前回の被告人は千春の幼馴染にレイダーで殺害された可能性(仮面ライダーゼロワン第23話「キミの知能に恋してる」)
よくても近寄らないように脅迫してそうな。
二階堂輝男の人柄を考えると、被告人が無事な方がおかしいですかね?(終わりに後述)
※マッチがマギア化を狙ってやったかについて書き忘れたことがあるので赤字で追記しています(2020.02.19)
アークによって作られたメタルクラスタキーによって、ゼロワンは新たなる姿へと変身を遂げた。
しかし、メタルクラスタの力によってゼロワンドライバーが他のプログライズキーを認証しなくなってしまう。
困り果てた或人のもとに、突然予想だにしない来客が!それは、先日の結婚詐欺の裁判の被害者である千春だった。
「私の結婚相手を見つけてください!」と、すごい圧。
或人は結婚相談ヒューマギア・縁結びマッチを紹介して―――。
今回はこんな感じのことを話していこうと思います。
<AIは暴言を吐けない>
本来、AIには暴言を吐けないような設定がされているはずです。
現実のAIによるコミュニケーションにも言えることですが、ゼロワン世界でヒューマギアによる人間への攻撃を許されていないのがAI特別法(第一条 ヒューマギアはいかなる理由においても人間に危害を加えてはならない)ならば、暴言も立派な人の心を傷つける“危害”であり、暴力に値しますから、罵詈雑言を発することは有り得ない動作になると思います。
何が“攻撃”になってしまうのか、それを行ってしまわぬように、あらかじめAIには暴力行為や暴言となる汚い言葉に抵触することを覚えさせた上でそれらを禁じなければ未然に防ぐことが出来ません。
そのために暴言に分類される単語にはロックがかけられ、ヒューマギアは外部に出力することを許されないようにプログラムされるはずなんです。
例えば、私たちがゲームチャットで不適切な発言をしようとしたとしましょう。
そうすれば、「不適切な単語が入っているので送信できません」と出てきますよね。
これは不適切な言葉がチャット機能に登録されているからこそ出来る対応です。
昔、20年以上前になると思うのですが、私がキャラクターに言葉を教える『どこでもいっしょ』というゲームを友達の家に忘れていたことがあって、数日後、ど下ネタな単語を沢山覚えて戻ってきたことがあります。*1
こういったことにならないように、例えば警備員ヒューマギアが道行く人間から悪ふざけ的に汚い言葉を教えられた時にそのままラーニングし迂闊に使用してはいけないように、くどいようですが、あらかじめその類いの単語を聞き流す設定がされなければ、トラブルを回避出来ません。
イズは知っていてマッチは知らないという違和感がありますが、実用化に至っているのであれば、そこまでプログラミングされていなければ飛電にクレームが絶えないでしょう。
例外的に指導者的役割や公的に裁ける立場のヒューマギアぐらいは暴言を発せずとも汚い言葉は使わないよう人に注意ぐらいは出来るようになるかもしれませんが。
(そうなると恐らくイズは何者か*2の手により暴言に関するリミッターを全て外されたと考えるのが妥当でしょうかね。)
この劇中との矛盾を解消するためには、今までのマギアが或人に汚い言葉を浴びせていたように、マギア化して自我が強く芽生えたことで暴力の制約が外れ、罵詈雑言を言えるようになったとするのが設定を崩さない構成でしょうか。
そもそも、結婚相談を受ける立場でありながら、垓の人柄を説明した時のように相手を侮辱するような言い回しを出来てしまうマッチそのものがおかしいことなんです。
イズのゴリラ発言やシェスタの個人情報をペラペラと話すこともそうですが、相談所にはなかなか結婚出来ずに神経質な人も来るでしょうし、その手の配慮が出来ない程度のコミュニケーション能力のAIなど試験段階レベルの欠陥品だと思います。
しかし、罵詈雑言をスルーするよう設定するということは、ヒューマギアが言葉で傷つくこともなくなるので、そもそも住田スマイルのように人の暴言から負のシンギュラリティが生まれることもなく、結局、まともにAIの未来のあり方を考えると今回のように物語が動くようなことは起きません
…が。
とはいえ最近の、罵詈雑言が言えて、罵詈雑言に傷つき負の感情で満ちてしまうヒューマギアの描写、これって本当にAI監修の入ってる お話と言えるのでしょうか?
デリカシーがないだけで、こんなのほぼ人間と変わらないですよね?
むしろ、このご時世に「AIだから人の気持ちが分からなくて失礼なことをバンバン言っちゃいまーす」なんて古典的な展開を期待の若手作家がやるんですか?
「人間と見間違う容姿をした機体が自然で精密に、かつ俊敏に動かせるほど機械工学は急激に発達しても、会話能力に関しては牛歩なAI技術」っていうのも、AIもののSFあるあるなホコリかぶった演出ですよねぇ。
この扱いづらい本格的なAI知識を物語に活かしてこそ、作り手の腕の見せ所だと思うのですが?
ゼロワンって、監修の入った本格的なAIが普及した近未来が売りの作品でしたよね???
<ブレる負のシンギュラリティ>
「マギア化すれば暴言を吐くのはおかしくないかも」と述べましたが、では、マギア化の条件となる負のシンギュラリティとはなんだったのでしょうか。
先ほどは罵詈雑言からの起きるマギア化の矛盾についてお話ししましたが、マッチがマギア化した条件の“暴力”に着目して考えてみましょう。
今回、マギア化の引き金になったのは千春がマッチに放ったビンタで間違いないと思うのですが、直接的な暴力で負のシンギュラリティに達したのであれば、何故、お見合いの席で襲われた時はマギア化しなかったのでしょうか。
こちらの方が修理を要する強い暴力だったように思います。
そもそもヒューマギアに痛覚が備わっているかも、備える必要があるかも不明ですし。
特ヲタ界隈では、マギア化したマッチがメタルクラスタホッパーのキックから輝男を庇う描写があったので、「幼馴染とくっつけるために率先してマギア化したのではないか」と言われています。
しかし、結婚相談に登録されていない輝男と登録者の千春を仲介することは管轄外のような気もしますし、「誰かのために自己犠牲を払う」という厚意がビンタ程度で負の感情に支配されてしまうことなのかというのも大きな疑問としてあります。
ましてや、第2章からの負のシンギュラリティがマギア化に関係していることを知っているのは現状で垓と刃だけなので、マッチが意図的にマギア化を狙ったということはないでしょう。
「社長、どうしてあんな言い方を?」
「先日、ヒューマギアが暴走した一件、あれは蘇ったアークによる影響だ。人間から悪意を向けられ、負のシンギュラリティに達した時、ヒューマギアはアークからの無線接続によって暴走する」
第19話での新屋敷を煽った後の刃と垓の会話ですが、アークによる無線接続のマギア化については今のところこれっきりです。
それにしても、今回は最後の最後以外をギャグテイストでお見合いエピソード自体はオチで美談にしたかった狙いは分かるのですが、負のシンギュラリティという設定に、誰かを慈しむような清い心が存在する美談はミスマッチ!ですよね。
<マッチはどこまで意図してやったか>
接客が業務に組み込まれているヒューマギアに暴言を吐けるプログラムがあるのはおかしい、暴力でマギア化するなら垓とのお見合いの時でないとおかしいと色々考えてしまうと、マッチの真意は何だったのか、本人も語らないのであれば判断のしようがありません。
わざと嫌われようとしているのは台詞で説明があったので確実だと言えるでしょうか。
マギア化で人類滅亡の意志に抗えたかについてはバスガイドのアンナに続いて本編で2度目なので、同様に「個体差やコンディションから教会では簡単にマギア化したものの、最終的に輝男を庇える程度に自我を制御できた」とするのが演出を客観的に見て妥当なところだと思います。
録画を消してしまって確認が出来ていないのですが、ニギローがマギア化した時には寿司職人ならではの「へい、お待ち!」的な台詞を吐きながら或人たちに襲いかかっていたので、最期に「ベストマッチ!」が言えたところでマギア化した自分を完全に制御できたとは言いがたいかなぁと。
ゼロワンが示した過去の設定から矛盾のないよう私なりに考察してみましたが、制作の意図は分かりません。
庇うシーンの強調も視聴者が初見で見落とすぐらい分かりにくいので、そこまでの重要性はないと思います。
しかし、演出では分かりにくいながらも確かに庇ってはいたので、制作的に倫理的に輝男の凶行を肯定しないと千春と結ばれることが強引になるという配慮が多少なりともされたのではないかと考えられますかね。
この手の憐れみのある怪人側の動機に大森プロデューサーのライダーは寛容な落としどころに着地させがちなので。
<大森作品は同情の隙があると情状酌量の余地ありにしがち>
大森プロデューサーが手掛けた最初のライダー作品『仮面ライダードライブ』では、本来裁かれるべにであろう人間が裁かれない回がありました。
それは第18話「なぜ追田警部補はそいつを追ったのか」、第19話「なにが刑事を裁くのか」です。
見ていない人のためにサクッと概要をお話しすると、
元刑事 橘が過去に担当し真犯人を逮捕できなかった事件は、冤罪と思われる犯人の自殺で幕を閉じていた。
しかし再び、類似の事件が発生したことで真犯人の犯行を確信した橘は、遺族への情から怪人に真犯人を殺してもらうよう復讐を依頼。
ドライブの仲間たちが協力して真犯人を逮捕したことで真犯人を殺す必要がなくなったにも関わらず、怪人は暴れ続けたのでドライブが撃破する。
ドライブ
「俺たちが手錠をかけるべきは、橘さん。あなたの歪んだ心です。でも、そいつはもう消えた。」
そしてドライブの独断で怪人に復讐を依頼した元刑事の逮捕は見送られるのだった---。
…といった内容です。
https://www.tv-asahi.co.jp/drive/story/18/
https://www.tv-asahi.co.jp/drive/story/19/
この甘さ、どこぞのお笑い芸人社長に似ていると思いませんか?
警察が仮面ライダーの話なので大人げなく法律を引き合いに出しますが、これは犯罪のほう助、つまり共犯に等しく、もっと言えば共犯の相手が人でなければ実質の主犯にさえなってしまう事件だと思います。
杉下右京であれば、ドライブの判断を決して許さないでしょう。
怪人が橘の剣道をマスターしたが故に剣さばきが橘と同じで、そこから怪人と橘の関係が浮上する推理があったりと、今回と共通するところがあったりします。
そういう観点で見ると時間の無駄に出来ますから、無駄にしたい方は今ならアマプラで見れますので是非。
同じようなお話は塚田プロデューサーの作品『仮面ライダーダブル』でもありました。
しかし、顛末はドライブと違います。
とある男子が闇サイトに軽はずみな気持ちで友達の復讐依頼を書いてしまった回は、サイトに書き込んだものの復讐行為を止めようとダブルに頼りつつ自身も怪人に立ち向かい、友達とも和解したことで彼への罰は本編中で注意程度に終わりました。
これは当事者同士で和解してる上に、本人も止めよう奮闘したので、まあ分かりますよね。
他には、殉職した刑事の娘が怪人となって復讐に走る回なんてのもあります。
こちらは怪人になった女性の復讐相手となる最後の一人を仕留めようとするのをライダーが守りつつ、彼女を倒し、父親を殺した最後の一人である犯人の過去の罪を暴き逮捕したことで解決しました…が、彼女には怪人の力に手を出し、父の死に関わる人間を次々と殺害した罪があるので情に流されることはなく、しっかり逮捕されました。
この違いが分かって頂けないとなると、私の文章は本当にチラ裏になってしまうのですが、今回の輝男の怪人の力に手を出した行為は許しがたい犯罪行為であると言いたいのです。
しかも、ドライブの時とは違い、ほう助ではなく、紛れもない実行犯。
幼馴染がヒューマギアにご乱心だからといって、レイダーになって文字通り強襲(raid)したことは擁護できません。
教会を飛び出した輝男はレイダーに変身するためのアイテムを取り出しましたが、それは目的を持ってナイフを抜く、もしくは拳銃に弾を込めるような行為です。
不当な理由で明らかな意志を持って暴力行為を行おうとした、言い逃れすることの出来ない決意を、私たち視聴者だけにはちゃんと目撃させているんですよね。
勿論、お見合い会場でマギア化していないマッチに攻撃を仕掛けているので情状酌量の余地もクソもあるのかというところですが。
脱線しますが、お見合い会場で襲っておきながら飛電本社へと襲った面々にマッチから引き離すよう直談判に来る輝男の心理って人間として変な動線で怖くないですか?
直談判してダメだったからやむを得ず襲うのが普通に考えうる行動でしょう?
常識的に考えられない行動パターン、暴力的解決が先に来てしまう輝男はやはり何か感情の欠落したサイコパスなんじゃないかと思えてきます。
サイコパスなら、マッチがしっかり壊れてるか確認したくて社長室まで乗り込んで来たとしても違和感がありませんね。
やりたい ありがちな推理展開「動きが一緒だ!」の構成なのは分かりますが、ヒューマギアを人間寄りに、ゲストキャラをサイコパスにしてしまうのは、お話を書く上で大事な整合性が失われる子供だましのガッカリポイントでした。
話を戻して。
大森プロデューサーはドライブに限らず、怨恨から来る復讐や違う角度から見た世の中を正そうとする行為に甘い風潮があります。
逆に大森氏がプロデュースした作品で勧善懲悪を押し出した敵は凶行に至る動機が非常に薄いです。
蛮野や檀正宗、エボルトに難波会長など非道な連中は世界を支配することに真っ当な理由を掲げることはなく自己中心的で、例を挙げればキリがないほど、自分なりの正義を持って動く敵キャラとは和解をし、共闘する流ればかり。
前回の真犯人 鳴沢はメタルクラスタで打ちのめすために共感出来そうな動機は作らず、逆に不動産対決の新屋敷や活け花対決の立花流のような改心の兆しが見える者には破壊行動に至ったにも関わらず逮捕されるような描写を用意しませんでした。
人にはそれなりに追い詰められて凶行に至る動機がありますから、大森プロデューサーが裁判長にでもなったら大体が無罪放免になりそうですよね。
<まとめ>
ナイフや拳銃以上に危険なもの持ち歩いていた人間とをくっつけて「ベストマッチ!」で一件落着なんて虫のいい話にもほどがあります。
ライダーのみならず、怪人サイドの暴力をも肯定してしまうのかと。
性格の悪いキャラならまだしも、可愛い所作で押してるイズも罵詈雑言を知っている子としたり、つくづく誠意のない作品だなぁと感じました。
もし、この回を見た子供に「マッチやイズは何て言ったの?」と聞かれたら大人はなんと答えればいいのでしょうか。
面白げなプロットのためにまた1つ要らん仕事を親御さんに押し付けてるな、と思いましたよ。
実際のところ、今回はギャグ回特化の意向が強そうですし、外野で何と言おうが教会以降のマッチの行動はよくある「花嫁を奪いに来た男性に譲る懐深い新郎」のパロ以上の志はなさそうなので「設定は気にするな!」と手だけ怪物の、目つきの悪い、頭クリンクリンのパーマに指摘されてしまいそうですけどね(笑)