仮面ライダーゼロワン 第7話「ワタシは熱血ヒューマギア先生」(コービーの覚醒と少年ジャンプとバスケと雑感)
ある中学校に呼び出された或人。なんでも教師でバスケットボール部の顧問のヒューマギアをリセットして欲しいのだという。或人が向かった先の中学校には、何故かA.I.M.S.(エイムズ)の姿も。どうやらAIなのに“熱血教師”になってしまったというヒューマギアが問題視されているようで―――。
前回の記事に「~刃編~」と付けましたが、不適切なので「~なぜ滅亡迅雷.netの方が詳しく描写されてる?~」としました(どうでもいい)。
さて、5話以上に記事が長くなりそうなので分割しました7話の記事。
コービーの自我の目覚めに対して、ネットで解釈が片寄っていたように見えたので、そこを中心に、脱線もしつつ引用元についても自分なりの考えを述べていきたいと思います。
コービーの自我が目覚めたタイミング
ネットでの解釈は私の見る限り、「或人が学校に来る時点で目覚めていた」とするものが大半でした。
私もおおまかには賛同、というか劇中の描写ではそう解釈をせざるを得ないように感じております。
ただ、私が考える自我の目覚めは、チームが負け、祐太がバスケ部を辞めると決めた瞬間であると考えます。
根拠はその時、祐太に向けたコービーのセリフ、
取れるじゃないか…。裕太。
今のパススピードはNBAのトップ選手を超えるものだ。裕太、みんな今から練習だ。春の大会で1勝しよう。
諦めたらそこで試合終了ですよ。
・発言時にヘッドギアの起動音がなかった
・今まで番号で生徒を呼んでいたのに初めて名前で呼んだ
これらを加味すると、或人が学校に来た時からコービーの状態にさらなる変化があったことが伺えます。
コービーがNBA選手の名言を発する際にヘッドギアが起動する音がある描写、劇中で2度ほどありましたが、それに至ってはコービーが部員に何か訴えかけたい時に検索をかけて有名な言葉から適切なものを選んだと捉えて間違いないと思います。
それはイズの言う通り、情熱的に訴えたかったのではなく、論理的に選んだ選手へのアドバイスなのです。
しかし、試合後の裕太への言葉は違います。
コービーは検索を使わず、自らの言葉で、番号を付けた選手の1人としてではなく、大切な教え子の1人として祐太に語りかけたのです。
諦めたらそこで試合終了ですよ
…ん?
コービー、自らの言葉???
いやいやいやいや。
これ、スラダンの安西先生の言葉じゃないっすか。
ヲタク度合いに大小あれど、ヲタクが見れば明らかでしょう。
リアタイで放送見てて萎えましたわ!
つまり、制作は或人たちが来た状態でコービーが自我の目覚めに対して兆候がある程度に留め、試合の残念な結果を目の当たりにし、迅に真実を明かされる直前でハッキリと目覚めるという描写にしたかったんだろうと考えられるのです。
しかし、結果、それらのお膳立てがスラダンの名言引用でブレさせてしまった、という皮肉になっていきます。
NBA選手のコピペからスラダンのコピペに移行して誰が真の自我の目覚めと思えるのでしょうか。
この瞬間はコービーオリジナルの言葉でなければ意味がないのです。
その後、「リセットは嫌だ、勝つところを見届けたい」と嘆き、「私の先生は皆だ」と発しますが、この台詞のオリジナリティすらも怪しくなるぐらいに安西先生が私たちの頭から離れない状態になってしまいます。
ここぞという時の言葉にオリジナル要素が皆無であれば、コービーは或人が来た時から大して変化のない自我に目覚めていた名言コピペ型ヒューマギアです。
制作の意図はどうあれ、ネット民の解釈で間違いないことになってしまいます。
第一、この「諦めたらそこで試合終了ですよ」って、原作ではあんな場で使うものじゃないんですよ。
中学生の試合に見学で来ていたバスケット部顧問である安西先生が、試合中に勝ちを諦めかけた とある中学生のバスケット選手に声をかけ、その選手が後にその先生の学校を目指すキッカケとなる言葉なのです。
そう、試合中。
コービーは試合中ではなく、試合終了後に「試合終了ですよ」と言ってるんですよ。
どこの学校に遠足が終わって帰宅してから「家に帰るまでが遠足です」と連絡寄越す校長がいますか?
これじゃあ、名言だけ知ってて、誰かが諦めかけた時にとりあえず安西先生のこの台詞をコピペする残念なコミュ障ヲタクと変わりません。
むしろ、TVゲーム中に「諦めるな」とこのコピペをしてくるヲタクの方が使用方法として適切なぐらいじゃないでしょうか。
自我に目覚めたコービーなりのオリジナリティある言葉という残念さに留まらず、大事な場でスラダンをコピペしてくる鬱陶しい奴にもなってしまってるんです。
イズも否定していますが、論理的に練習して、バスケ漫画の熱血教師ではなく温厚な性格のキャラのコピペをしてるわけですから、「ワタシは熱血ヒューマギア」というタイトル自体がもう嘘っぱちなんですよね。
週刊少年ジャンプの引用
このスラダン引用以外に引用関連で気付いたことがありました。
それはバルカンの必殺技「シューティングカバンストラッシュ」です。
厳密には第2話のゼロワンが放った「カバンストラッシュ」から続いて派生技の名前で、私が気付くことが遅かったのですが、これ、漫画『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』で出て来る必殺技「アバンストラッシュ」が元ネタです。
技の使用者である“アバン先生”とアタッシュカリバーの用途である“鞄”をかけた、分かる人には分かる文字り。
ストライクとスラッシュをかけた(諸説あり)造語である“ストラッシュ”は、ゼロワン以外はダイの大冒険でしか見たことのない用語です。
ならば、ゼロワンでの少年ジャンプ作品の引用が他にないか掘り返していきましょう。
ライジングホッパーの必殺技「ライジングインパクト」
第5話の石墨にオモチャで斬られ、返した或人のセリフ「びびぶ!」
第6話の劇場版『パフューマン剣』の内容「冥界探偵編」
『幽遊白書』の「霊界探偵編」
サンデー系の作品『吼えろペン』では「流れ星超一郎」なる石墨超一郎の元ネタになったであろうものもあるので、一概に少年ジャンプだけを引用してると言い難いのですが、思いつく辺りはザッとこんなところです(「パフューマン剣」の作品自体も他に引用元がありそう)。
どうしてここまでジャンプに肩入れするのでしょうか。
・剣の振り方が全く“アバンストラッシュ”ではないということは『ダイの大冒険』を手掛けた仮面ライダーダブルのメイン脚本である三条陸氏に制作から向けられたラブレター?
・ライジングホッパーのプログライズキーは“ジャンプ”が特性だから?
・講談社や小学館ほどのお付き合いのない集英社作品を引用する擦り寄り?
…そんなくだらないゴシップレベルの邪推しか湧かないくらいに突拍子もないジャンプのリスペクトをどうして放り込むかは分かりませんが、今回、故意に挿し込まれたジャンプネタにドラマを台無しにさせられたことは紛れもない事実なので、私は制作に対して向いた疑念が強くなる一方でした。
引用の裏には、TTFCのネット番組「ネット仮面ライダー」でテレ朝Pが自信満々に語っていた「全年齢層に向いている」には90年代辺りの少年ジャンプを読んでいたアラサーも大いに含まれているとドヤ顔が隠されているのでしょうか?
バスケのあれこれ
話は戻してバスケットボールの話。
この話にはスラダンの安西先生以外にバスケに関して知っておかなければならないことがあります。
まず、バスケではポジションを名称ではなく番号で呼ぶ方が一般的だということ。
コービーはそれに対して生徒を背番号で呼んでいたのですが、ポジションと背番号はややこしくなるので監督的ポジションであるヒューマギアが呼ぶのは少し非効率的な気が…あれ?
つ、次に、NBA選手の格言について。
コービー登場時に発した
「練習は、決して裏切らない。」
これはNBA選手ヴィンス・カーターの名言です。
続いて、
「フリースローは自分との戦いだ」
これはNBA選手の…選手の…う~ん?
…格言って言うよりバスケ界隈では元々言われてることだから、誰かの代表的なお言葉ってわけじゃないぞ!
結構言われてる、嘘だろ、コービー!
むしろ、安西先生コピペ前にお前なりの言葉としてここで投げかけてないか、コービー!
…気を取り直して、試合終了直前のフリースローのルールについてです。
同点に並んだ残り十数秒で裕太はフリースローを2回行いました。
これは2ポイントシュートの位置からシュートを打つ際にファウルを受けたことで発生するルールです。
つまり、裕太は直前で2ポイントシュートを打っ…
打ってませんね?
この位置、本来なら1回のフリースローで終わる条件のファウル…。
ここ、誰もフリースローを2回打てる説明をしてくれないので、スラダンには遠く及ばない不親切なバスケ描写だなと思っていたんですが…すみません、そんなことより、まずルールに乗っ取っていませんでした。
酷い話です。
番号で呼ぶやや非合理的なコービー、2回目の読み込みでは名言でもないフレーズを持ち出すコービー、2ポイントシュートを打っていないのに何故かもらえる2回のフリースローのチャンス、フリースロー後に誰もリバウンドをせず立ち往生、そして試合終了後に現れる安西先生もどき。
どうやら、バスケを付け焼刃で調べたお粗末バスケ描写のようでした。
サブ脚本は野球ツイート多いですし、どこまでバスケに詳しいんでしょうかね。
前述しましたが、バスケの細かいルールは抜きにしても、2回のフリースローの説明を誰もしてくれなければ、その代償にあのフリースローの2回目になんの緊張感も湧きませんし、新入部員が入りたくなるような健闘を字面だけである点差だけでしか見せることをしてくれませんでしたのでオチの説得力も皆無です。
そうなってくれば、バスケ描写以前にドラマとして作り手は素人と言われても仕方ありません。
それなりにメジャースポーツで画になって、尚且つ備品や揃える選手の数が少なくて済む、熱血指導(風)が似合う運動部ということで今回はバスケに白羽の矢が立ったんでしょうかねって邪推がこちらでも働いてしまいます。
コービーの自我が目覚めるキッカケになった大元の出来事、「チームの勝つところを見たい」と思わせるエピソードをカットしたがために、最後に逆転で負ける展開を持ってこざるを得なかったのは分かります…分かりますが、オチに向かってバスケ描写が上手く作用しなければ意味はないのです。
公式のオフショットでコービー役の役者さんが経験を活かして実際に練習に付き合った様子が語られていますが、それがなかったらもっと酷かったんだと思うとゾッとしますね…。
雑感
練習は裏切るし、情熱的でも勤勉でも負ける時は負けるし、親は守ってくれない
ここ3話で熱く語られたことが試合結果で現れましたね。
そもそもコービーは教師ではなく、ボランティア的な雇われ警備員では?
良く言ってせいぜいバスケットボールのインストラクター辺りでしょうか。
契約者の佐藤先生がそう説明しましたが、タイトルにある「熱血教師」の熱血にも教師にもかからなかったコービーをどういうつもりで見返せばいいんでしょう。
或人がフラッシュバックしたヒューマギアの人選がおかしい
迅に自我の目覚めとマギア化の関連性について明かされた時のアレ、腹筋崩壊太郎のベルト装着の瞬間は見ていませんし、ニギローもアンナの自我は目覚めていない部類に入るのに差し込むにはロジックが成立していません。
「コービー、お前を止められるのはただ一人、俺だ」
また出ました、サブ脚本特有のベースのヒューマギア名を呼ぶヤツ。
第5話の考察で述べましたが、やはり或人に元のヒューマギアの意志を組んで決め台詞を「解放してやる/成仏させてやる」的なニュアンスで言わせてませんか。
この決め台詞の前、イズに「もうコービーではありません」と言われ「大丈夫、分かってる」と返すのに、結局は呼びかけるなんて文脈として非常におかしいです。
無反動でアタッシュショットガンを撃つバルキリー(ホーネット)
ベアの冷気ショットはともかく、その後、バルカンとの連携で通常弾をフツーに撃ってます。
5話のテストとは?Aパートで語ったバルカンの反動の慣れ<小柄な火力フォーム?
「私はエイムズの技術顧問だ。信頼しろ」
違和感ない言い回しのは「信用しろ」ですよね。
「実は彼女、信用できないんですよ^^」という振りを意識しすぎて不自然な言葉チョイスになっています。
刃の不穏な動き(笑)
ネットでは不吉だなんだと言われていますが、Aパートでは学校で女子中学生たちをしっかり庇って守ってますよね。
ミスリードをしたいなら今回に限ってはこの描写、不要だったのではないでしょうかね~。*1
コービー周りで気になったことについて、まだまだ言い足りないことがありして。
文量はこれほどないかもしれませんが、もう一つ同じ回について記事をあげると思います。
ご容赦ください。
*1:そんなことに尺割く暇あるならバスケをちゃんと描けや!