仮面ライダーゼロワン 第6話「アナタの声が聞きたい」(考察&批判)
アニメ作品『パフューマン剣(つるぎ)』のアフレコに臨む声優ヒューマギア・香菜澤セイネ。その現場に或人の姿があった。『パフューマン剣』の大ファンだから……、ではなく今回はAIに関する犯罪を取り締まる機関A.I.M.S.(エイムズ)の立ち会いのためだった。どうやらセイネには人工知能の法律に関する違反があるようで―――。
TwitterでフォロワーさんのTLをダラダラと汚すことに罪悪感を覚え、思いつきで始めたこのブログ。
記事のフォーマットがコロコロ変わると思いますが、寛大な心で読んで頂ければと思います。
さてさて、ネットではゲストの落としどころに賛否があったようですね、第6話。
個人的には、亡くなった事務所社長の娘さん すみれ氏の映像記録が残っているなら、AIスピーカーのような気休めを一つ増やしたところで何になるんだろうなという思いがありますが、そんなことはさておいて
ゲストのドラマ、何がしたかったの?
という疑問が残りました。
許可なく、存在する人に似せることは法に反するという設定が説明されました*1が、それでは何故声優事務所社長 多澤はわざわざ娘に声も容姿も似せたヒューマギアを同じように自身の事務所の所属にさせたという矛盾はスルーして*2、この矛盾…穴がここまであからさまであれば、多澤は単なるバカではなく、正気でないなりに考えがあった…つまり作り手の意図がそれなりにあったように思うのです。
・多澤は自らの愚行に気付いてほしかった?
エイムズの聴取にはとぼけてみせ、事務所に或人を招いた時は問いただされる前に一度遺影を隠す素振りなどを見せました。
これらからすると、裁かれたくて敢えて娘似のセイネ*3をレンタルしたというのは考えにくいです。
・セイネを声優として成功させることで すみれの未練を晴らしたかった
こちらの線で考える方が多澤の、一見、後先を考えていなそうな行動に説明が付きます。
娘を志半ばで病気で亡くしてしまったことを悔いているシーンもありましたし、映画のオーディション選考の合否に喜ぶのも納得いくように思います。
では、作り手の意図とは別に辻褄の合う多澤の思惑が「すみれの未練をセイネで成就させたかった」のであれば、それに効果的な演出、末路であったか考えていきたいと思います。
ホラー風の演出
Aパート、マギア襲撃時の故障によるセイネのすみれラーニングが突然出て来てしまう演出で役を演じる美山加恋さんの演技は目を必要以上に開き、一点を見つめ、文字通り機械的に壊れ、人間らしさを著しく欠如したようなものでした。
ネットでは彩度を下げ、怖さを強調するようなイジリが起きるぐらいに、ホン怖的な演出だったと思います。
ホラー演出ならそれでいいのですが、差し込むことで「すみれの未練をセイネで成就させたかった」という多澤の意思は見る側を狂気方向に傾けます。
ホラー演出を使うので効果的なのは、“序盤に狂気と見せかけてそれとは別のハートウォーミングな真実が用意されている時”か逆に“ハートウォーミングかと思いきや狂気的真実が隠されていた時”でしょう。
もしくは“ホラー回として押し切りたい時”かぐらいでしょうか。
法に触れないAIスピーカーという落としどころで多澤の願いを叶えるというオチの合理性
どこらへんが或人の言う愛なのかは置いといて。*4
先程、多澤の行動で辻褄が合うのは、セイネを声優として成功させることで すみれの未練を晴らしたかったからと申し上げましたが、ここでこの理由づけと或人の判断は噛み合いません。
すみませんが、ダラダラ述べたのに矛盾してしまいます。
1話から時折、或人の発言は論点をずらすことがありましたが、娘を亡くした気持ちを自身がヒューマギアに父親代わりをしてもらったことを重ね、
「ヒューマギアが心の支えになってくれて、生きてこれたんです。社長としてどうするべきか、正直今は分かりません」
と発言したのです、多澤は「明日返す」と言ってるのに。
そして、
「3日だけ待ってくれ。頼む。結果が出れば多澤さんも罰を受けるはずだ」
とも不破に懇願します。
多澤は「明日返す」と言ってるのに、ですよ?(しつこい)
この噛み合わなさ、或人社長が見せる押しつけがましい判断であれば、多澤の意思などと矛盾していようが、完全に汲むことなくAIスピーカーを贈りつけるのも納得いくのではないかというところに繋がっていきます。*5
その賛否両論のオチにホラーは効果的だったか
押し付けであれど良い話に着地させたかった物語にホラー演出は必要だったかというところに話を戻します。
…必要でした?(笑)
この話、序盤でもう明らかだった亡き娘の代役のセイネという真実に特に変化は起きません。
多澤はどんな方向性であれ、セイネをすみれの代わりとし、発注しました。
真実が変わらなければ、受け手にとって多澤の行動は娘を失い精神がおかしくなった父親であり、そこに気休めの押しつけがましい愛を贈った或人が乗っかるだけの、後味の悪い物語です。
この賛否あった結末の不味さは噛み合っていない個々の言動だけでなく、そこにホラーまでトッピングされてしまったことが原因ではないかと考えます。
つまり、本来の話の方向性にあのホラー演出は不必要だったと言いたいのです。
もう一段階、視聴者の裏をかくような多澤に心温まる狙いのようなものがあれば、或人の押しつけも上手く相殺できたように感じました。
話は逸れますが、
「お前…そんなことも分かんないのか!?親が子供を守るのは当たり前の事だろう!?子供のためなら死んでも構わない…そう思うのが…親なんだよ!」
という後半の良いこと言ってる風の発言も、本来であればセイネを壊そうとする第三者に庇う父親がいての或人の発言なら分かりますが、多澤に
「やめろ!!これは俺の娘だ!!セイネ!セイネ!」
と言わせたのは壊せと急かしたイズ、セイネを壊す立場にいる或人でもあるので、構図として、あのお説教が見る側に響きにくい状態なのも如何なものかと思います。
結果的に壊す責任を刃に物語上は押し付け、或人が壊す状況に逃げ道を作ってしまいます。
ならば、何故こんなにも互いの背負うもので喧嘩し合う構成にしてしまうのか不思議でしょうがありません。
もっと単純に、壊そうとする刃に或人の説教で良かったではありませんか。
尺不足といえばそれまでですが、
蚊帳の外だった刃が新フォームの為だけに出て来てカタルシスやドラマがない
迅の子供としてのアイデンティティー崩壊は時間をかけてやるべき
など、多澤周り以外でもまだまだ文句はあります。
1話どころか2、3話分の尺が必要な回だったのではないでしょうか。