制作にまともな大人の男性に育てられた人、一人もいないのでは?(仮面ライダーゼロワン第25話「ボクがヒューマギアを救う」感想)
突如、衛星ゼアとの交信が途絶えた。
調査の結果、何者かが意図的に通信を妨害していることが分かる。
イズは、飛電インテリジェンスのラボにヒューマギアの開発と製造を担当する博士ヒューマギアのボットを召喚して、原因の究明を始める。
そこに、A.I.M.S.から脱走した滅の捜査に諫が駆けつける。
「テロリストにするためにあいつらを作ったわけじゃない」そのボットの言葉で、彼こそが滅亡迅雷ネットの原型となった滅たちヒューマギアを作ったことが判明し、博士はゼロワンに関する歴史を紐解いていくのだった。
一方そのころ、飛電インテリジェンスの屋上には、謎の仮面ライダーが佇んでいて――
<待ちに待ったゼロワンの真実>
ついに!
ゼロワンの真相が明かされましたね。
ボット
「或人社長の父上、飛電 其雄が衛星アークとの戦いに備えて、すでに開発していたのだ。仮面ライダーを!」
或人
「その意志をじいちゃんが形にした」
ボット
「飛電其雄は仮面ライダーの力でアークの陰謀を阻止」
私には一人幼い息子がいるんですが、今回明かされた父親である其雄の行動に同じ親として全く共感出来ませんでした。
冬映画を観ていないのでテレビ本編での説明のニュアンスを受けての話ですが、今回の説明では其雄がゼロワンを或人のために開発し、完成に至らせたのは是之介という解釈になりますよね。
もしかしたら、其雄は自身で全ての事を終わらされるために開発したのかもしれませんが、結果的に其雄は死に、フォースライザー各種はアーク傘下の滅亡迅雷.netの手に渡り、そのテロリストとの戦いのためにようやく或人に渡るとなると、ゼロワンが或人を戦わせるためのものになっているじゃありませんか。
ツイッターで指摘している人を見かけましたが、そもそもデイブレイクタウンの爆風が届くところに息子といるところから不自然で、とにかく其雄と是之介は或人を危険な位置にしょっちゅう置いてるんですよ。
さらに腑に落ちないのは、劇中で其雄と呼ばれているのが父に似せたヒューマギアであって、本当の父親ではないということもあります(以下、「其雄(代理)」と表記)。
そんな育ての親、ヒューマギア開発時期とデイブレイク事件のスパンを考えてみても或人と接しているのが長期間とも思えず、存在そのものが人工知能特別法的に違法の可能性もある、さらには非人間のAIなりの判断なので、真相を提示されても感動できないんですよね。
何故、其男(代理)は愛する我が子のために守り抜くための盾ではなく、或人に戦わせるための剣を用意したのでしょうか。
私が其雄(代理)の立場なら、子供のためには鉄壁の盾を用意したいですし、どうせなら過酷な運命を辿りかねない飛電社を継がせないよう、飛電社から遠ざけて出来るだけ関係のない場所で育つことを願います。
…そうなんです。
逆算的に考えると、或人に危険な思いをさせないようにと、お笑い芸人を目指した或人が本編が始まるまで野放しに生かされていたと考えるとすごく辻褄が合います。
しかし、結局は是之助の遺言の通り、或人に引き戻してまで飛電社のピンチを何とかしてもらおうとするなら、最初っから真相を話して後を継がせるためにもお笑い芸人を目指させない方がよくないですか?
似たようなシチュエーションですと、『仮面ライダーゴースト』の主人公 天空寺タケルとタケルに託した父 龍との関係が近いと思いますが、この二人はしっかりとした血縁ですし、タケルは大天空寺という父が遺した寺を託され、龍と同じゴーストハンターになるために本編開始から修業をしていたので、継ぐ気のなかった或人とニュアンスが大きく異なりますよね。
そもそも、なんでAIを笑わせられなかったら、人間が対象のお笑い芸人目指すんでしょうか?
「ヒューマギアは夢のマシン」と其雄から感じたのなら、飛電社の跡取りを熱望して、自然と笑顔になるヒューマギアの開発でも目指しませんか?
…まあ、この辺は主人公に「お笑い芸人」という変わった属性を足したいがためにねじった設定なので道理がおかしいことに突っ込んではいけないところなんでしょうけどね。
<劣化ベイマックス>
…ゼロワンと とある作品の設定が一部と似ていることに気づきましたので、そちらと比較しながら、ゼロワンがおかしいところを話していきたいと思います。
その類似点が多いと感じた作品は『ベイマックス』です。
これからは作品を観ていない人を考慮しないネタバレを含む内容となりますので、ご了承ください。
先に類似点を先に挙げていくと
・兄が弟のためにAIロボットを遺す。
・兄の死には謎がある。
・利益重視の大手企業に就く社長が原因で悪を生む。
と言ったところでしょうか。
箇条書きにすると遠いようですが、分解して比較していくとゼロワンに通ずる要素と善悪の表現の仕方の違いが見えてきます。
まず、遺されたAIロボットが主人公をサポートするという点から遺されたゼロワンドライバーとイズが比較になりますね。
故人が家族のためにAIロボを遺すなんてことはよくあるシチュエーションではありますが、結果的に主人公がヒーローになっていく過程ではどちらも重要な要素です。
『ベイマックス』の主人公は兄の復讐に駆られ、傷ついた人の心と体を守るためのロボットである”ベイマックス”に戦闘データをラーニングさせ暴走させてしまう辺りは、メタルクラスタホッパーやヒューマギアに善か悪のどちらかラーニングさせることで可能性が変わるゼロワンに通ずる部分ですよね。
メタルクラスタホッパーで言えば、こちらの主人公は小さい生き物のような“マイクロボット”の大群を駆使し、集合体を作ることで形を変化させ用途によって使い分けるというようはメタルバッタ群のような発明もしていたり。
両親を亡くしているところも共通していますが、『ベイマックス』の主人公の趣味はバトルロボットを作ることなのでお笑い芸人を目指す或人と異なります。
先ほど述べたようにお笑い芸人という属性をやめてストレートに飛電のAI技術者になってしまった場合、ベイマックスにかなり寄ってしまいますね。
そこに社長という『アイアンマン』的な要素も加わってしまえば、ベイマックスの原作もマーベルコミックなので仮面ライダーゼロワン』が真のマーベル崩れになってしまいます。
そうでなくても、桐生戦兎という自ら変身システムを開発してしまう仮面ライダーを前にやってしまったとなると、主人公の“天才開発者”という引き算に空いた属性にお笑い芸人を代わりに足すことでゼロワンのオリジナリティとして、フォームチェンジの開発やメンテにおいては3Dプリンタ的に勝手にAIが作ってくれるという手抜き設定になったのは制作が都合よく話を動かすための判断とも推測できます。
最近、私が書く感想ではゼロワンを「悪意のある、暴力的な作品」と評させてもらっていますが、『ベイマックス』では対照的に兄の発明品に触れ、主人公が優しい心を取り戻していく様を見せてくれています。
『ベイマックス』に登場する兄は主人公を改心させるために意図してベイマックスを遺したわけではないのですが、結果的に、違法ロボットファイトをやめさせたいという願いは果たされ、ケアロボットとの触れ合いから主人公に優しい心を芽生えさせることが出来ました。
或人はデイブレイク事件後の12年が空白で、誰に育てられたのか、満たされない人生だったのか等々、不明な点も多く、…むしろゼロワンの最大の謎は或人の私生活であり、闘いの日々の中で12年の空虚な日々が埋められているのかすら分からないため、現状、或人にとって環境が良くなっているのか推測の余地もないのです。
『ベイマックス』の主人公は亡くなった両親に代わって伯母と住んでいて、ヒーローになる前と後で分かりやすく生活感から主人公に差を見せています。
仮面ライダーという作品である以上、危険な目に遭うことは避けられない宿命ではありますが、他のライダーと違い、折り返しに来ても或人から特に大きい成長も見られませんし、社長になる前よりもヒューマギアを疑うようになったりと荒んできたように思います。
それが実の祖父 是之介、デイブレイク以前に亡くなった本当の其雄、そして父親ヒューマギア其雄(代理)の我が子への願いだったのでしょうかね?
それとも綺麗ごとを並べていながら、実は「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」タイプの親だったのでしょうか。
社長の座は或人に継がせるにしても、戦闘要員としてヒューマギアではない信頼できる人間を育てておくとか、イズに衛星ゼアのサポートなしに独立して真価を発揮できる機能を付けたり、或人を守るだけでなく敵を駆逐する戦闘データを入れておいた方がいいですよね?
この手の“息子のために亡き父(もしくは祖父)が最強の執事やメイドを用意しておく”なんてよくある設定ですが、一か所のジャミングで衛生と通信ができないと立ち行かなくなる秘書なんて傍に置いて、テロリストと戦えると思っている飛電一家ってさすがに頭おかしいと思いますよ。
いくらゼロワンの真相を語っても、故人が肝心のゼロワンを或人本人に託すことへの違和感は拭えていないのが今回のつまらないポイントでしょう。
他にも、
・デイブレイクタウンに不審なヒューマギアを1体検知していながら戦闘員マギアがいっぱいいる
・いざという時用に予備の通信装置を別の場所に用意していない脆弱さ(変身システムどうするの?)
・ゼアに通信出来ないとゼロワンにもなれないのにイズは一日もなんで黙ってたの?
などツッコミどころも満載で思考停止を誘われるのはいつものことといったところでしょうか。
<活かさない敵の3世代>
家族の話でまた別角度から。
「ヒューマギアは家族だ」という話は或人の口からも他のヒューマギアの口からも聞きますし、滅が迅を造った者として父親ヅラをしたことが今回の“滅は元々、父親ヒューマギアだった”という伏線(と言われてるようですが、別に後付けでもどうにでもなる設定な気が)になったわけです*1。
となれば、今回初登場の博士ヒューマギア ボットは滅の父、迅の祖父になりますよね。
迅←滅←ボット
或人←其雄←是之助
これ、或人と迅の対比で描く上でかなり美味しいシチュエーションじゃありませんか?
しかし、特にそこに触れることはなく、どこまで届くのか分からない無線で迅はボットをジャック、衛生ゼアの電波を妨害し、迅に何らかの手を加えたことを示唆させてボットのエピソードと役割は終えてしまいました。
そもそも、滅の原型を造った張本人であれば、もっと前から初期型ヒューマギアについて話を聞くべきだったはずですし、イズが負傷した際には修理するために真っ先に呼ぶべきヒューマギアだったように思いますけどね。
重要人物になりうる彼が今まで出てこなかったのは、
・職業紹介に時間を割くために不必要
・冬映画まで其雄ヒューマギアや真相を語れる者を出したくない
・衛星ゼアが都合良いのでメカニックキャラは要らない
・デイブレイク事件で残っているということがおかしい(いないはずの5体目の滅亡迅雷になってしまう)
…辺りが考えられるところですかね。
大森プロデューサーの作品において、おやっさん枠は重要視されていないことが多い(後述)ので、その枠に該当するような人物はレギュラーに要らないとも考えているのかもしれません。
兎にも角にも、“ヒューマギアを家族とすること”が物語上での或人のアイデンティティのはずなのに、そこを強調せずにこの1話を終わらせてしまったのは勿体ないと思いました。
「ボク」と「ワシ」の使い分けさせたことでタイトルの“救世主”の正体が迅のジャックを想起させたり、不敵な笑みをアップで撮ったりするような1話内で完結する小手先のロジックより、折角ならばキャラを掘って奥行きを持たせるべきだったと思います。
<そして誰もおやっさんではなくなった>
そうそう。
ゼロワンには主人公を時には叱り、時には受け止める大人、すなわち”おやっさん枠“が不在なんですよね。
或人は序盤から社長としての在り方を見守る大人の存在はなく、ヒロインであるところのイズがその役割を担っています。*2
半分ネタキャラで嫌な立ち回りの福添はおやっさんになりえませんし、身内からはただ肯定されていく甘やかされた状態。
共闘関係にある別組織に所属する不破も時に反発するものの ほだされがちで、疑問視したくなる或人の倫理観に首をひねる者がいないのがゼロワンの子供向け番組として締まらない問題点だと思っています。
せめてイズが見せる是之介の映像に或人を叱咤激励する遺言でもあれば、新しいおやっさんの形を示せたと思うんですけどね。
序盤から何かと助言をしたり問いかける中年男性よりも背中を押してくれる可愛いヒロインの方が見栄えもいいし、テンポも良さそうなので要らないと見なされたのでしょうか。
それとも祖父や父親の立場が薄れるので断固入れるつもりはなかったのでしょうか。
『ドライブ』と『エグゼイド』ではおチャラけるばかりで主人公との絡みは少ない割に
ライダーに変身して話題性を持たせたおやっさんに、おやっさん自体を裏切り者の首謀者にしてしまった『ビルド』に続いて、とうとう「ヒロインだけでアジトを守るキャラは要らんやろ」としてしまったゼロワンは本当に初期『仮面ライダー』を意識しているのかと疑いたくなりますね。
不破の2号みや迅の見方を変えれば1号の誕生譚とも取れる構図なんかより、ストレートにおやっさん枠って大事だと思いますよ。
制作にはお父さんやお兄さん、他人であってもたよれるおじさんに大事に扱われた人がいないのでしょうか。
もっと言えば、おうちでは子供にどういうつもりで接しているのか疑わしいレベルです。
<やっぱり変だよ、飛電の人>
…とあれこれ書きましたが、AIなので考え方がおかしい其雄ヒューマギアは置いておくにしても、是之介って考えれば考えるほど気持ち悪いですね。
ウィルやワズを開発した後の次世代秘書ヒューマギアに可愛らしい女性容姿のイズを傍に置き、それを20歳を過ぎだ或人に遺しておくのですから。
しかも、死ぬ間際に、孫が芸人として売れていないと分かっていながら、自社製品で腹筋崩壊太郎を造り、或人の勤め先であるクスクスランドに派遣させて芸人を辞めさせようとした可能性すらありますからね(笑)
是之介は今のところ、回想やイズの記憶データでのみ登場しますが、自身の思考を反映させた祖父ヒューマギア…ないしは媒体は何であっても人工知能としての代わりの自分を造らないあたりもおかしい話です。
死後の自分自身は侵害させないで、亡き息子は造るのかと。
親としての気持ち悪さで言えば『新世紀エヴァンゲリオン』の碇ゲンドウを超えるのではないでしょうか。
気持ち悪いで言えば、良いシーン風を偽ってる或人と不破のやり取りも気持ち悪かったですねぇ。
「俺はZAIAの道具なんかじゃない!俺は…俺のルールで相手をぶっ潰す。それが…仮面ライダーバルカンだ!」
「その先にある不破さんの夢ってなんだ?」
「夢…?」
「俺はどんな時も夢を忘れずにいたい。だから…人とヒューマギアが一緒に笑える未来のために戦う。それが仮面ライダーゼロワンだ」
なんで急にここで夢の話になるんでしょうか?
いくらなんでも酷い本ですよ。
冬映画で夢を語るシーンがあったにしても唐突すぎますし、冬映画とリンクさせるならもっと早くにこの一連の回をやるべきです。
そうでないと映画の細かいシーンを忘れてる視聴者もいるのではないでしょうか?
ここで第1話の或人の夢について支配人と話すシーンを振り返ってみます。
「ほらね。みんな、笑って幸せになれる。そんな楽しい遊園地にすることが私の夢なんだ」
「気が合うなー。俺の夢も笑いを取ることなんで」
「君より笑い取れる奴、もういるから。別の夢、見つけなさーい」
支配人の言う通り、夢を切り替えたんでしょうか(笑)
それとも結局はなんだかんだでヒューマギアを笑わせることに固執しているとか?
じゃあ、だからこそ、お笑い芸人なんて寄り道せずに飛電社を継いどけよ!
しかし、「笑いを取ること」なんてざっくばらんとしていて雑な夢ですよね。
この程度で偉そうに夢を説いてくるんですか?
実際、気づいていないだけでもう不破は笑っているし、スマイルも営業スマイルもバンバン繰り出すどころかイズだって設定崩壊して時折もう人間らしくほくそ笑んでいるので、この夢が今後達成されたところでカタルシスがありません。
後々、不破に「俺も夢を見つけたぞ」と言わせたくてしょうがない匂いがプンプンするので、ファイズリスペクト説があるゼロワンですから、是非とも「俺の夢は世の中の洗濯物を全てぶっ潰すことだ」と或人のジャケットでも引きちぎりながら言ってもらいたいものですね(テキトー)
ではでは。
「迅のクソダサ衣装やファルコンキーとの浅すぎる絆で復活が上がらない」についてはまたいつか*3。