ルナ太郎の腹筋崩壊ブログ

私は…仮面ライダーゼロワンの気になった所を大人げなく殴り書くのが仕事だから!

超(スーパー)お仕事大変 -向いてないのはオマエだ!!ー (仮面ライダーゼロワン「超(スーパー)お仕事大戦」感想)

或人は、自分に疑問を感じてしまった諫に、イズと共にお仕事を紹介することになるのだが、唯阿が現れ「組織でやる仕事は、不破に向いていない」と、すべての提案を一刀両断してしまう。そこで或人とイズは、自分の力だけで人生を切り開くような、自信に満ちあふれた人向けのお仕事を紹介していくのだが―――。

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<お仕事大戦はゼロワンの初期案>

 

今回のお仕事大戦、「総集編としても面白くないし、お仕事をちゃんと紹介できているのか?」という感想をちらほら見かけました。

しかし、こうやってお仕事を紹介するのは初期案から存在したものなのです。

 

或人が「社長」になるという設定は当初なかったんですよ。

初めは「お仕事もの」という発想で、AIが採り入れられたさまざまな「職業」を主人公が回っていく、みたいなことをやりたくて進めていたそれを「仮面ライダー」とどう折衷させていくか、悠也さんと一緒にまとめていった感じですね。

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継ぎはぎの総集編とはいえ、そこが出来ていないというのはおかしい話ですよね。

一番に長く練られた構成のはずですから。

しかし、別インタビューではこう言い訳しています。

 

 

みなさんもうそろそろ気づいているかもしれませんが、「お仕事」と「仮面ライダー(の戦闘)」って、食い合わせがよくない(笑)。

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*1

長らく練ってそんな感じ?

 

 

 

<じゃあ、或人は社長が向いてるとでも?>

 

お仕事大戦、自信をなくした不破のために向いている職業を探すという切り口でしたが、まず、向いている職業を見つけるべきは或人でしょう(笑)

 

そもそも、夢だの情熱だのを感情論で綺麗事を言う割には目指すべき職業を、結局は「向き不向き」で決めようと話を進める合理的な姿勢が気に入りません。

まして、或人は人を笑わせることを直接的なお笑いという手段で夢に繋げることを選んだ過去がありますが、そちらの才能がなかったのでテロリストと戦う形で人を笑顔にする仮面ライダー 兼 社長になったというのがお話の始まりです。

 

では、或人が真に社長に向いていたのかという話なりますが、そう感じれる描写は少なかったように思います。

さらにはヒューマギアに対する技術的な勉強も経営業の勉強も足りていませんし、自社製品とスペックを比べる賭け事で社長の座を追いやられてしまうなんて言語道断でしょう。

 

笑顔に繋がる職業は数多くある中で、血縁で選ばれた跡取り+フィクション上の職業である“仮面ライダー”を、強制的に選ばされたというところからして番組の夢を抱かせたいとする方針と合致していません。

メインのキャラクターに説得力がないのです。

現に、主人公の或人やポスト2号枠の不破が志す仮面ライダーは職業としてなんたるかを総集編中に説明できていませんよね。

初期から練っていたお仕事紹介という側面は張りぼてだったのかと。

あくまで抽象的な、子供の憧れの的であるヒーロー職に成り行きで職を選んだ人間に「お前たちも夢を持て」なんて言わせるのは、あまりにもおこがましい話じゃないですか。

それは社長業においても同様に言えることで、過去を振り返るにあたりメインキャラクターである或人が背負う役職について、全く理解が深められない番組なんぞに、それ以外の職業もまともに紹介できるわけがないのです。

 

 

<向き不向きで決めるだけがお仕事なのか>

 

先程もチラッとお話しさせて頂きましたし、再三に渡ってブログで取り上げてしまったので説明は不要だと思うのですが、ゼロワンは人の夢を持って進む姿勢を評価したい、もしくは子供たちに夢を抱いて進むように斡旋したいというコンセプトの特撮番組です。

AIに仕事を奪われる危機感を起因として、人間も仕事に対する志を高く持たせたいという描写が時折見られたのはそういう意図があったからということになります。

 

それとは別に作品全体の語り口が「善か悪か」、「認定された悪はとにもかくにも許されぬもの」という主人公が独断で決める定義の一方通行さと夢に対するゴリ押し具合はマッチはしているように感じます…

 

が。

 

この見ている人を一方的な結論へと誘導させる感じが個人的に悪質に思えるのです。

もっと悪質な言い方をすれば、この強迫観念を煽るかのように夢を持つことを強要するのは一昔前の教育を彷彿とさせる、人のあり方を型にはめたがる古いスタイルだと思うんですよね。

言うなれば、力付くで夢を持たせようする『北風と太陽』の“北風”的やり口だと思います。

きたかぜとたいよう (イソップえほん5)

きたかぜとたいよう (イソップえほん5)

  • 作者:蜂飼 耳
  • 発売日: 2011/03/04
  • メディア: 単行本
 

「そういう時代に差し掛かるんだから、危機感を持て。夢を持て」と。

 

ゼロワンでは、第1話、第2話、第3話の理容師ヒューマギア辺りまではヒューマギアの職業としてのやりがいによる正のシンギュラリティを見せていたと思うのですが、それ以降はジーペンなど雇い主のパワハラや仕事のプレッシャーなど負のシンギュラリティばかりが取り上げられていたように思います。

最近で、やっと再び登場したジーペンやデルモ、みどり辺りでまた仕事における正のシンギュラリティに触れられるようになってきたましたよね。

 

各職業を不破にとって向いているか向いていないかを回想シーンに乗せて職業を紹介していたわけですが、これでは働く上で大事なことを夢や情熱としたいのか、結局は個人の持つ素養「向き不向き」なのか散らかってしまっていますように感じたのは上で述べた通りです。

漫画家を志すには絵心が無さすぎると蔑みながら、AIのジーペンはラーニングしただけあって画力はあるもののひたすらパソコン画面や原稿とにらめっこしているだけ。

コロナ禍で既存の映像素材しか使えなかったとはいえ、本編中にやりがいを示す描写がほとんどの回で皆無だったのは、ゼロワンに描写が足りていなかったことの動かぬ証拠になると思います。

漫画家に画力は必須の能力かもしれませんが、絵が目立って上手くなくても面白いと評価される漫画だって存在しますし、評価される漫画家の方もいらっしゃるじゃないですか。

そんな可能性の塞ぎ方をするのがまず子供に向いているはずのニチアサとでも言うのでしょうか?

 

仕事の内容だけを口頭でイズに説明するだけであるならば、子供に見せたいお仕事紹介コンテンツとして不十分ですよ。

そんなの幼児向けのお仕事図鑑、下手すれば、NHK教育の幼児向け番組の方がしっかりさらってくれていると思います。

小学生に上がれば各業種の方々が仕事のやりがいについて教えてくれる特別授業などもありそうですし。

そうやって、やりがいを見せることで職業に魅力を感じ、自然とその職について興味が湧く。

そういう思わず夢を持ちたくなるような、『北風と太陽』での“太陽”の役割を担うパートがこの番組には極端に少ないように思います。

 

 

今回、人工知能を作品のテーマにした背景には、僕ら自身の置かれた状況が関係しています。

僕も井上さんも同じ中学3年の息子がいるんですが、子どもが中学生にもなると、親としても将来を考え始めるじゃないですか。

彼らが働き始めるころにはどんな世の中になっているのか。

そこから逆算すると、塾はどうするのがいいのか、とか。

 

(中略)

 

インターネットの登場以降、選択肢がすごく多くなってきていて、何を選べばいいのかがとても分かりづらくなっているじゃないですか。

現実に僕の息子も「自分の道はまだ見つからない」という言い方をする。

では、そうやって選択肢が増えた中から、どうやって自分の仕事を選べばいいのか。

僕としては結局、自分のやりたいことを信じるしかないと思うんです。

人間的な感情や情熱をメッセージとして作品に込めたのには、そのように考えたところがあります。

type.jp

 

…え?

これ、迷える中学3年生のバイブルになる番組内容だったんですか!?

 

 

 

<松陰寺「不破諌、君はどんな職に就いたって良いんだ!」>

 

「或人は元お笑い芸人」という肩書きは仮面ライダーにとってキャッチーなものになりましたが、その肩書きを設ける以上、ゼロワンの物語には他シリーズにはない お笑いセンスも当然期待されるでしょう。

今回の総集編を手掛けたのはサブのライターではありますが、作家として持っているお笑いセンスを遺憾なく発揮する場としては絶好の機会になったはずです。

しかし、蓋を開けてみると不破の悪い点を挙げ連ね、「これは向いていない、あれは向いていない」と卑下しながらウケを取っていくスタイルでした。

 

昨年度のM-1は“人を傷つけない漫才”が健闘した、と言われていますが、上位に食い込んだ芸人たちがそれを狙っていたかは別にしても、ネタそのものにそういう側面があったことは否定できません。

しかし、今回のゼロワンはわざわざ不破に絵を描かせてバカにする…と言ったような誘い水を出しては けなす姿勢は崩さずで、このお笑いの流行に乗れていないように感じました。

あの“便乗の東映”、“猿真似のゼロワン”がですよ?

漫才のネタで特定の職業を取り上げて「俺、○○やってみたいと思ってるんだけど」と職業体験を入り口にするのはよくある形式で、この総集編も似たような構成ではあります。

特定の職業に絞って想定しうるシチュエーションにボケてツッコむのがポピュラーのスタイルであり、一見ゼロワンもそれに倣った構成のようですが、基礎中の基礎なシチュエーションに対してもひたすら持って生まれた能力で下げていく作りは まるでアマチュアの身内をいじり倒す内輪ネタであって、プロデューサーの息子さんの層、中学生の文化祭のようなノリのように感じました。

 

同じ局内でも『アメトーーク』のような運動神経悪い芸人や絵心ない芸人といったような不得手で笑いを誘うバラエティー番組も存在ますが、「不破は何をやってもダメだ」という切り口で2週も通すのは子供向け番組にしたって意地が悪いと思います。

最終的に長所を見つけず、欠点だらけのキャラに用意された救済が実在しない職業“仮面ライダー”で落ちつけてしまうなんて、何をやってもダメな のび太が主人公のドラえもん』ですらやらないと思うんですけどね。

 

今回はサブライターが執筆した回でしたが、メインライターが担当している回も「或人のギャグが寒いだ、不破は力任せだ」と何かとキャラを下げて笑いを誘う回ばかりでしたよね。

垓も見る側にさんざんぱら腹を立たせて、最終的に貶めることでウケを狙っていましたし、元々、その手の人を嘲笑う下衆な切り口でのギャグシーンしか書けないのかもしれません。

その作風が顕著に表れていた過去の作品は『仮面ライダービルド』だったと思うのですが、ゼロワンは同プロデューサーなだけにあの系譜に向いているのでしょう。

 

私の中で、肯定的で、ツラい時には他人を前向きに、平和な時間では楽しく過ごしてもらうことに徹していた お笑いの鑑のようなキャラは『仮面ライダーゴースト』の御成が思い浮かびます。

彼はお笑い芸人ではなく、お坊さんですが。

自身も悩んだり、アカリと張り合ったり、タケルを厳しく叱ることもありましたが、エンターテイメントに飛んだ行動で大天空寺の面々だけでなく、テレビの向こう側にも笑いを提供してくれていたように感じています。

その手段、演出はお茶の間を笑わせるために人を貶めたり、蔑むばかりではなかったように思うのです。

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(お話ではなく、演出においてはイズがある意味で御成の派生?)*2

 

 

 

<向いてる以前に或人はちゃんとお笑い芸人だったのか?>

 

社長の側面として十分に描けていないから、他の職業もろくに紹介が出来ないというのは先述の通り。

それは物語上、導入でもあった特別な職業“お笑い芸人”においても同じことです。

お笑い芸人としての肩書きが或人の性格にフィードバックされてるかというと疑問が残ります。

「人に笑ってほしい」と掲げることはお笑い芸人を志す人間らしい発想ですが、ヒューマギアの各業種への普及が人々の失業に繋がり笑顔を奪う要因として残っている以上、笑いを無理強いするなんてお笑い芸人経験者のすることではないと思います。

 

 

お笑い芸人は一発芸や漫才、落語など多種多様な方法で人々をとにかく笑わせて幸せにする最高のお仕事だよ!

 

 

6代目三遊亭円楽は最近、ラジオでコロナ禍でのお笑いのあり方について「今出番じゃないからな。やっぱり平時のものだよな。落語とか演芸は。落ち着いてホッとした時にやっぱり笑いたいってなるんだな」と語っていました。

www.oricon.co.jp

 

「笑えない状況下で笑わせようとするものじゃない、笑いたい時に目一杯笑わせてやるのがお笑いの役目だ」という円楽氏の視点で或人のギャグシーンを振り替えって見ると、或人の笑わせようとギャグを放ったポイントはどれも適材適所ではなかったように思います。

今回の総集編のように、『笑点』では共演者を馬鹿にして笑いを取る担当の紫と言えども、さすがこの理解!

 

或人は作為的にスベりにいっておらず、天然のスベリ芸を持ち合わせた元お笑い芸人として数々のギャグを放っていましたが、そもそも、脚本的にギャグを言う場でないという条件も合わせて完璧にスベらせようとしていたのでしょう。

(あの空気の読めなさがゼロワンを楽しめない視聴者にさらに或人を受け付けなくさせる要因になっていると思います)

しかし、それはヒューマギアである父を笑わせたいと固執する幼き或人の人物像と整合性は取れていますが、お笑い芸人が抱えるべき志としては大きく間違っているのかもしれません。

つまり、「笑わせたい」という或人の夢は言い換えればエゴであり、相手に対する単なる押しつけなのです。

そんなエゴを持って飛べば、向き不向きを超えて見合った職を全うできるなんて理屈、馬鹿げていませんか?

相手の気持ちなどお構いなしに自分発信で笑ってほしいだなんて、クウガで提示した「笑顔を守りたい」と意味合いが違いますよね。f:id:luna_tarou:20200620141546j:imagef:id:luna_tarou:20200620141553j:image

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(みんなの笑顔のために…!)



 

第1話では、仮面ライダーになることで笑顔を生み、お笑い芸人とは異なる形でも人を笑顔に出来るとしましたが、あれ、イズの物は言いようで或人の心境の変化させるためにそれっぽく誘導されただけなんです。

真に人々の笑顔を作ったのは遊園地が壊されても前向きでいた くすくすランドの園長でしょう。

さらには不破の笑いのツボは或人の寒いギャグがドンピシャという設定ですが、不破は笑いたいと望むシチュエーションであのギャグは炸裂していません。

これらの勘違いを「笑わせたいだけの押し付けという履き違いから或人がお笑い芸人として大成しなかった」と理由付けするのであれば立派なものですが、作り手は恐らくお笑いについては思考停止気味で、空気の読まないスベリ芸を確立させることでお笑いとしての要素を誤魔化しているのだと思います。

 

「寒いギャグを書いてください」と悠也さんにお願いしている僕のせいです(笑)。あとは高橋くんの表現力に期待してほしいです。

でも、くれぐれも言っておきますが「ぜんぜん面白くなくて、すごく売れない芸人」のギャグですからね(笑)。

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嗚呼、言い訳の人生!(合掌)

 

 

前の段落で“中学生の文化祭のような”という例えを使わせて頂きましたが、或人が芸人を目指す理由もよく考えればおかしいと思います。

「其雄を笑わせられなかった後悔が彼にお笑い芸人を志させた」と語ってしまうと聞こえはいいですが、或人は人を笑わせたという成功体験を本編が始まる前に経験していなそうなんですよね。

フツー、お笑い芸人を目指す人ってクラスで人気者だったとか、文化祭で友達とやった漫才がウケたからとか、成功体験があり、そこで自分がその道に向いてることを自信にしたからという話をよく聞きますよね。

(憧れのお笑い芸人がいて…というのもありがちな動機ですが、話が逸れるのでそちらについては割愛)

しかし、その手の描写は腹筋崩壊太郎でシンギュラリティに達する“笑わせる喜び”を知っていたという描写で使ってしまったために、或人自身が笑わせる喜びを知らない空虚な人間に仕上がってしまっているのです。

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以前、お話したか記事にするのをやめたか忘れてしまったのですが、笑ってもらえなかった悲しき道化なんて正当なヒーローものには相応しくないキャラ像のように思います。

若くして親を亡くし、バットマンのような戦う力に囲まれた御曹司でありながら、底辺のコメディアンというバットマンの代表的なヴィラン“ジョーカー”、この2人の間を行くようなキャラ背景にオープニングでサンライズが差し込むようなまばゆい存在として相応しくなりえるものなのでしょうか?
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あまりにも空気を読めずにギャグを発したくなってしまう衝動を止められないのは、映画『ジョーカー』のアーサー・フレックのような「どんな状況下でもつい笑ってしまう」というような何かしらの障害にも思えてしまいます。

この空気の読めなさに理由をつけるならデイブレイクで強く頭を打った脳の障害か、目の前で機械の父を失ったことによる精神疾患か。

何はともあれ、異形のコメディアンを扱った作品としては、ハリウッドには遠く及ばない、自称“ハリウッドのスタッフにかかればアベンジャーズに並ぶ”シリーズ(by東映特撮監督)ですけど。

 

 

高校卒業後はお笑い芸人になりました。最初は同級生とコンビを組んでいたんですが、お笑いの方向性が合わず、すぐにコンビを解散しちゃったんです。

www.persol-group.co.jp

 

*3受賞インタビューで或人は高校時代にお笑いコンビを結成したことで掘り下げられましたが、それにしたって何を根拠に自分が人を笑わせられる確証があったのかと(笑)

「方向性の違い」という思い込みがスベり続けてきたロジックで辻褄を合わせたにしても、それ以上に気を配ってほしいバックボーンがあるんですが…。

 

或人はくすくすランドでリストラされて、ようやく向き不向きについて考えていたようですが、それまで其雄以外の挫折を経験していなかったのかという話なんですよ。

…スベリ芸という逃げにイズの無慈悲な解説という おもしろ保険をかけ、不破は面白いというシチュエーションでネタの本来の面白さを有耶無耶にし、父を笑わせたいエモさを乗せたというやりたいことのために歪みに歪みきった人物像。

或人は社長としてもグズグズでしたが、この元お笑い芸人という付加価値もぐちゃぐちゃだったのです。

 

 

 

 

<総集編で改めて確認できたこと>

 

アメトーーク』を例に出しましたが、あれは実在する不得手な芸人の能力度合いを笑うものです。

しかし、ここでいきなりメタな話で恐縮なのですが、不破という人物は実在しません。

虚構です。

実在しないキャラであれば、何が苦手か得意かなんて作り手がいくらでも決められるんですよ。

不破は敢えて記憶のないキャラクターとして生み出されたわけですが、さらに馬鹿力以外に取り柄のないキャラにもさせられてしまいました。

つまりは、隅から隅まで笑い者にするために作られたのが不和諌なんです。

 

私は総集編を見ながら、不破は力持ちでフットワークも軽く真面目なので劇中で登場した職業の中で配達業務をこなすオクレルのような仕事が向いていると思いました。

 

では、オクレル、ないしは配達員はどのように紹介されたか思い出してみてください。

 

 

配達員ヒューマギアオクレルからのお届け物です。

様々な場所で荷物を集荷し、責任をもって目的地に配達することで人と人、人と物を繋ぐ大事なお仕事です。

 

ああ、私が頼んだ。

漫画を描くための道具だ。

 

 

…終わりです。

 

そうです、お絵描きセットを持ってくるに留まり、向き不向きの議論にもなっていないのです。

制作も不破は配達員に向いていると分かっていながら、そこの説明を避け、文字通り物を届けるだけの役割で終わらせたとさえ邪推したくなってしまいます。

お仕事大戦バトル1では医療従事者に感謝を述べるくだりがありましたが、不要不急の外出という面で物を届けることで貢献してくれた配送業の方々には労いの言葉はないんですかね。

何にも向いていないオチの為とは言え、生放送で暴言を吐いた部分は割愛したMCチェケラのラッパーまでちゃんと紹介したのに、こんなにも雑な紹介でいいのでしょうか。

 

不破を蔑む構成、蔑むために雑に扱われた配送業を思うと、そんな悪意で人を造る人って確かに醜い生き物のように思えた総集編でした。

…やっぱり、人って絶滅すべきなのかしら?

*1:誰も食い合わせ悪くてもやれって懇願してねえよ

*2:とはいえ後半の御成頼りになった演出は嫌いだよ

*3:どこの馬の骨か分からん