ルナ太郎の腹筋崩壊ブログ

私は…仮面ライダーゼロワンの気になった所を大人げなく殴り書くのが仕事だから!

いやいや、お仕事5番勝負あったからゼロワンがあるんだYo!(仮面ライダーゼロワン第28話「オレのラップが世界を変える」感想)

注)今回の記事はエグいほどに長いです。

 

ついに“お仕事5番勝負”最後の戦いがやってきた。

ヒューマギアの自治都市構想を実現させるか否かという住民投票によって、「ヒューマギア賛成派の飛電」と「ヒューマギア反対派のZAIA」に白黒がはっきりと付くことになる。

勝負はズバリ演説だ。

ZAIA側がヒューマギアに反対する政治家を擁立したのに対し、飛電側は政治家ヒューマギアを呼べない……。

人間の選挙によって選ばれる政治家に、人間ではないヒューマギアがなれる訳がないからだ。

ヒューマギア自治都市構想を強く推し進めるために飛電が用意したヒューマギア。

それは―――ラッパー・ヒューマギアのMCチェケラだった!

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<大森P思う故にお仕事5番勝負あり>

 

ゼロワンが放送される以前、2019年7月17日のティザーサイトの段階で、大森プロデューサーは今作をこのように説明しています。

 

本当の悪はAIを恐れ、AIの能力の前に自分を諦め、考えることをやめた人間たちの中にこそ存在するのかもしれません。

主人公が戦うのは、そんな人間に悪用されたAIと人間たちの弱さです。

www.toei.co.jp

 

この掲げられたメッセージは、まさにお仕事5番勝負のフォーマットであり、今回の政治家vsラッパーヒューマギアの構図そのものじゃないでしょうか?

ということは、この不評で終わりそうな“お仕事5番勝負”は当初から予定されたものであり、第一章の仕事のやりがいから導き出される正のシンギュラリティなどはこのための前振りだったということですよね。

 

今週のコラムではこのように述べています。

 

アークという悪意だけをラーニングした人工知能の進化によって、“お仕事5番勝負”を通し、ヒューマギアが暴走する理由は“人間の悪意にこそある”というのが第2章のテーマだった訳です。

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つまりはゼロワンが始まる昨年の夏から今の今まで大森プロデューサーは初志貫徹し、決してブレていなかったということになります…!

最近、「お仕事5番勝負さえなければ…垓との対決がなければ…」とゼロワンを評価する声を散見しますが、むしろその逆で、そもそもお仕事5番勝負のためにこれまでのゼロワンがあったということなのでしょう。

メインプロデューサーの大森氏からすれば、お仕事対決は「珠玉のアイデア」、「熟成した企画」と言われるべきパートのはずなんです。

ゼロワン=お仕事勝負と言っても過言ではありません。

 

突然ですが、ここでゼロワンという作品の2クール目までを“三段跳び”に例えてみます。

三段跳びというのは、助走をしてから三回跳んで飛距離を競う陸上種目なんですが、第一章『滅亡迅雷.net編』はあくまで“助走”期間に過ぎず、当初から掲げていた大森プロデューサーの主張は第二章『お仕事5番勝負編』に大きく込められており、ここがジャンプにあたる部分だと思うのです。

さらに分解して見れば、4戦目までは最後のジャンプに向けた“ホップ・ステップ”の期間であり、最後の1戦…チェケラ回こそが当初より予定されていたメッセージを大々的に示し、飛距離を出す“ジャンプ”だと言えるでしょう。

お仕事5番勝負の最終対決という最後の“ジャンプ”に向かって“助走”や前段の“ホップ・ステップ”があったはずなのに、最初の“助走”は後に跳ぶことを前提としない短距離走ばりの勢いで、跳び出しに足がもつれ、結婚相談回やデイブレイク真相回などジャンプに繋がらない形式的な“ホップ・ステップ”を経て、今回、“ジャンプ”で浅く飛び上がっていったと思うのです。

その最後の“ジャンプ”でどれほどの飛距離が出るかは次回のお楽しみ…と言いたいところですが、この来週への踏み込み具合から察するにも視聴者からこの言われようでは、たかが知れてるでしょうね。

 

 

<大森ダムスの大予言>

 

大森プロデューサーは何に影響され、ここまで人間の悪意というものとAIの関連性に固執しているか分かりませんが、彼の提唱するAI社会の危惧は今のところ兆候のない、ありもしない架空の敵でしかありません。

絶対に悪用されることがないとは言いませんが、AIの進化により人間の悪意が浮き彫りになることで人類は新たな危機に直面するというゼロワンの警鐘は果たして我々に訴えかけるべきリアルなのでしょうか。

 

各回の感想記事で申し上げましたが、AIが華道家を脅かす美的センスを持つことは当面ないでしょうし、営業マンを焦らせるほどの接客態度を身に付けることも稀有な心配でしょう。

嘘発見機能は裁判中にLIVEで活用すれば良いですし、AI搭載の救助マシーンは人命のために自身の代償を払ってもらう前提で造られるはずですよね。

 

…そうやって共存していけば良いだけの話をわざわざ対決構図に持ってきてまで見せて、私たちはずっと妄想癖の心配性が危惧した近未来のタラレバを聞かされているんです。

現実に未だありもしない驚異に対する警鐘を鳴らして、人に教えを説こうなんてカルト宗教団体とやってることが変わりませんよ。

仮面ライダーという架空のヒーローに架空の怪人を敵として想定するのは当たり前ですが、その架空の敵をさらに現実の仮想敵としたところでフィクションの重ね塗りにしかならないですしね。

 

 

<大森氏構想の大一番で大コケするゼロワン>

 

そしてとうとう、大森プロデューサーの掲げた構想の大計画が大成する予定のチェケラ回は、ヒューマギアが政治に直接関わることなく、ヒップホップ界でのAI参入の可能性を提示もラップ業界で働く人々の懸念もなくなり、ゼロワンのお仕事紹介という側面は死んで、「人の悪意に影響され悪意に満ちるAI」という狙いだけが残りました。

 

AI特別法により「第一条 ヒューマギアはいかなる理由においても人間に危害を加えてはならない」としているにもかかわらず、己が調達したゼツメライザー*1でマギア化してしまいました。

このようにヒューマギアの自発的な攻撃性を描写してしまえば、テロリスト等の外部からの干渉は関係なく、或人が訴え続けた“夢のマシーン”は序章の通り、“ぶっ壊すべき存在”へとなり下がってしまいます。

お仕事以前に、見せたい構図のために積み上げた設定や倫理観すらも霞ませてしまっては意味がありません。

(そもそも、人を言葉でディスる行為もAI特別法に抵触しかねない存在です。…というか、なんのためにラッパーヒューマギアって作られてたの?)

 

先ほど、ゼロワンを三段跳びに例え、“助走”、“ホップ・ステップ”が上手く繋がらず“ジャンプ”が失敗しかけてると述べました。

“助走”パートで滅亡迅雷.net を一度解散、“ステップ”に当たるパートではメタルクラスタホッパーの登場で或人どころか派遣しているヒューマギアたちもアークの介入さえも克服、そして肝心の“ジャンプ”ではマギア化のプロセスにやりようがなって自らの手で望んで変身する乱暴な展開をせざるを得なくなりました。

結果、視聴者も戸惑わせ、確立してきた怪人化のプロセスにおいても“ジャンプ”は失敗に終わったのです。

もし、結婚相談回でヒューマギアがアークに抗えるくだりがなければ、チェケラの印象も、そもそもの怪人になるキッカケも変わっていたかもしれませんね。

何度も言うように、大森プロデューサーの中で本来重要な回は

 

マッチ<チェケラ

 

だったはずですから、後出のチェケラの存在そのものが危ぶまれる流れを作っては意味がありません。

メタルクラスタの一件をお仕事5番勝負から独立して成立させたばかりにジャンプに繋がる“ステップ”としての機能を果たさなかったように思います。

 

 

<ゼロワンに明確なメッセージは不要>

 

しかし、「お仕事5番勝負さえなければ」という特ヲタの指摘は、必ずしもゼロワンの存在すらもひっくり返してしまう不毛な議論でないとも思っています。

5番勝負がなくなるということは、現象として「大森プロデューサー様の有難い教えが消え、どうしようもない説法を聞かされなくて済む」ことになるわけですから、的を得てはいるのでしょう。

当初からの予定であった“幅跳び”部分をオミットし、調子がまだ良かった“助走”とは言いがたい あの短距離走仕様の全力ダッシュのまま2クール目を駆け抜けられば、目まぐるしさで煙に巻ける視聴者もまだいたとは思います。

 

大森プロデューサーが過去に手掛けた『仮面ライダードライブ』は、あくまでエンタメとして人間が黒幕という勧善懲悪が用意されたのであって「人間は醜い」がメッセージの作品ではありません。

『エグゼイド』は残基99のキャラクターがいることで絶命へのカウントダウンと捉えた一部の視聴者が「命の尊さ」を感じたりと考えるキッカケになった話であって、ゲームあるあるを医療的見地に落とし込んだエンタメが先行して具体的にこれといったメッセージはありませんでした。

この実績から鑑みれば、大森プロデューサーが携わる上で、作品を通して何の教えも説こうとせず、エンタメとして成立させていればそれで人気にはなったのかもしれませんよね。*2

ドライブもエグゼイドも大森氏が思い入れた特別な職業ではなく、人生ゲームで用意されるような代表的な職業格で子供人気にあやかったエンタメ作品なので、或斗に付与した社長やお笑い芸人の話題性におんぶに抱っこで終わろうとしなかったことがゼロワンに過去作との差を生んでしまったのでしょう。

AIの聞きかじりを説きたくなったのが令和ライダーのそもそもの発端ですから、そこを除けばゼロワンではなくなりますよね?

 

 

ゼロワンで各話を切り離して考えてみると、例えばセイネ回に込められたメッセージ性の部分はどうだったでしょうか。

結論から申し上げると、あの回に制作から特に訴えたかったメッセージはないと考えています。

具体的にメッセージがなかったと取れる事象を挙げると、

 

・容姿こそなくなったものの亡き娘の声で話すAIスピーカー

・不問になった亡き娘の容姿を似せた父と或人

・そもそも違法に育てられた可能性の或人

・途中で台無しになったアニメのオーディション

・家族を想う自我が芽生えるものの強制的にその自我が摘まれる迅

 

プリキュア声優にヒューマギアを演じさせることをエンタメ的な大きな掴みにはしたものの、これら上記の事の顛末に答えや大きなメッセージ性はなく、本編の後味の悪さや誰も責任を問われない不完全燃焼した感じから勝手に視聴者が「AIで故人を作るのは気持ち悪い」、「自分が死んでもAIにしてほしくない」、「AIに子供を育てられる時代が来るかもしれない」などとなんとなく頭の中で膨らんだ考えを巡らせることで盛り上がれてしまえたと思うんですよね。

 

大森氏、6話のコラムではこんな風に述べています。

 

実は6話を作るにあたり企画チームが抱いた違和感が、そのままストーリーの中に盛り込まれています。

(略)

迷ったときには我々は専門家の先生にアドバイスを仰ぎます。

(略)

こんな風に、まだ実現はしていないけれど遠くない未来に実現するかもしれない身近な問題を発見し、物語に盛り込む事がゼロワンにユニークさを与えてくれている様な気がします。

(略)

『亡くなった家族のメンバーのAIロボットを作ることの何が問題なのか』ということですが、こちらも先生に質問をぶつけてみました。

“故人に関するAIロボットがいることは、人類がこれまで経験してきた生存する者と死んだ者との関係を変えてしまうことであり、倫理的及び宗教的な議論を誘発するといえる”“故人のAI ロボットが故人の人格権の侵害をもたらす可能性がある”

(略)

ちょっと先の未来を感じてもらえるテーマを考えていければと思います。

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ね?

棚からぼた餅で投げかけられそうな未来像が結果的にあったというだけで、最初は考えなしに話の盛り上がりで故人を模したアンドロイドを用意していただけでしょう?

 

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100日生かしたワニを決まった日に殺せば誰かしら何か考えてくれる時代ですから

 

お仕事5番勝負、最初2戦はAIに怯える人間、真ん中2戦はAIの可能性を認める人間を描いていったのに対して、5戦目はAIを拒絶する今までにないぐらい擁護出来ない汚職政治家に、さらには最も暴力的なヒューマギアを用意するという本来なら正気の沙汰でない采配です。

ホップ、ステップと来て、バク宙して後退するようなもんですよ。

しかし、これは「人間の悪意を強調し、人間の悪意に触れ悪のヒューマギアになる」過程をとにかく見せたかったのだと考えれば理解はできます。

とはいえ今回、政治家の悪事で言えば、典型的なシチュエーションで描くことで強調させたい“人間の悪意”は際立ちましたが、稚拙とも言えるあからさまな描写に視聴者がわざわざ「政治家が賄賂もらっちゃ、AIだって黙ってられないよね」などと思いを馳せて盛り上がれることはありません。

考えることにすら至らないのです。

メッセージ性は大人びでいても、やってることは単純でいながら時代劇に馴染みのない子供にはお菓子の下にお金があることが何故悪いのかもイマイチ分からないわけですから、実質、第28話は誰にも向いておらず、不評になるのも当然です。

 

…と言うように、始まる前からゼロワンで訴えたいことを力説していた大森プロデューサーには議論の余地をさりげなくストーリーに入れ込む度量もなく、そのわざとらしいほどのあからさまな構図がかえってエンタメとしての作品の面白さの邪魔をしている…それがゼロワンの2クール目での制作の誤算なんだと思います。

話に中身はなくとも、余計な説法を入れ込まずに、そのまま認知度の多少あるハーフタレントをラッパーヒューマギア役として起用し、さらにはそのために作られたオリジナルラップを披露しつつラップのフリースタイルバトルをするまでに留まれれば、エンタメとしてまだマシな回になっていたかもしれませんね。

 

 

<大トリに何故2号ライダーのパワーアップ?>

 

次回予告でバルカンのパワーアップがお目見えしましたが、不破ってザイアスペックとヒューマギアの性能勝負と直接関係はありませんよね。

 

しかし、この5番勝負の最終決戦に不破が強化されるのは何故か丁寧に前振りがあったのです。

それはビンゴ回と119太郎回の或人に荷担する不破、そしてボット回の或人に夢があるか問われる不破です。

次回のタイトルが「オレたちの夢は壊れない」というぐらいですから、この前振りから自身の存在が揺らいだ不破が何かしら夢について見出だし、或人側に付き続ける決意を固める回になるのは透けて見えます。

 

何度かブログで触れましたが、

 

・変身態がウルフモチーフ

・少年期に何らかの理由で急死に一生を得る

・火事場での救出

・夢がまだない

・敵幹部四天王入り?

 

など、不破には仮面ライダーファイズの乾巧の意匠が見受けられ*3、そこを踏まえながら大一番のチェケラ回という“ジャンプ”の前に地に足付けて描かれているように感じました。

仮面ライダーの変身条件を植え付けられていたりもそうですし(巧というより流星塾の設定に近いですが)、滅亡迅雷の雷がゼアをジャックした際に次回登場予定のバルカン強化フォームのモチーフメカ群が現れていたようにも思います。(公式発信の玩具バレでモチーフは見ました)

間違いなく、第二章でポッと現れたメタルクラスタ以上に計算して描かれています。

第一章のオミゴト回から脳の異常には触れ、第二章では対決するヒューマギア以上に彼の善意が強調されていましたよね。

もう一度言いますが、飛電社の人間ではないのに、ですよ?

 

この不破の強化フォームに大事な局面“ジャンプ”が重なる采配もスポンサーから提示された玩具の発売スケジュールのせいなのかも知りませんが、やはりフツーに考えると正気の沙汰ではありません(本日2度目)

ここでこそ、社運がかった社長 或人のゼロワンが強化され、ヒューマギアの対決とともにZAIAに打ち勝つことが気持ち良い展開だと思います。

少なくとも暴走の克服ぐらいはここまで取っておいても良かったのではないでしょうか。

 

 

 

 

<最後に>

 2クール目までを三段跳びに例えてきましたが、3クール目からどうなるか分かりません。

まだ視聴者についてきてもらえる1クール目の短距離走のスピーディーさでエンタメにだけ特化した配分に戻るかもしれませんし、もしかしたら、また新しい試みを繰り出して変化形のトライアスロンになるかもしれません(笑)

しかし、しつこいようですが、このお仕事5番勝負最終決戦は作り手に取って間違いなく、2クール目の最重要エピソードであったと思います。

 

「駄パートを除けば良作になる」のではなく、

 

「駄作だから致命的な駄パートがある」

 

んだと思いますし、

 

「致命的な駄パートから駄作は形成されるんだ」

 

という見方もあると知って頂ければと思います。

 

あとは、擁護出来ないほどの悪意を見せたチェケラが話の都合上で非常に邪魔になるのでこのまま復元せず退場か、復元された場合、しっかりと救済があるかも次回の見所だと思います。

制作が或人を介して夢のマシーンを抹消するのかほぼ別人に書き換えるか、作り手の腕が試されるぜ、要チェケラ!

 

 

 

*1:こんな物騒なもんどこにあったんだよ

*2:ビルドは物理学者なのに化学分野ばかりしていたから論外

*3:ビルドの葛城巧で一回やったろ