衣の天使ましろ)、花屋(サクヨ)…。
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…あれ?
おかしいなぁ。
刑事さん、どうして「女性が就くものだ」と時代遅れ的な考えとされている特定の職業には必ず女性ヒューマギアに当てられてるの?
…痛っ!(毛利小五郎のゲンコツを食らうワイ)
…というわけで(?)
このどの辺りが女性の社会進出を描いているのだという話になってくるんですよ。
50年前の話ってんなら分かります。
もちろん、職業を抽象化し、イメージが定着している方の性別を当てることで受け手にお話を飲み込みやすくしているのは理解しています。
だからと言って、職業に対して固定概念の浅い子供に“白衣の天使ましろちゃん”を植え付けて良いのでしょうか?
「女性だけが就く職業じゃない」と“看護婦”とは呼ばないようにしているこの時代に、近未来では「このあり方が重宝される姿なんだ」と?
ゼロワンごときで子供に固定概念が確立させるなんて言うわけではありませんが、この手の描写の蓄積が「男の子がなるもの、女の子がなるもの」の礎になることは往々にしてあることだと思います。
先日、某医大の試験で男性には無条件に80点も加点し、医師として育てる男女の数を操作していたことが問題になったばかりですが、なんとゼロワンは先陣切って「男は医者!女は看護師!」をやっていたようですね。
AIだけに監修を入れ、最先端の見解を描くことに尽力した結果、プロデューサーがやりたかったもうひとつのテーマである 「子供への職業紹介」は、今のところ性別の固定概念に囚われた配役をし続けているわけです。
ここでようやく住田スマイルが登場する第19話の話にたどり着きます。
住田スマイルの強みは、ニギローと同様にライズフォンから読み取れる個人情報を分析し依頼者に合った物件を提案すること、そして名前の通り、接客中に見せる“笑顔”でしたよね。
わざわざ、この5番勝負では2度も続けて女性ヒューマギアvs男性という構図を作り、女性ヒューマギア側のあり方を善としますし、さらには公式コラムや所属事務所による自社ニュースでも女優さんの説明を通して女性の可愛い笑顔が魅力になることを推しています。
住宅販売ヒューマギア、住田スマイルを演じていただいたのは、中﨑絵梨奈さん。
「笑顔の素敵なお姉さん、その名もスマイル」という高い高いハードルを軽々と乗り越えて、石田監督にこれだ!!と言わしめたのは、そのチャーミングな笑顔。
「素敵な笑顔は女性のもの」、そんな価値観が今回のゼロワン世界の共通認識のようでしたよね?
前回が女性型の花屋ヒューマギアだっただけに、同じ構図はくどくなるので今回は販売員が男性のヒューマギアでも良かったはずなんですよ。
それなのにまた女性ヒューマギアにする必然性はあったのだとすれば、それはこの“綺麗な女性の笑顔”に話を持っていきたかったからでしょう。
住田スマイルだけではなく、忘れてはいけないゼロワンのもう一人の女性(型)レギュラー 、秘書のイズもまた 可愛さが売りのキャラクターです。
ゼロワン世界内では誰もイズをそういう観点からは誉めませんが、とぼけた言動をあざとく映すなど、その可愛さを全面に出してゼロワンという作品を牽引させているのは、放送後に「今回の可愛いイズ」で盛り上がる特ヲタの感想が何よりの証明になっているのではないでしょうか。
制作はそこを意図した上での、今回、イズのふてった表情を演出したと思いますしね。
このように、女性の可愛らしさは需要があるというルッキズム(容姿主義)をゼロワンは作品の内外を狙って積極的に表現してきました。(記事のタイトルはここに繋がります)
話を戻せば、「今の刃の魅力は役者さんの可愛らしさでなんとか保っている」にも繋がってしまう見方ですし、「女性の社会進出の役割があるなら刃にもっと女性らしさを与えた方がいいのではないか」という特ヲタの意見はゼロワンの古いジェンダー論で配置された女性ヒューマギアの扱いに準ずるもので、ある意味で妥当な見方のようにも思います。
女性型ヒューマギアにはゴリゴリの女性らしさが求められるのに対して、人間の女性にはそこを一切求められることはない、そんな世の中ってありうるんでしょうか。
では、笑顔に自信がない、容姿に自信がない実際の女子は、今回のゼロワンを見て何を現実と重ねて見れば良いのでしょう。
ゼロワンが示す未来では、かつて「女性が就くべき」と言われていた職業に次々と美女のヒューマギアが配置され、勤勉さではヒューマギアに負けるからと とりあえず熱意は絶やさないように、さらに容姿を気にしながら女性は働くことが是とされる…これを考えなしに撮って、「女性の社会進出」の表現になってるなんて悪い冗談にも程がありますよ。
少し論点がズレますが、大工ヒューマギアだって固定概念に囚われず、逆に最強匠親方を尼神インターの渚辺りが不愛想に演じたって面白くなると思います。(今の配役の方には悪いですが)
女性の登場人物が可愛くて何が悪い、女優は皆、ルックスに秀でているのだからキャラクターが可愛くなるのは当然だという意見があるとすれば、それはごもっともな意見だと思います。
別にそういったジェンダー論やルッキズムが大きく影響を与えてるからゼロワンはつまらなくなっているのだとも思いません。
しかし、「女性の社会進出」を謳うのであれば、その観点から見るに、穿ったジェンダー論にまみれたゼロワンなんて加点式だろうが減点式だろうが100点満点中、せいぜい5点ぐらいなんですよ。
この5点は、「刃唯阿というパンツルックの女性ライダーをレギュラーに配置した」ことのみの評価であって、それ以外は評価に値しない古臭い固定概念で描かれた女性像のヒューマギアたちから生じた配点の結果です。
作り手が男連中の集まりだからといって80点のボーナスは足せません。
第19話だけで言えば、前エピソードで女性型のヒューマギアが貶められる展開が続き、刃がこの様なので、文句なしの0点でしょう。
ゼロワン世界でのヒューマギアの職種からルックスや性別を決めてるエンジニア、もしくは顧客はきっと、平成どころか昭和に生まれた男女に対する認識が凝り固まったジジイなんでしょうね(笑)
声優回で提示された「故人に似せて良いのか」問題以外にも、そもそもアンドロイドの容姿を自由に選べるシステムそのものが差別や偏見に大きく影響しうることだと思います。
この手のことに関して、お得意のAIの専門家に意見を仰がなかったのは作り手に元々関心がなかった、もしくはそういう観点すら持ち合わせていなかったからだと容易に推測できてしまうのが悲しいですね。
住田スマイルの存在は新屋敷が心配するように人件費や新人教育のコストがかからない時代を作るだけでなく、女性のあり方を現代から過去へと巻き戻す危険性だってあるのです。
そういえば、巨匠 石田監督は住田スマイルが顧客と打ち解けている演出で、スカートや服の裾を子供たちが引っ張るシーンも撮りましたよね。
それを父親も母親も注意せず、作品内で誰よりもヒューマギアを大事にするとしている或人でさえ注意せず微笑ましい光景として、笑って眺めていました。
ヒューマギアのスカートであれば好きなだけ引っ張って良い認識なんて、容姿では同じ生身の女性にとっても窮屈な世界なのだろうと勘ぐってしまいます。*2
現状、レギュラーで唯一の女性キャラ、パンツルックの刃でさえ今はあんな伝書鳩みたいな雑用扱いだけに、余計に。
些細なことですが、そういう細かい演出にも撮る人の思う女性のあり方像みたいなものが自然と出ると感じました。
前からですが、ゼロワンの構成を「平成ライダーの要素が抜けてない」と揶揄する意見が最近特に聞こえるようになったと思います。
今回で巨匠の昔ながらの演出が令和らしさを思わせる価値観に相応しくないのも、その要因に付随していくのでしょうね。
わざわざ2エピソードも、しつこく女性の外見をしたヒューマギアが追い詰められていく構図にしたのも、「虐げられるのは女性の方が画になる」と思ったからかもしれません。
ここまで偉そうに話してきましたが、私は決して自分が性差別についてしっかりと理解しきれてると思っているわけではありません。
今話題のNHKアニメ「映像研に手を出すな」の原作者が自身の作品に出てくる可愛くらしく描かれていない主人公の女子たちについてこのように言及しています。
あー映像研のジェンダー論が世間を賑わせてるけど、これはその本件のジェンダー論を把握している人向けにツイートしますが、問題の本質は「自分の支配下に置けなそうな女に反発する視聴者」とかではなく「女子」という記号が「かわいい」とセットになっているマンガアニメ文化の分脈に、
— 大童 澄瞳 SumitoOwara (@dennou319) 2020年1月14日
htp://twitter.com/dennou319/status/1216952627985973249?s=20
https://twitter.com/dennou319/status/1216952627985973249?s=20
ビジュアル的に「可愛くない女子三人組」という記号を僕が投下したから「ん?なんだ?どう読み取ればいいんだ?」と混乱する視聴者・読者がいただけです。ビジュアルから可愛さを排してドタバタする人格は、アニメマンガ文化では男子の担当だった為です。そう評論しています僕は。
— 大童 澄瞳 SumitoOwara (@dennou319) 2020年1月14日
https://twitter.com/dennou319/status/1216952629160337408?s=20
だから「支配」とか「女はこうあるべきという男の考え」とかではなく、性別が記号化して根付いてる表現文化がワシの漫画、あるいはワシの世代によって変わっていっているだけだと思いますよ。
— 大童 澄瞳 SumitoOwara (@dennou319) 2020年1月14日
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https://twitter.com/dennou319/status/1216952629160337408?s=20要約すると
ttps://thttps://twitter.com/319us/1216952627985973249?s=20witter.coなのなのななななななm/dennou319/status/121695262。7985973249?s=20
ざっくり要約すると、「可愛い属性は女の子キャラのものなのか、整ってない顔立ちで騒ぐのは男の子キャラのものなのか」といったところでしょうか。
作者が別のツイートでおっしゃっていますが、各々がそれぞれのジェンダー論を持って良いと思っているようです。
その上で、自分なりの考えが世の中の流れとどれだけ共通しているか、もしくは乖離しているかをしっかりと把握していくことがジェンダーを考える上で大事ではないのでしょうか。
問題なのは、世の中に存在する強い流れを持ったジェンダー論をその流れの向きも含めて認知しないこと、そして、他者の思想どころか自己分析も出来ていないのに「女性の社会進出」などと高らかに謳い、作品を宣伝してしまうことだと思いますよ。
…というわけで、普段からジェンダーについて微塵も考えていない人間が急に「女性のあり方」なんて考えるからゼロワンはパンツルックの女性ライダーをレギュラーにするのが関の山、まさに“付け焼き刃の刃唯阿”なんですよね…はい、或人じゃないとー!
女性のあり方を考えているという点では、どんな形であれ、自身の考えに芯を持っている映像研の原作者とは月とスッポン。
エグゼイドの時も看護師は全員女性の看護“婦”だった気がしますし(ポッピーに至っては男子に喜ばれる膝上ミニスカート)、所詮、大森×高橋の強力タッグ()といえど、どんな監修を入れようがジェンダーの認識はこのレベルで男女平等な社会だと思い込んでるお話を作っているんだな、と改めて思いましたとさ。
P.S.
宇垣アナにだって美人が故の悩みもあるんだよ!