ルナ太郎の腹筋崩壊ブログ

私は…仮面ライダーゼロワンの気になった所を大人げなく殴り書くのが仕事だから!

お兄様!今回、犯人の動機がクソだったのは犯人を冬空の下で半裸の刑に処すためだったのですわ!(仮面ライダーゼロワン第22話『ソレでもカレはやってない』感想追記)

今週は楽しようと前日の内に22話の感想をあらすじ等から ほぼあてずっぽうで書いてみましたが、やはり改めて見直して、思うところがあったので追記していこうと思います。

  

www.tv-asahi.co.jp

 

当たり前ですが、罰を与える上で、それ相応の罪がないとイケません。

今回、ゼロワンがメタルクラスタホッパーになり、暴走し、破格の性能を見せつける上で餌食になる存在が必要になるわけです。

タイトルで「半裸の刑」と言いましたが、これは演出家の判断で、脚本家的には「半殺し」と言ったところでしょうか。

むやみに暴走したゼロワンが市民に被害を与えてはZAIAとの勝負どころではなくなり、社長自ら直接被害を出したということで飛電の存亡もへったくれもなくなるでしょうし、仮に死者を出してしまった場合はビルドのハザードの時と同様の展開になってしまいます。

ビルドと同じ展開を避けたかは定かではありませんが、死者を出す出さないで或人に対する立場が大きく変わることもあるので、レイダーだった犯人は半殺しに留めつつ、垓は殺す手前で止めたというところでしょう。

 

そう、レイダーになった犯人 鳴沢と天津垓はメタルクラスタホッパーの実力を見せる相手、そして暴走により殺す手前まで痛め付けていい要員として配置されていたのです。

 

垓に視聴者のヘイトを向けさせ、「やっちまえ!」と思わせるように仕込まれていた話は追記前の感想記事でお話しさせていただきましたが、鳴沢もボコっていい扱いとして「無差別に濡れ衣を着せ、自身の実績にしようとするクズ」という役回りになったと考えるとあの不自然な動機は逆に必然的なように思えるのではないでしょうか。

せっかく裁判ものにしたのに、解決編は犯人がそんな雑な動機なんて4流脚本家か中学生が執筆していないとおかしい話ですからね。

 

このように設定されたゴールに向かってお話は作られていたと考えると、ビンゴのメンタルの弱さも「マギア化して垓に倒させるため」のものですし、ゴーバスイエローにドラマがろくになかったのも次週の結婚回のために後回しにしたということになります。

(ゴーバスイエローのゲストとしての跨ぎ方は漫画家回にセイネの所有者である多澤を出した時に近い演出ですが、ゴーバスイエローは当事者の一人ですからね。この後回し感は下手な演出の部類に入るでしょう)

 

ゼロワンがレジェンドに依存しすぎなのは別の方が言及されていますのでご参考に→

songen.hateblo.jp

 

ゼロワンのつまらなさの原因はこういった、メーカー側の玩具展開や作り手の押し出したい企画やメッセージなど「やらなければならないこと」をこなす作業に追われているところにあると思います。

裁判回を裁判回として面白くしようと考えるのであれば、被害者の思いは証言以外でも語らせるべきですし、ビンゴは不破と協力するにも自らの足でAIならではの利点を駆使しつつ証拠を集めるべきでしたし、犯人の動機もリアルにありそうな もっともらしいものを用意するべきだったはずなんです。

 

「不破が捜査に協力し、一生懸命に暴走を止めたから今回は巻き返して面白かった」という感想を見ましたが、それは及第点に達したか達してないかの、メインキャラで盛り返させただけの「最近の中ではマシ」程度の次元の低い話なんじゃないでしょうか。

1つのエピソードが2週に分かれてその追われてる感が緩和されるかと思っていましたが、そんなことはありませんでしたね。

 

 

 

今回、何より気持ち悪かったと感じたのは暴走というシリアス展開の後につまらないギャグで締めたところですね。

本来、シリアスな展開があれば、ある程度その余韻を残して終わるのがスマートなはずなのに何故あんな終わりになってしまったのか私なりに考えてみました。

そして色々と大森プロデューサーの作品を振り返った結果、それはハザードのような深刻な展開を避けたからでは、という考えに至りました。

 

敵の怪人の宿命とはいえ、今回のストーリーで、ショックを受けられているお子様もいらっしゃるかもしれません。

でも、これはあくまで大人が作った「お話」です。

もちろん、ヒーローが活躍する姿や、その時の登場人物の気持ちは「本物」を映像に映し出せるよう、私たちも努力しています。

が、青羽にもう会えない……とつらい気持ちになっているお子様がいらっしゃったら、周囲の大人の方から、お声をかけてあげていただけたらと思います。

仮面ライダービルド 第22話 涙のビクトリー | 東映[テレビ]*1

 

これはハザードフォームが青羽を殺してしまった回に公式で掲載された文章です。

「青羽にもう会えない」と感情移入するほど青羽のキャラが立っていたかは疑問ですが、戦兎が殺してしまった罪に対して嘔吐してまで後悔させるシーンを作っておきながら、「フィクションなので、フォローは大人がお願いします」としていいのかなという疑問…いや、怒りが当時から私にはありました。

作品で受けた悲しみは作品によって払拭されるべきだと思いますし、子供向けコンテンツだと信頼して委ねて見せている親御さんに対して誠意のない文章だと今も感じています。

 

先ほども述べましたが、本来、主人公が深刻な問題を抱えているのであれば、それを次回以降の引きとして余韻を残して回を締めるべきですが、それをしないのはそう終わるのはマズいという認識があるからだと思います。

明るく終わらせたいのであれば、大森氏がリスペクトするダブルのファングジョーカー回のようにそのエピソード内で暴走を克服して終わらせるか、自身の作品であるドライブのように深刻さを前面に出さなければ良いだけの話ですから、深刻さは残したまま何かしらの克服は5番勝負の終盤まで取って置きたいということが察せられますね。

もしくはもはや決め台詞として死に体となった「お前を倒せるのはただ一人…俺だ!」に代わって、なんとか生き続けているもう一つの決め台詞「或人じゃないとー!」を言える状況にだけはしておきたいという呆れた理由でしょうか。

ともあれ、「最終的にふざけてしまえば、とりあえず暗いテンションで回が終わることはない」という考えに至ったのであれば、あの品のない終わり方が腑に落ちてしまうんですよ。

 

では今の心境を面白いギャグでお願いします

今…?ここで?

 

前回のビンゴの「法廷で戦うべき」や、或人の「人生がかかった裁判を勝負にするな」などの台詞は脚本家のセルフツッコミじゃないかと指摘しましたが、もし脚本家の本音が今回も混じっているのだとしたら、これもまた唐突なギャグによるエピソードの締めを強要された脚本家自身の悲痛な叫びなのかもしれませんよね(笑)

 

 

つまり、今回の記事で何が言いたかったかというと、

メタルクラスタホッパーの暴走を軸にお話が作られている

 

から第22話はおかしいのだ、ということです。

 

 

暴走するから、鳴沢の動機を擁護しようのないものにした。

暴走するから、鳴沢を半裸にした。

暴走するから、オチはふざけた。

暴走するから、垓を傲慢キャラで数週のさばらせた。

 

そう考えれば、今回で違和感を覚えた要素や過渡な演出は全て辻褄が合うのではないでしょうか。

辻褄が合うからこそ、そのために描かれた詐欺に関する裁判ドラマだと思うとあまりにも作りが余計に不誠実になってしまうのですが。

 

 

…しかし、何故、ここまでして主人公の暴走フォームとして成立させることに固執しているかは分かりません。

ダークライダーとして別キャラが変身するんじゃ駄目だったんでしょうか?

 

変身者が或人であるから、暴走したとはいえ ある程度の人に対する倫理観は守らなければならないなんて、人に仕えるヒューマギアの被害をこんなにも許していながら人の殺生はさせないという作品の姿勢がより不誠実に感じてしまうんですよね。

制作側がこうも主人公の暴走に執着する疑問はまた別の機会に言及できたら…。

 

 

…で。

第1章の滅亡迅雷.net編では、客観的に見た“AIの優位性”と“世の中にある職業の説明”が確かにテーマとして主軸にあったと思います。

それを優先したがために飛電社内の人間描写は副社長の福添一派に留め、変身アイテムを調整するエンジニアなどキャラクターを用意するのではなく、基本、衛生が勝手に3Dプリンタで作って上手くやってくれる、アイテム開発にドラマを有さない作りに徹していました。

それが作用してか、ゼロワン特有の“AIが働く場にある親和性”の描写に時間割いてこれたのでしょう。

代償に、必要とされるヒューマギアの倫理観や社長としての役割の重要性が削がれてしまいましたけどね。

 

 

しかし、この1章の中で昨年末の総決戦を除いて、1エピソードだけ、変身アイテムの描写に特化した回があります。

それは三条陸氏が担当した「アノ名探偵がやってきた」「ワタシの仕事は社長秘書」です。

この回は非常に特殊で、初めて或人が最後のヒューマギア祭田Zの、暗殺ちゃんスペアとしてのマギア化予備軍入りを阻止し、イズに攻撃が向いた際にはしっかり防いだ回なんですよ。

何をヒーローとして当たり前の行為をしてるところを褒めているんだと思われるかもしれませんが、そういう描写がされているのは今の段階でこの回しかありません

この回で今まで欠いていたヒューマギアに対する倫理観に対して社長としてあるべき行いが出来ていたように感じられました。

そして、変身アイテムにドラマを持たせるため、ポッと出のキャラではありますが、ワズの犠牲の元に上位互換フォームであるシャイニングホッパープログライズキーを作成したわけです。

当初、この回はメイン脚本である高橋氏が手掛ける予定でしたが冬映画の執筆のため、急遽、三条氏が担当することになったそうで、ゼロワンにはなかったヒーローとしての倫理観が備わった代わりに、ヒューマギアが人間臭くなった印象があります。

怯え逃げ回る祭田Zの残り1体、スペアとして誘い出す暗殺ちゃん、社長に思いを馳せるワズに嫉妬するイズと今まで積み上げてきたAI独特の客観的な物言いは失われました。

このように変身アイテムにドラマを持たせるということはAIの持つ客観性が非常に邪魔で、キャラクターをエモーショナルに、劇的に動かしてこそドラマを盛り上がらせるのだと思います。

章は跨ぎますが、ゼアとアークのテクノロジーが合わさったアサルトシャイニングホッパーはサウザーと対等の性能を持ちながらも、出生は不破が落としたものを拾って使い、不破との共有設定が面倒なのでコピー品を作るという劇的もクソもないお粗末なドラマ作りこそがゼロワンの本来持っている“変身アイテムにドラマを付与する”ポテンシャルですから、やはり三条回は異質と言えます。*2

 

話を第2章に戻しますが、お仕事5番勝負からヒューマギアが上記のように三条脚本化していったと思います。

裁判回こそ、メタルクラスタホッパーに向かってお話が作られていましたが、序盤戦は当たり前ですがサウザーが軸にあったように感じますよね。

プログライズキーとゼツメライズキーで変身するサウザーの流れを自然にさせるため、敵にマギアとレイダーの両方を配置されました。

さらには、サウザーに対する盛り上がりと後のメタルクラスタホッパーの活躍(暴力)を見越してお仕事勝負を感情的に描くために善悪をはっきりさせ、ヒューマギアは揺さぶられやすく あからさまに人間的になりました。

人間のようなヒューマギアが憤怒することにより勝負外に話を持ち出しやすくなったわけです。

つまり、お仕事勝負自体は勝敗そのものよりも、勝負外のサウザンドライバーやメタルクラスタホッパープログライズキーなどの変身アイテムがお話の軸なのです。

勝敗が軸なら、本編中にお仕事5番勝負のルールをちゃんと説明しますよね?

でなければ、「5番勝負は飛電が1勝でもすれば、TOBは破棄!」なんて誤解した特ヲタが現れるわけがありません。*3

 

しかし、三条化と言えば三条作品で成功している特撮シリーズもある分、聞こえはそこそこ良さそうなので「ダブルのように面白くなりそう」、もしくは「悪くてもドライブの再生産になるんじゃないか」で済みそうなところですが、元々、テーマを強調するために人間と共に歩みうるヒューマギアを乱暴に扱う構成にしてきた制作が変身アイテムにドラマを持たせようとしたところで、三条氏の書くようなヒーローとしてあるべき姿を描くプロットが導き出されるとは限りません。

今度は変身アイテムのため、或人の立場は守られることがあっても、ヒューマギアがぞんざいに扱われるのはそのままなのです。

そうなれば、ゼロワンの持ち味であった“AIが働く場にある親和性”のある描写が薄れていくのは必然でしょう。

 

一般人以上に芸術を感じ、生活をする人より住まいに必要なものを理解し、法廷で誰かを弁護する立場の人間より物事に動揺しやすいのですから、せっかく立ち上げたお仕事5番勝負というフォーマットの持つ面白味が人間味を帯びすぎたAIによって打ち消され、ぞんざいに扱われるAIの優位性どころの話じゃなくなっているのが現状です。

ZAIAスペックに至ってはどこかどのようにヒューマギアと違って人間にとって利点があるのか、そもそもどういう性能なのか示すつもりもないようですし。

 

つまり、変身アイテム(変身者の状態)に軸足を乗せ替えてしまったがために、本来の客観的に見た“AIの優位性”と“世の中にある職業の説明”というゼロワンの掲げていたテーマは地に足が着かなくなってしまったんですよね。

お仕事勝負自体は、公平にジャッジする第三者的な見届け人がいない、垓の勝手に決めたゲームですし、勝負外で槍と斧でチャンバラしてる企業の社長などどちらも応援するに値しなくなって当然、どちらの企業もない方が世のためとも思えてしまう悪循環に第2章は面白くなくなってしまったのだと思います。

 

第22話自体、メタルクラスタホッパーにだけ注目すれば、演出に気合いもかなり入って面白げではありますが、逆を言えばそこにしか価値はありません

あとは、イズの所作が可愛ければいい、1号ライダーと2号ライダーが馴れ合っていればそれだけで5億点なんていう単純な方 向けな出来です。

まさにメタルクラスタホッパーという蝗害に物語の構成は食い荒らされたといったところじゃないでしょうか。

 

 

 

<駄脱線>

メタルクラスタホッパーは蝗害がモチーフで間違いないはずが、どこかで見たような金属の塊になる演出で害虫の要素が薄れたように思います。

良かったとは言いましたが、個人的にメタルクラスタのバッタ描写はイマイチに感じました。

ゼロワンのフォームチェンジの代名詞にもなりかけた、“召喚されたメカが建物を壊しながらやってくる”演出を再び活かして、室内での変身で大きなガラス窓にびっちりとメタルバッタが張り付いたかと思えば、おぞましい数の群れを成してガラスを割って侵入してくる…といったような演出にすれば、私たちには馴染みが薄い蝗害だからこそ おぞましく強烈に演出できたのではないでしょうねぇ…なんて。

わざわざレイダーである人間の変身者を半裸にせずとも、バッタの大群にたかられたマギアは食いちぎられ、少しのパーツを残し姿形がなくなってしまうなど、あんなにCGにお金かけられるのも最初だけでしょうし、振り切って「食い荒らす」恐怖を描かったことが勿体ないように思いました。

どちらかといえば、折角のバッタの大群も、前にもお話しした『ターミネーター2』の液体金属を固めて駆使して戦うT-1000型をベースにしたように感じますし、この映画から何としてもアイデアを搾り倒したいんでしょうかね。

(ゼロワンPが見た最新のAIが出るSF作品は『ターミネーター2』説(仮面ライダーゼロワン批評))

 

…まあ、それでもナイスアイデア風に見えて10年前にガンダムで似たようなこと既にやってるんですけど。


映画『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』予告編

*1:クソ

*2:もっと言えばアサルトウルフプログライズキーも棚ぼたの拾い物

*3:まず、TOBは説明しても5番勝負のルールは説明しないなんて、そんな不親切な子供向け番組あっていいわけないだろ