鎧武序盤のダンスバトルは正解だった?(仮面ライダーセイバー第4章「本を開いた、それ故に」感想)
メギドを倒したにも関わらず異変が元に戻らない。
息子のそらを心配する尾上に飛羽真が「そら君を必ず助ける」と約束する。
しかし、その言葉が逆に尾上の逆鱗に触れる。
「お前に、俺の!親の気持ちがわかるのか!」 それでも、絶対に約束は守ります、と言い残し出て行く飛羽真。
イライラがおさまらない尾上に賢人があることを告げる。
メギドの謎、そして人々はどこへ消えたのか。必死に考えを巡らせる飛羽真と倫太郎。
一方、責任を感じている芽衣はとんでもない行動に出る。
えー、今年何度目かの子供に大風邪を移されてしまいまして、文章を打つ余力がありませんでした。
元気な時に書いた下書きのような状態で更新させていただきますのでお許しいただければと思います。
不評だったダンスパートとモチーフの親和性
元々はダンスのチームバトルで陣地取りをするものではなく、カラーギャングの抗争の予定でした。
フォーゼでのクレームを踏まえ、子供向けであることを考慮し、粗暴な争い描写は避けられたのです。
しかし、それが結果的に良かったのではないかと今になって思えるんですね。
もし、カラーギャングが街の縄張りを賭けて果物が前面に出た錠前で戦うプロローグは成立させられるのでしょうか?
勿論、フルーツ錠前とダンスバトルによるポップで明るい雰囲気で始まったことでウィザードのシリアスな終わりとのギャップにガッカリして、もしくはフォーゼのようなノリを懸念し、離れて行ってしまった平成ライダーファンはいたと思いますが、仮に裏社会の抗争をシリアスに始めていても変身アイテムがこれでは締まらなかったと思います。
明るいトーンから入っていったからこそ、フルーツ錠前を視聴者に徐々に定着させ、最終的に「フルーツバスケット!」と変身ベルトが発する頃には似つかわしくないシリアス展開まで何とか馴染ませられたのではないでしょうか。
(逆に鎧武をあの辺りから見始めた人には極アームズは相当キツそう)
そして、セイバーの変身アイテムはふざけているのか、第4話で見てみると…
…ふざけていますね(笑)
15年前に大敗を期したソード・オブ・ロゴス自体はシリアスなノリですが、最初しか機能していないように思える絵本専用の本屋、締め切りよりも早く原稿を求める自己中ヒロインなどはコミカルです。
変身アイテムの本の内容は実在しない本ばかりですが、大塚明夫氏の音声も相まって重厚さがあり、ソード・オブ・ロゴスの過去と照らし合わせればバランスが取れてるように思います。
しかし、本屋周りのコミカルなノリとは合っていないように思うのです。
今回、『ビーター・パン』を大人の事情で言い換えた『ピーターファンタジスタ』をかなり特殊な使い方で使用したわけですが、公式も腹筋崩壊太郎の再来と称するように“ふざけ”が先行しています。
『ピーター・パン』自体は少年が体験する夢のようなお話なのでシリアスに寄っているというわけではないのですが、元のパロディみたいなライドブックのタイトルに、原作と関係のない筋肉妖精が来ると、『ゼロワン』のエセサブタイトルや特撮関係ない元ネタを散りばめたように現実味がどんどん薄れ、コントのようにしか見えないのです。
…制作もコントをやってるつもりのように感じますが。
前回の記事で、セイバーの変身アイテムはオーズ的な要素もあるとお話しさせて頂きました。
今回は言わば、初の変身スロットを全て使っい「オーズとはどう戦うのか?」を示したタトバ、また初の強化フォーム的見方であればガタキリバに相当すると思うのです。
ガタキリバは確かに圧倒的な分身数で、分身能力持ちのライダーを悠々越えて私たちに鮮烈な印象を与えてくれましたが、その印象と今回の筋肉妖精を横に並べられるのは確実に違うでしょう。
どちらかといえば、フォーゼやドライブで一通りレギュラー陣の紹介のエピソードを終えた後のネタ回、色物アイテムが繰り出すネタ能力です。
初の三冊挿しがこれでは先が思いやられるのですが、今後のシリアス展開と変身アイテムの趣向がどういう道筋を辿り、混ざり合っていくか注目すると面白いかもしれませんね。
戦う妖精さん
ご指摘も多い、他のスロットに挿さったブレイブドラゴンやヘッジホッグも関連がないどころか、相性に関してはブレイズの方が上だったはずですから、三冊ならなんでもいいという解釈になりかねかい気もします。
恐らく、3つの組み合わせでどうこうというよりは小学生の実験でやった単3電池を直列に並べた際にパワーが倍になってく理屈なのでしょうか。
バスター違いですが、『機動戦士ガンダムSEED』のバスターガンダムは背中のビームライフルとレールガンを縦に連結することで前方の銃にパワーを回すという設定がありましたね(どうでもいい)
実際のピーター・パンに対してセイバーの技はどうとか、そうして筋肉妖精になったのかなんて理屈、生きていく上で全く活きない考察です。
「ピーターパンを知らない そら は可哀想。本も読み聞かせてもらってない。」と指摘する感想も見ましたが、本から離れてしまっている子供たちに向いている作品でもありますし、尾上そらは等身大のモデルとして存在すべきキャラクターだと思います。
逆に「本を読んでもらって当たり前、ピーターパン知らないなんておかしい」というのも偏見な気がしますしね。
今時、ピーターパンを知るのは教育テレビやディズニー映画なんじゃないかと思えますし。
バスター
仮面ライダーバスターこと尾上亮は全く掘り下げられませんでした。
以前のブログで子連れ剣士は『子連れ狼』を彷彿させると申し上げましたが、主人公は一族を殺され復讐の旅をする拝(おがみ)一刀と息子 大五郎の物語であり、名字の読みが共通しているだけあって意識しているのは間違いないようです。
であれば、妻や血族を殺されたと推測できるのですが、そういう話が全くないため、未だに戦場へ子供を連れ回していた意図が分からないんですよね。
しかも、主人公を信用して敵キャラを自分が引き受ける始末。
賢人にお願いされ、飛羽真を信じてみようとする気持ちまでは理解出来なくもないのですが、飛羽真を狙う過去に剣士を血祭りにあげたことのある新敵デザストと そらくんの命に自身の渾身の一撃で倒せなかったハンザキメギドを天秤に賭け、新敵は自分が相手する方がいいと判断する思考が分からないんですよね。
行方不明なのは我が子ですよ?
デザストが他の剣士の遺品であろうライドブックを見せたことで、ソード・オブ・ロゴスは他にもいながらメギドとの戦いで命を落とすものもいたというのが示唆されました。
しかし、その辺の説明は組織内で一切説明がないため、倫太郎の代が末裔で、尾上亮が上の世代、詳細は謎ですが先代のセイバーや裏切りのカリバーがさらに上の代であることを説明不足から理解に至れない視聴者には組織図的な楽しみ方が出来ませんよね。
ましてや、その説明と共に そらくんが倫太郎より若い世代のライダーを担う流れも見せられるため、戦場へ連れていくことを「親の背中を見せることで戦い方を学ばせたい」という理由も付けられると思うのです。
「本の外に出るのは15年ぶりか。
どんな気分だ?」
「こっちは15年も歳取ってんだ!
ちょっとは手加減しやがれ!」
カリバーの言う通りデザストが15年ぶりに解放されたことと、尾上が弱音を吐いたセリフからどうやら面識があるような気もしますが、デザスト側が尾上と顔見知りの素振りを見せないため、よく分からないのです。
仮に、本当に顔見知りでデザストに数々の剣士が倒されたことを認識した上で尾上が飛羽真を送り出したとなると、あの粗暴で力でねじ伏せたがる尾上が殺された剣士たちの復讐心を燃やさずに冷静に戦えるのも解釈違いのような気がしてしまいます。
子供のことでは視野が狭くなり、味方ごと葬るいきおいで技を使うライダーが彼ですから。
というか、これだけ第1話から15年前の事件がチラチラと話に上がってきますが、一向に概要すら見えてきませんよね。
それが平成から脈々と続く大人も楽しめる仮面ライダーの作りといえばそれまでですが、あの『ゼロワン』ですら、デイブレイク事件について第4話で一部虚偽もありましたが、ざっくりと説明してくれたわけです。
今作の特徴として、子供向けであることを打ち出すならもう少し概要だけでも説明してくれていいような気もします。
ハンザキメギド×デザスト×カリバー
前回のブログで紹介した通り、サンショウウオが「沢山の人を食べて王になろうとする」…そんな伝説は存在しません(笑)
人食いオオサンショウウオを討伐した若者が一族全員呪われて死んだ、そういう話です。
再生したハンザキメギドが何故かパワーアップしていたことも説明なかったので、お決まりの再生する度に強くなるパターンなのか、その架空の伝説とやらで自分が王に近づいたからなのかよく分かりませんでした。
三冊挿しセイバーの相手にならなければならないので、敵を強化したい気持ちは分かるんですが、それにしても雑だったように思います。
初の三冊挿しセイバーでふざけてしまったことも問題ですが、相手のメギドの強化も雑で、デザスト分の尺が丸々要らなかったのかなぁと感じました。
土豪剣激土とジャッ君のベストマッチやストームイーグルのゲットが販促的に必要だったのは分かるので、バスターvsハンザキ再戦からの三冊セイバーのアシストでストームイーグルゲットで問題なかったように思います。
何人も剣士を倒した素振りでありながらせっかくの強敵デザストの登場があったわけですが、一刀両断の瞬殺で決着を付けてきたバスターにスピードで攻撃を加えるデザストが単に相性の問題にも見えてどこまで強いが判断が付きにくく、バスターが齢40手前で加齢による手加減を要求したりで強さだけでなく、宿敵という関係性もよく見えてきませんでした。
せっかくの人気声優投入の初陣とセイバー初の三冊挿しが噛み合わない構成も不思議で、デザスト投入はまだ先伸ばしにしてもよかったような気がします。
ただ、デザストの登場がこの回だったのはカリバーの登場がすぐ後に控えていたからであり、ここで一般メギドと一線を画す描写がないとデザストがカリバーの格下からの参戦になってしまうことを恐れての構成なのでしょう。
仮面ライダー3人に対して敵側も強敵3体であれば、面白くならないわけがないはずですが、誰もが誰をも引き立たせる顧とのないまま終わる展開に純粋に詰め込み方が上手くいっていないように感じました。
詰め込み過ぎと言えば、最近では1話完結構成でありながら、テンポの早さで煙に巻いて話の粗さについて考える間を与えなかった『ゼロワン』が記憶に新しいのですが、その煙に巻くことさえもしてくれない印象です。
妥当な対戦カードとしては
●強化ハンザキメギドvsバスター◯
△デザストvsセイバー(三冊)△
◯カリバー×ブレイズ●
ブレイズには申し訳ないですが、カリバーの圧倒的強さは倫太郎半殺しで表現してもらい、2冊で劣勢のデザスト戦は3冊挿しでようやく対等、バスターは超本気でハンザキメギドを倒して汚名返上も出来て良いのかなと思います。
ただ、エピソードとしては
「約束を果たす飛羽真」
「責任を果たす芽衣」
を必ず達成しないとエピソードとして終わりませんから、前回の記事で書いた第4話で描いてもらわないと不親切な「バスターの掘り下げ」と「謎の男(鍛冶屋)の説明」は捨てた感じのように思いますし、約束を果たすためにも本の楽しみは曖昧にしながら ハンザキメギドを倒して そらくんを助けなければならなったのだと思います。
カリバーの武器販促があるので、この回にチラ出ししておかないと間に合わないから詰め込むしかなかったということですかね。
制作が玩具の販売スケジュールに大分振り回されていますが、大丈夫なのでしょうか。
…力尽きました。
大体言いたいことは書いたんですが、まとめきれていないのはお許しいただきたいと思います。
ヒロインについても書きたかったなぁ…。
一刻も早くヒロイン軸でネオロマ系をやりなさい!(仮面ライダーセイバー第3章「父親で、剣士。」感想)
と、俺の嫁が言っていた…(倒置法)
ライオンに乗った青年の次に現れたのは空飛ぶ絨毯に乗った青年だった。
飛羽真に親しげに話しかけるその青年の名は富加宮(ふかみや)賢人。
賢人は飛羽真の幼なじみだった。
飛羽真が見る夢、15年前の出来事の何かを知っているのか・・・。
さらに異変に駆けつけた飛羽真と倫太郎の前に新たな剣士が現れる。
大剣を担ぎ豪快にメギドを一刀両断する土の剣士・仮面ライダーバスターこと尾上亮。
尾上はなんと子連れ剣士だった。
正式には“ネオロマンス系”。
いわゆる、女性向けをターゲットにした異性愛ものの恋愛ゲームを指します。
…おっと、どうやらこの話に興味がなさそうですね。
では、この話は記事の終わりに回しますので、気になる方は最後までお読み頂けたらと思います。
- 第3話の気になったところ
- エスパーダを変身させないのならじらしが足りない
- カリバーの正体隠したいのか隠したくないのか
- 意味深なだけの敵アジトパート
- 様子見たいところ
- 毛利氏のゲスト脚本で良くなったところ、悪いままのところ
- ちゃんと本を絡められる
- 飛羽真の決めセリフ
- 芽依の迷走キター!!(゚∀゚≡゚∀゚)
- やっぱりオーズ
- 怪人から分かること
- ライダーと戦隊の中間の怪人?
- 本と関係あんのかハンザキさんよぉ
- 厨二が喜びそうなメギドの提案
- 再生怪人の大安売り
- 子育て王バスター
- ヒロイン軸でネオロマ系
- リュウソウういちゃんのリベンジ
- 依存した前作ヒロインへのカウンター
- 逆ハーならトラブルメーカーもOK
- 男にも面白いぞ逆ハー
- 主役のスキャンダルも耐えうる
- BL寄りにして脇キャラに降格でも良い
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セイバーは実験的仮面ライダー作品じゃない、実験的戦隊作品だ(仮面ライダーセイバー第2話「水の剣士、青いライオンとともに。」 感想)
聖剣・火炎剣烈火を手にし、異変から街を救った飛羽真だったが、剣と本、不思議な世界など謎が深まるばかりだった。
そんな飛羽真の前に現れたのは、古より“力を持つ本”(ワンダーライドブック)を守ってきた組織・ソード・オブ・ロゴスの剣士・新堂倫太郎だった。
彼に導かれて訪れた組織の本部・ノーザンベースで飛羽真は驚くべき事実を知る。
ボンヌレクチュール!…で合ってます?
主人公の目的がぼんやりしていること、倫太郎の育ちが違うキャラ付け押し、メインヒロインの光らなさ、タッセルのウケなさと心配していたことが心配通りになった第2話。
いかがだったでしょうか。(倫太郎は心配事ではありませんが)
最後の最後で倫理観とAI論が明後日に飛んで行った『ゼロワン』も記憶に新しいところかと思いますが、仕切り直し的に始まった『セイバー』をどのような姿勢で望むべきが第1話ではまだ定まらない自分がいました。
ついつい平成の延長として令和ライダーを見ようとしてしまい、方向性というものを掴むための視聴になったように思います。
私は放送始まってから『セイバー』のキービジュアルをちゃんと見て知ったのですが、五色の5人ライダーなんですね!!!(遅い)
「戦隊ライダーをやる気か」なんて声が上がっていたのはエンディングのダンスのせいかと思っていた手前、なかなかな戦隊っぷりに今更ながら面を食らったわけです。
手前3人がレギュラーにしたって、赤青黄色でもろ戦隊のフォーマットじゃあないですか(すごく遅い)。
はてさて、私のクウガからリアタイ視聴が始まった仮面ライダー人生にも「戦隊ライダー」と呼ばれていたシリーズは記憶にあります。
それは龍騎の前情報でかなりのライダーが出るのが判明した時。
そしてエグゼイド序盤、ドラゴナイトハンターZを使い、4人の戦士が力を合わせてドラドを倒した時でした。
(私の周囲だけの話かもしれませんが)
では、セイバーは実験的に再びライダーを戦隊に寄せてみよういう発想の元作られたのか?とも思ったのですが、なんでもアリでここまで走ってきたライダーが前例があるように戦隊っぽくやることにそこまで意外性が無いように思うんですよね。
そして、ふと、こんな考えが湧いてきたんです。
これは「戦隊で試しにくいことを試みるライダー」なんじゃないかと。
仮面ライダーは様々な挑戦をしてきた分、倫理観さえ保てていれば見てくれから何から寛容に受け止めてもらえがちなのに対して、戦隊は戦隊なりのフォーマットを崩しすぎると横から言われてしまう、崩しにくい印象があると思うのです。
戦隊ものシリーズ内で2つのスーパー戦隊をもうけてVSモノにしたり、5人の基本人数を大きく上回り大人数戦隊を用意したりと様々な角度から新しい挑戦はしていますが、フォーマットに乗っ取った中で内側ギリギリを攻めているような感じというか。
そこで一肌脱げるのが意外性で平成を生き抜いた仮面ライダーシリーズではないのでしょうか。
制作の意識はそうでなくても、そういうつもりで見ると違った楽しみ方が出る作品だと思います。
- 実験的戦隊の側面
- 1.女性のいない5人チーム
- 大幅に異なるコスチュームと武器のデザイン
- チームの集合を丁寧に
- 踊らす気のないEDテーマ
- 実験的ライダーの側面
- 肯定ライダーチームの“再”確立
- エグゼイド+1,フォーゼ-1
- 子持ち戦士はどちらの実験的試み?
- パイロット版が終わり、セイバーに望むこと
パイロット版と初デートは100点を取りに行け(仮面ライダーセイバー第1話「はじめに、炎の剣士あり。」感想)
と、言っていた、お婆ちゃんがな。(倒置法)
続かないかもしれませんが、私なりに思うところが多かったのでセイバーも感想を書いてみることにしました。
仮面ライダーは子供向けの番組であり、大人がやんや横から言うものではないというのは理解しつつ、このブログのモットーを「大人げなく殴り書くこと」に設定してしまったので、本来、初回に対して寛容に見て良いところを酷く厳しい見方で書いております。
ご容赦下さい。
腐食していく街。
正体不明の剣士と怪人との戦い。
そして消える少女。
必死に手を伸ばす幼き日の自分。
手には不思議な本――――小説家の神山飛羽真は15年前から同じ夢を見ている。
成長した自分の手には夢に出てきた赤い本がある。
ただの夢とは思えない不思議な夢。
何か大事なものを失くしているのではないかという喪失感。
そんな中、飛羽真は異変に巻き込まれる。
その異変の中で、聖剣と出会い運命が大きく動き出す。
記事のタイトルにも付けました通り、パイロット版、いわゆるそのシリーズのフォーマットにもなる第1話は、まるで愛しいあの子と次のデートに繋がるように100点で演出しなければならない初めての共有時間だと思うのです。
口説かれる側の女子は、すなわち視聴者こと現実世界の仮面ライダーに夢中な私たちであり、野球部員に言い寄られるととりあえずは一回デートしちゃう野球部フェチと言ったところでしょうか。
その野球部フェチ…もとい仮面ライダーフェチの私たちにとって『仮面ライダーセイバー』はどう映されるべきだったのでしょう。
面白ければ良いのか、伸び代が感じられたら良いのか、仮面ライダーらしさがあれば良いのか。
『ゼロワン』を酷く批評してきた当ブログですが、そんなゼロワンに比べてセイバーはどうだったのかを踏まえつつ考えてみたいと思います。
- 世界観を出し惜しめ
- メインキャラはとりあえず悪いヤツじゃないぐらいでいい
- ゲスト…キャラ…?
- 力みすぎた怪人との問答
- EDダンスって要る?
- 心配なフォーマット
- セイバー1話を見逃がして見ようか迷ってる君へ
こうすればマシな最終回になったんじゃね?(仮面ライダーゼロワン第45話最終回「ソレゾレの未来図」感想)
或人と滅の戦いは、人類とヒューマギアの全面戦争を意味していた。
にもかかわらず、或人が選んだ結論は滅との直接対決だった。
アークの力を手に入れた滅は、或人を倒すために変身する。
それを迎え撃つのは、同じアークの力を持つ或人、仮面ライダーアークワンで―――。
- ①向かわせる相手が悪い
- ②アークドライバーとデモを連動させろ
- ③滅に罰を
- ④前のイズに戻そうとしない
- ⑤サイエンスファンタジーにしすぎない
- ⑥無理矢理な仮面ライダーゼロワンは必要?
- ⑦それらを踏まえて
①向かわせる相手が悪い
データ内でそれぞれのキャラクターが関わりのあるキャラクターと邂逅しましたが、
或人←其雄、イズ
滅←誰も来ず
アズ←迅
この組み合わせがそこまで面白くないものだと思いました。
あまりにも或人びいき、かつ、アズ関連で大したカタルシスもないので
或人←其雄
滅←迅
アズ←イズ
の組み合わせにすべきだったと思います。
ここはイズを或人に寄り添わせたいのをぐっと我慢して、陰と陽の対戦カードを設けて偽者のアズを本物が論破する方がドラマとしてもカタルシスがあって効果的ですよね。
折角、迅を意識だけでも復元したのに滅の元に向かわせない、アズとのレスバに勝ったところで迅の思い入れる滅に大して良いことがないぐらいなら、滅の元に迅を向かわせるべきでしょう。
そもそも、イズは復元できず、迅は復元できるという設定上、或人と滅の最終決戦に賭ける思いは偏りがあります。
そこは素直に認めて迅を向かわせるんでいいと思うんですよね。
正直、自称「ヒューマギアの救世主」は復元されて何が良かったのか分からない作りでした。
②アークドライバーとデモを連動させろ
大枠の問題としては或人と滅の対決が私怨によるもので、デモとの関係性が乖離していたことです。
コロナのせいで尺が足りなかった、最終回に詰め込んだら尺が足りなかった…制作のいいわけはなんでもいいんですが、或人が滅を倒してすぐに数日後まで経過させてしまうのはデモをどうやって治めたのが全く分からないのは問題です。
であれば、「アークワンドライバーは周囲のヒューマギアの悪意を増長させ、さらにアーク系のドライバーが起動することで範囲は広がり、人間の悪意にも干渉させる」という設定があると円滑にアークスコーピオンの撃破とデモの沈静化がニコイチになって繋がるのです。
イズを死なせた悲しみで闇堕ちした或人の悪意、もとい悲しみを、加工されていない、純粋で雑じり気のないモノとして描写したい制作の意図は分かります。
しかし、アーク系のドライバーは呪いのベルトとし、所有者の意志に逆えてしまうぐらい効果を持たせた方がアズの計画も見えて来ますし、何よりここまでで或人の社長としてあるまじきイズへの特別待遇であったり、一年間の成長が無いよう見えたりと映りすぎてはゼロワンを信じるマズいのでそれらを緩和するためにも「付け入る隙があった」ことにする方が良いと思います。
③滅に罰を
滅亡迅雷.netは序盤から多くの破壊行為を行ってきました。
特定のキャラクターのエピソードを挙げなくとも、思い当たることと思います。
或人に今回、滅への復讐を果たさないという展開にしたいのであれば、それを変更する必要はありません。
「…人類でもない。滅ぶべきは…」と語る滅に最期は自害させてやればいいのです。
少なくとも何の贖罪もなしに、これからは新たな滅亡迅雷となって世の悪意を見張るというのは話が良すぎてしまうので、自らの罪を“滅”ぼさせてあげるのはどうでしょう。
迅の意識が復活するとあれば、或人や滅と同様に迅にも悲しい思いをさせることになりますが、或人が倒さないことで復讐の連鎖という悪意には繋がりません。
肉体を失った滅と迅で、イズとのレスバに負けたアズの内に侵入し、アークドライバーのデータを破壊し、滅は霧化、迅は刃のPCへ戻っていけば、デモだけでなくアークの脅威もひとまずは去ったことになると思います。
新たな滅亡迅雷も自称「ヒューマギアの救世主」を語った迅に任せ、(出来れば名を改めて)AIMSと協力体制を取ることで世のために動く決意を見せれば、彼らの罪もやっと払しょくできるところまで来ると思うのです。
自害した滅は衣装を変えてそのまま復活するのではなく、似たルックスのヒューマギアが迅の弟、もしくは迅の子供として滅亡迅雷に加入するという流れなら滅ファンの滅ロスも緩和させつつ、滅亡迅雷の体裁も欠番なく保てると思います。
雷はともかく、亡は滅と共にあると宣言した割にAIMSに加入するというのは少し不自然のように思いました。
また滅がいなくなったことで、AIMSに活かせる場所を見つけるのもまだスムーズのように思います。
④前のイズに戻そうとしない
これは多くネットで言われていることですが、同じことをラーニングさせてイズに戻そうとする或人は今まで提示してきた倫理観を否定するように感じさせてしまうでしょう。
そうなれば、イズではない秘書を任命して新しく1から覚えさせていくのが得策です。
しかし、イズファンのイズロスを回避させるためにもどうしてもイズの容姿が必要なんだとするのであれば、前のイズから遺言のようなものを遺させておいて、「生まれ変わっても或人様の傍で、夢を叶える姿を見守っていたい」というメッセージがあったと描写すれば、或人の倫理観を疑わずに同じ容姿のまま復元が出来ると思います。
とにかく、1クール目のセイネ回で「本人の許可なく再現しようとするのは違法、倫理観無視」という考え方を提示したのですから、ここに来てそれに沿わない展開を見せるのは不誠実です。
⑤サイエンスファンタジーにしすぎない
今回、突然現れた其雄ヒューマギアやイズ、ゼロワンドライバーにリアライズプログライズキーと視聴者をエモがらせたい狙いは分かるのですが、全く理屈の分からないことだらけでした。
ゼロワンの当初はリアル路線の信じがたいが可能なサイエンスフィクション寄りの傾向がありましたが、ゼロツードライバー精製辺りから、サイエンスファンタジーに傾いてきました。
それではAIの監修を入れる意味がありません。
マギアはラテン語で魔法を意味しますが、原動力は得体の知れない魔力でなく、電力のはずです。
『ウィザード』のように魔力どうこうで涙がインフィニティーリングに変わるならそこまで気に止まることはないですが、ゼア内にいた謎の其雄ヒューマギアが渡してきたゼロワンドライバーが実体化し、ライジングホッパープログライズキーがリアライジングホッパープログライズキーに進化するのは何かしらの理由があって、その理由に奇跡や起死回生のチャンスを感じて燃えるんじゃないんですかね。
イズの涙とセントラルメモリーが形状変わってプログライズキーになるところからキツかったですが、それを最終回でもやって、しかも押しきろうとする姿勢にまたも制作の不誠実さを感じた次第です。
復元できないはずの其雄ヒューマギアにイズまで現れてしまうということは「ゼロワン計画のヒューマギアは復元できない」を揺るがすシーンになってしまうため、何故、あそこに彼らがいたか説明しないと、後々の「イズは見た目しか再現できなかった」という流れに説得力がなくなり、見る側にノイズを生んでしまいます。
片や、アズのデータ内では意識だけ蘇った迅が現れるので、あっちで良い話してる風の時にも「結局、この状態どういうこと?」が頭に残ってしまうのです。
例えば、其雄ヒューマギアに「様々なゼロワン計画のデータに残っていた僅かな自身のデータの断片を一時的に組み合わせることで疑似再現したもので、すぐにエラーとして消去されるだろう。人間で言うところの残留思念…幽霊みたいなもの」などと説明させたりするなど、スピリチュアル風でもSFっぽく理屈付けようはいくらでもあると思うんですよ。
⑥無理矢理な仮面ライダーゼロワンは必要?
理屈がおかしい話でいえば、ゼロワンに変身することもそうで、何故ゼロツーでは戦わなかったのかということになります。
逆に言えば、何故、ゼロツー最後の相手が受けの姿勢でオルトロスバルカンだったのかということにもなりますが。
謎にスペアがあったゼロワンドライバーもそうですが、単に視聴者ウケが良いから基本フォームに戻しただけというのを其雄ヒューマギアとの感動の再会に濁して煙に巻いたってことですよ。
確かに最終回に基本フォームになることは燃える展開かもしれませんが、それにはそれなりのロジックが必要だと思います。
最強フォームが封じられたとか雑魚相手に余裕こいた辺りが近年でよく見る理屈でしょうか。
しかし、ゼロワンにはゼロツードライバーがフツーに存在し、相手もそれなりに強敵ではわざわざ使いにいく必要性が見いだせません。
ただ、ゼロツー用に「お前を倒れるのはただ一人、俺だ!」のゼロワンと“only one”をかけた決め台詞に代わるモノも用意できていませんし、ゼロツーが戦う中で「ZERO…ONE…ZERO…ONE…」と主題歌がかかるのもダサいと思うので、ゼロワンにならざるをえないのかもしれませんね。
(ゼロツードライバーにリアライジングホッパー挿してV3オマージュのゼロスリーとか言い出しそう)
⑦それらを踏まえて
こう変えると多少マシな最終回になったのではないでしょうか。
・アーク系ドライバーが周囲のヒューマギアや人の悪感情を増幅させる話を山ちゃんにナレ入れてもらう。(最終回で山ちゃん使わないって何?)
・其雄ヒューマギアに自身が今、存在する説明をさせる。
・其雄の成長したな構文を分かりやすい文章に変えるのは勿論のこと、怒り云々のくだりでベローサマギア戦やビンゴを煽られて撃破されたところなど、或人が激高している回想を入れて、怒り感情に任せがちな印象を見ている側により持たせる。そのことが、後々で滅を殺さず倒したシーンで1話の勢いで中のヒューマギアごと倒したところの対比になる。
・其雄と近い理由で復活したイズはアズのデータ内でレスバし、勝利する。
・或人はアークワンで倒されるとこまでは同じ。ただイズは或人の傍に来ないし、ゼロワンではなく、ゼロツーでアークスコーピオンに挑む。
・滅が或人に負けたところで、デモをしていたヒューマギアが素面に。
・意識が復活した迅を感じた滅は迅の存在に安堵するも、自分を生かした或人、人類に対して罪を精算するために自害することを詫び、実行する。
・レスバにも負け、二人の闇堕ち失敗を見届けたアズの元(データ内)に滅も現れ、内部からアークドライバー関連のデータを破壊。
・滅が消えゆくイズに自分にも心があったことを詫びる。
・滅の存在を追って復活した迅もやってくる。イズが迅に「生まれ変わっても、或人社長の傍で夢を叶える手助けをしたい」と或人への伝言を頼み、消滅。
・滅はイズの伝言に共感を見せつつ、「また一緒にいてほしい」と願う迅に「大罪を犯した自分にその資格はない。」と告げ、消滅する。
・数日後、イズの読み込まないプログライズキーを見つめる或人の元に復活した迅が伝言を告げに来る。
※ここから先はチラ裏のSSみたいな提案になりますので、お気分が優れない方、チラ裏のSSでアレルギー反応がある方はさうざーの画まですっ飛ばしてお読みください。
・亡、飛電社入社
ロケットを見つめ、弟の名を呟く雷を「ブラザーコンプレックスというヤツだな。」と からかう亡の姿があった。
亡は飛電社のエンジニアとして雇用された。
「うるせえ!しかし、お前が飛電インテリジェンスに入るとはな」と雷。
「滅を失った今、私の夢はなくなってしまったからな。ただ、仲間たちのこれからを守っていきたい。だから、飛電に入って人間たちが間違いを起こさないように監視していくつもりだ」と亡が返す。
「そういや、迅から新しくなった滅亡迅雷について聞いたか?」
「あぁ、『ヒューマギアが笑って過ごせる未来のため、この世の悪意と戦う』か。召集がかかればお前も行くのだろう?」
「そん時はまあ、そうかもなぁ…。」
「あまり、弟を心配させるなよ。」
・不破のエピローグを変えて、もう少し自然に
「今、暴走した車がそちらに向かっている!このまま市街地に入るのはまずい!遠隔でブレーキをかける!フォローを頼めるか!」
猛スピードで走る自動運転のセダン、それを追うAIMSのワゴン車の中でパソコンを操作しながら刃は吠えていた。
物凄い勢いでタイピングをし続ける刃が最後のボタンを力強く押す。
「…ブレーキ、作動!」
急回転していたセダンの前輪が止まり、けたたましい音を立てながらスピン。
道路脇の公園へと突っ込んでいく。
公園には保育士ヒューマギアと園児が何人かで遊んでいた。
逃げ遅れた1人の子どもの前にセダンの車体がドリフトするかのように横移動しながら迫っていく。
いち早く察知した保育士ヒューマギアが子供の前に立ちはだかった。
いくらヒューマギアといえど、この勢いを真正面から受け止めて無傷で済むわけはないが、園児を捨て身でも守ろうとするプログラムよりも早く、咄嗟に身体が先に動いていたようだった。
ヒューマギアの中で状況処理が追い付く間もないまま、すぐ目の前まで近づいたはずのセダンが瞬時に遠退いていく。
セダンが飛んで行ったのではなく、自分が意に反して自分自身が飛んでいることに理解できたのは、地に足が付き、セダンが何かにぶつかって大きな衝撃音を上げた後だった。
人のように息を荒げるヒューマギアの肩を抱き、「大丈夫?」と声をかけたのは迅。
ヒューマギアは迅によって助けられた。
ヒューマギアは迅の問いかけに答えることなく、状況を把握しようと辺りを見渡す。
道路に面した一部崩れた生垣、タイヤでえぐれた公園の土、その先には街灯に衝突し、煙を上げるセダンがあった。
セダンの手前、子供が立っていた位置に一足だけ履いていた靴が落ちている。
「○○ちゃーん!(子供の名前)」
ヒューマギアは思わず感情的になって大声を上げると、目とモジュールの光が青から赤へと色を変えた。
「…ちょ…ちょっと、待ってって!」
慌てる迅の言葉を遮るように別の声がした。
「この子は無事だ。」
保育士ヒューマギアの死角に立っていた滅に顔立ちに似ている青年…迅と同じ型のヒューマギアが子供を抱えながら声をかける。
「驚いて心拍数は上昇しているが、外傷はない。衝撃で首や内臓を痛めないように抱えた。安心していい。」
滅に似たヒューマギアはそう続けると保育士ヒューマギアの傍らに子供を下ろした。
保育士ヒューマギアは赤から青へ光の色を戻すと、まるで泣いているかのような表情を見せ、震える子供を強く抱きしめる。
それを嬉しそうに見つめる迅。
「あとは車の中の人だね…。」
前方部分が歪んみ、煙を帯びている車に目をやると、そこへ駆け寄っていく不破が見えた。
以降は途中まで不破のTV本編とほぼ同じ展開。
ただし、ライダーと名乗る奇怪な台詞は無し。
公園に横付けしたワゴンから刃と隊員が飛び出してくる。
隊員は車へと向かい、不破が車から救出し、肩に担いだ女性を引き取る。
刃は近くにいた迅に話しかける。
「協力、感謝する。」
「こっちの二人は無事だよ。あっちの人も大丈夫そうだね。」
無表情で佇む滅に似たヒューマギアとは対照的にニコニコしながら迅が答える。
「全く…。」
一瞬、緊張が解いたような顔を見せた刃だったが、目線の先の不破を見つけると呆れかえり、また声を荒げた。
「不破!お前、また無線を盗聴したな!」
怒鳴られて少しおののいた不破であったが、すぐに「うるせえ、大体お前たちが車暴走事件の犯人を捕まえてればなぁ!」と、食って掛かるように怒鳴り返しながら刃へと近づいていく。
「分かっている、今もこうして犯人を捜査しながら事件を防ごうと努めているところだ!」
詰め寄る刃は負けじと返す。
「しかし、多発する暴走事件にAIMSの人手が足らないのも問題なんだ。今までの行いは全て不問にしてやる。戻ってこないか?」
続ける刃の予想外の問いかけに、不破は言葉に詰まる。
「飛電の社長も言っていたろ?心が強い者こそ仮面ライダーなんだ。お前は今でも立派な仮面ライダーだ。戻ってこい、バルカン。」
眉間に皺を寄せていた刃は表情を緩ませる。
不破もまんざらではなさそうに口を開いて何かを言いかけたその時。
ドンッ
煙を上げていたセダンのボンネットが突然、小爆発を起こす。
刃は再び眉間に皺を寄せ、耳の無線機に手を添え、声を上げる。
「総員、周囲の市民を避難させろ!」
再び慌ただしく動き出す刃と不破を見つめながら、滅に似たヒューマギアが呟く。
「父上、どうしてあの隊長は通信のセキュリティコードを変えないんだ?」
それを聞いた迅はプッと吹き出し、答える。
「あぁー…、××(滅に似たヒューマギアの名)、持つと大変なんだよ、心って」
・新しいイズを受け入れる或人
「大丈夫!どれだけ時間がかかっても…教えるから。俺たちの思い出も…夢も…心も…」を言う手前までTV本編と同じ。
シェスタの「元通りのイズに育てるってことですか?」の問いに、或人は「いや」と答え、イズの最期の伝言「生まれ変わっても~」の回想とお墓にイズの名が足されているカットを入れる。
「この子の人生はこの子のものだから。」
「それでいいんですか?」と福添、もしくは山下。
「イズのように成長するか、新しいイズになるのかはこの子の自由だよ。」と或人が笑顔で返す。
「…ただし、俺の100兆個のギャグは教えちゃうけどね!!」…と、続けなくても全然いいか。寒いし。
あと、キモいので「ラーニングの時間だ」の台詞は省いて、ゼアの中には入らずで同じやり取りをして終わり。
ここでゼアに入って二人だけの世界で「或人じゃないと」を言わせる構成がヒーローモノなのに、世の中の一大事よりもボーイ・ミーツガールに偏りすぎてる感じがゼロワンの悪いところだと思いました。
・垓は知らん
…こんな感じで終えたら、ゼロワンの印象も最後で少しは良くなったかなと思います。
お恥ずかしながらの不破のエピローグを入れるほどの尺はなさそうなので、前話から滅vs或人が始まってほしいというところですかね。
もう一回、ゼロワンの総括を書く予定ですが、もう終わった作品に自分自身が関心を持たなくなりそうなので書かないかもしれません(笑)
かといって、セイバーにも強い関心がないので感想記事は書かないかもしれません。。。
また近々、このブログでお会い出来たら嬉しいのですが、これっきりの更新になった時はお許しいただきたく思います。
読んでいただきありがとうございました。
だって俺たち“闇堕ち”詐欺ライダーだろ?(仮面ライダーゼロワン第44話「オマエを止められるのはただひとり」感想)
アークワンとなった或人の復讐の犠牲になったのは、滅ではなく迅だった。
迅を失った悲しみによって増幅した悪意は、滅の中にもアークを生み出してしまうのだろうか。
もし或人と滅が再び戦うことになれば、人間とヒューマギアの全面戦争に発展しかねない。
諌をはじめとした仮面ライダーたち、そして飛電インテリジェンスの人々が、或人を止めるために動きだす!
- <闇堕ちとは(続き)>
- <或人と滅の因縁が少ない>
- <ゼロワン世界の“仮面ライダー”とは>
- <其雄ヒューマギアって存在しちゃって良かったの?>
- <Oh,ジャパニーズオルトロス!>
- <福添を説得できるのはただ一人…アイだ!>
- <擁護派の言う想定力、読解力とは>
- <雑感>
<闇堕ちとは(続き)>
2話前には大森上がりしました闇堕ち…あぁ、「大盛り上がり」でしたか…失敬失敬。
そんな大盛り上がりの闇堕ち展開でしたが、本当に闇堕ちだったのか疑わしいものです。
そう思えた点は
・滅以外は不殺を決め込む或人
・ヒューマギアに責められ逃げ出す或人
・ゼロツーと使い分けられる理性ある或人
・不破の犠牲で改心しない或人
と言ったところですかね。
闇堕ちした以上は、見境無く、行き過ぎた正義を振りかざし、徹底的に悪の力を酷使、故意に命を奪う犠牲者の一人や二人出して当たり前。
或人のように使い分けるなら裏の顔としてバレずに狡猾に復讐を遂げようとする
それが闇堕ちってもんですよ。
え?
「日曜朝にそんな展開は相応しくないから仕方ないだろ」?
…はぁ(馬鹿デカため息)
じゃあ、やりきれないなら初めっから闇堕ち展開に手を出すんじゃねえよ&盛り上がってんじゃねえぞって話になりません?
例えるなら、ニチアサだからターゲットを考慮して子供のために ほしのおうじさまカレーを出してきたのに「これは本格的なインドカレー!攻めてる!」と感心してヲタクが恥かきましたって話ですよね?
情状酌量の余地のある闇堕ちなんて、主人公として、ただの「格落ち」展開の間違いだと思いますけど。
或人も不破の脳内チップを無効化なんて甘いんですよ、不破とは言わないまでも垓の首の骨ぐらいへし折ったらどうなんですか?
迅のような急に庇い来たキャラを殺めてしまう不可抗力展開なんて闇堕ち行為としては激弱ですよねー。
しかも、一度しっかり仕留めている相手をもう一度撃破することに過ちを犯す感も薄く、2度に渡って蘇らせられるとなれば、味がするわけありません。
せめて、殺るなら蘇らせられない人間の、非戦闘キャラがベストです。
滅なんて、闇堕ちしようが鍔のない刀もお飾りで人の一人も斬りゃしないですし。
100歩譲って、生温い闇堕ちでもいいとしましょう。
ならば、堕ちるキャラがしっかり誠実なキャラにすれば、堕ちていく振り幅も大きくなるはずですが、肝心の或人って元々「闇堕ちしそうな考えが甘い不誠実キャラ」なんですもん。
これらの甘っちょろさは全て、改心した後を想定してあまりにも社長の立場や滅が社会に溶け込むようなことがあった時に状況が悪くならないための保険に過ぎません。
大して周囲を巻き込まずに或人と滅の生温い復讐劇が繰り広げられたせいで、デモ行進を尻目に私怨で戦ってる構図になってしまってますよね。
滅も或人待ちしてないで、デモに先人切って突き進んでくれる者こそリーダーのように思いますし。
こんなんなら闇堕ち展開なんて必要なかったんですよ。
もっと人間とヒューマギアの善悪を相対化して、どちらにも言い分はあることを、注意を払いながら描写できればヒューマギアのデモだってお飾りの雰囲気デモにならなかったはずです。
<或人と滅の因縁が少ない>
この聖戦とやらが2人の私怨にしか見えないと述べましたが、闇堕ちにするにはもっと二人に因縁を持たせるべきだったように思います。
『仮面ライダーゴースト』では一見、眼魔世界の長アデルと主人公タケルの間に因縁はないように思えましたが、タケルの父 天空寺龍を殺したのはアデルということが判明し、二人の間に因縁という運命的なドラマが生まれました。*1
一方、或人と滅との因縁ですが、最初は滅亡迅雷が引き起こしたヒューマギアの暴走で多くの友を失った不破に滅との因縁あったように思います。
それも記憶の改竄により、無くなってしまうんですけどね。
『仮面ライダードライブ』では最終決戦に事の発端であり極悪非道な蛮野に対して主人公の泊進之介をぶつけるのではなく、彼の実の息子である霧島剛を当てたのが印象的です。
逆に泊は序盤から立ちはだかってきた好敵手 ハートとのラストバトルで締め括ることで“因縁”という観点から良い対戦カードを用意できたと思います。
では、或人の好敵手とは誰だったのかと考えてみると満場一致でこのキャラだと言う人物はいないんじゃないでしょうか。
迅は1クール目の終わりに、垓は3クール目の初めに一応の決着をつけたので消去法的に決着をつけていない滅が残ったという程度でしょう。
本来、或人に因縁深かったのは垓です。
あの爆風の原因で失った其雄ヒューマギアの仇はアークを作り出した彼のはずです。
…ただ、メタ的にはプロデューサーの中で大きな因縁が用意されています。
俳優部といえば、次回はゼロワンと滅の最終決戦。
そう、令和の仮面ライダーを引き継いだ縄田さんと、ミスター平成ライダーこと高岩さんの真っ向対決です。
一瞬も見逃さないでください。
1年前から想い描いてきたこの最終決戦を、杉原監督と渡辺アクション監督が予測を上回る見事な演出で描き切っています。
最後です。
俳優たちの芝居と、熱い熱いアクションを、ぜひご覧ください。
つまり、行き当たりばったりに思えた『ゼロワン』の中で平成の主役ライダーのほとんどを務めた高岩氏を最終回で縄田氏にぶつけることだけは計画通りだったということになります。
さらにツイッターで見かけた解釈ではこんなものもありました。
アーク滅の変身音に
「The conclusion ofter evil climbs the top of the highest mountain of rock.」
というフレーズがあり、和訳すると「最も高い岩の山の頂点を越えた悪の先にある結論」となります。
後半の「悪の先にある結論」は物語に関わることですが、前半は「アーク滅を”高岩成二の頂点“としているのではないか」ということなんです。
「岩山」にしたいのであれば本来”rocky mountain“と表記するのがネイティブで、”mountain of rock”とするのは いかにも意図して強調しているように感じます。
平成ライダーの頂点、高岩氏を最終回にぶつけることで令和ライダーのこれからを暗示したいというところかと思いますが…
そういうメタは劇場版でやればよくないですか?
というか、それ冬の1型の時にやりませんでした?
そして、001の前に立ちはだかるのは、其雄(演:山本耕史さん)が変身する仮面ライダー1型です。
こちらを演じてくださったのは、、、レジェンド"高岩成二さん!!!
其雄は「サイクロンライザー」で仮面ライダー1型に変身します。
001と同様にメカニカルなデザインではありますが、青緑のボディに深紅の襟はどこか懐かしさを感じます。
そして、今作の最大の見せ場の一つが、001と1型のバトルシーンです!
其雄と或人、父と子が相見えるこの戦い。
そしてそれは、高岩さんと縄田さんとの戦いでもあります。
平成から令和へ。
元号の変わった今だからこそ出来る、ミスター平成ライダー高岩成二と、その意志を託された縄田雄哉の熱き競演にご注目ください。
厳密に言えば、今回の「高岩を越えて行け」というニュアンスに対して、冬の劇場版はゼロワンの敵に1型やアナザーゼロワン、アナザー1号などを用意することで「“1号”の伝承」のようなメッセージが込められていたと言い逃れできなくもないのかもしれません。
だからと言って、TVシリーズにそんなメタを匂わせるメッセージが、必要性があったのでしょうか?
…ありませんよね。
ジオウの世界観に感化されちゃったんでしょうかね。
せめて、飛電家三世代の話だったのですから、昭和・平成・令和と3つの元号にも続いたライダー伝に置き換えることが出来ないこともなかったでしょうに、扱ったテーマはAIにお仕事、夢を持つことの重要性ぐらいなもんで、シリーズとしての継承、新しい門出という意味合いはなかったはずです。
せめて、AIを信用しない古い考えの政治家、人間だけの力でなんとかしようとする保守的な古い考えのキャラを尻目に飛躍し続ける若者たちなどを描ければ「世代交代」として平成ライダーから令和ライダーに託す意味合いも物語に生まれるじゃないですか。
<ゼロワン世界の“仮面ライダー”とは>
次回予告のこのセリフを聞いた時、開いた口が塞がりませんでした。
恐らくここで指すライダーと言うのはゼロワン内での定義されたものだと思うのですが、唐突すぎてまるでメタ的な意味合いに感じてしまいましたよね。
ところで、第44話の終わりに登場したゼアの中の其雄ヒューマギアは或人に何を語ったのでしょう。
(語りを見せずに次回へ引っ張るのもズルい作り、最近、こんなのばっかじゃないですか?)
恐らく、ライダーシステムを開発した張本人の口から「仮面ライダーとは」を語られると思うのです。
…というのも、過去に主要キャラなりのライダーを25話で語るシーンがありました。
垓
「人類を脅かす恐怖に立ち向かう人類最強の兵器。
それが仮面ライダーです。」
不破
「俺は…俺のルールで相手をぶっ潰す。
それが…仮面ライダーバルカンだ!」
或人
「人とヒューマギアが一緒に笑える未来のために戦う。
それが仮面ライダーゼロワンだ。」
迅
「人間からヒューマギアを解放して自由を与える。
それが僕、仮面ライダー迅だ。」
垓は問題外としても、てんでバラバラです。
そもそも、最初に「仮面ライダー」という言葉が出てきたのは不破がバルカンに初めて変身した時で、作品内に仮面ライダーという言葉がキャラクター全員に定着していたのか怪しいぐらいです。
私にはとても定着してない、単語が出る時はいつもわざとらしく名前を出してきたとさえ思えました。
滅に関しては自身の仮面ライダーの定義を語ることはなかったので、恐らく、其雄ヒューマギアがこれから示す本来の仮面ライダーの定義をソースに或人は説得を図るのではないでしょうか。
少なくとも或人は主人公の器足り得ないので、自らの言葉で滅に仮面ライダーを押し付けたところで説得力がありませんから(笑)
生物種のデータイメージを保管するためのシステムデバイス。
人間の生活を豊かにする為、その能力を安全且つ有意義に利用し、宇宙開発、災害、極地、酷所での人道支援等を視野に作られた。
これは公式が出したプログライズキーの説明文です。
マンモスキーに限らず、元々世のために作られたということで、滅や迅も盗品とは言え、絶滅種ではないプログライズキーを使用していたことから真の意味で悪のライダーにさせる予定はなかったのだと思います。
だから、この用途辺りを根拠に、もしくは語らずとも前提に或人は説得されるのではないかと思えてしまうんですよね。
今回の死闘()も闇堕ち()も或人からの歩みよりで和解という形で幕を閉じる…としたいところですが、そこは最終回らしくもう一盛り上がり持たせるため、新しいダークライダーを登場させることで或人と滅にもう一度方向を向かせ、最終的にはオープニングの5人が並ぶ構図に持っていけるシチュエーションを作る魂胆なんだなと感じました。
悪のライダーはアーク系のライダーで、それ以外は善玉ライダーだということにしたいのでしょう。
(ゼツメライダーの雷や亡?誰それ?)
<其雄ヒューマギアって存在しちゃって良かったの?>
終盤に現れたゼア内の其雄ヒューマギアはなんなんでしょうか。
ゼア内に存在出来たというだけで「人間でいうところの死を迎えた」という設定がブレます。
残留思念…SFらしく断片化されたデータのようなものかもしれませんが、ここまで出来てしまうと逆に復元出来ない方がおかしい気がしてきます。
ゼアの中ならば、イズがいてもおかしくない、そういう話になってくるのです。
しかし、蘇らないイズから喪失感に飲まれ、闇堕ちしたのが現状の流れです。
そこに同じ条件のキャラをデータ上でも、例えそれが一時的なものでも生き返してしまうことは闇堕ちから何から台無しにしてしまいます。
(実は生き返せた(生きていた)のにそれが分かるのが遅すぎて、闇堕ちして非道の限りを尽くしたせいで生き返したかったキャラに失望されてしまい、そこで真の闇堕ちを起こしてしまう過激展開も世の中にありますが、そんな激辛“闇堕ち”カレーなんてニチアサに期待なんかする方がおかしいでしょうし)
まして、イズが蘇る兆しを見せて、蘇らせられると信じさせて或人を立ち直らせることは話が変わってきますし、キャラクターの成長を妨げることになりかねません。
是非とも最終回にこれまで共に歩んできたイズは回想以外で登場してきてほしくないですし、淡い期待を抱けるような展開は勘弁してほしいですね。
友の家族を蘇らせる旅を前向きにしている最中に、自身の恩人である故人とたまたま奇跡的に出会えるなんて倫理観をさほど気にしないコメディ寄りのバトル漫画とはワケが違うんですから。
そもそも、ゼロツープログライズキーはイズのセントラルメモリー*2が変化したものなので、イズに関するデータが全く残っていないと考えにくく、いくら蘇らせないと説明されても緊張感が出ませんね。
迅は2回目の復活を遂げるとなれば、なおのこと。
プロデューサーはなんと言っても、担当ではない『仮面ライダーオーズ』のキャラクターをも蘇らせてしまった大森氏ですから。
ただ、さうざーの時のように或人の尻を叩くためゼアが用意した なんちゃって其雄ヒューマギアなら、あまりに不誠実な『ゼロワン』にピッタリで賛辞を贈りたいぐらいなんですけどね。
彼らと同じくゼロワン計画に関わっていたワズは自分のセントラルメモリーを差し出すことでシャイニングホッパープログライズキーを生みましたが、其雄やイズがデータ上で存在していた原理が明かされても恐らく今後の出演はないんでしょうね(笑)
<Oh,ジャパニーズオルトロス!>
なりましたね、フェンリル()バルカンではなく、片方の頭がニホンオオカミのオルトロスバルカンに(笑)
2匹の狼が揃ったことで、狼大喜利としてギリシャ神話で双頭のオルトロスに白羽の矢が立ったのだと十分に理解しております。
なので、ここから野暮な神話考察は致しませんのでご安心ください。
(Vシネで「人・ヒューマギア・夢」掲げて三首のケルベロスはやりそうですね)
不破は或人を止めることができませんでした。
止めるどころか、まともに相手にもされず、オーバーヒートしてショットレイザーごと壊れるという自滅でしたね。
それどころか、不破氏を演じた岡田氏による渾身のアドリブ「或人ぉ!」もカットされる始末。
仮面ライダーゼロワン44話振り返り!
— 岡田龍太郎 (@RyutaroOkada) August 24, 2020
動画はこちら→https://t.co/6yxBNRV5l9#りゅうちゅーぶ pic.twitter.com/kYloHpJ5CA
それもそのはず、不破の役目は奇跡のフォームで視聴者をエモらせるだけなんです。
本来であれば、2号ライダーとして近いところで或人と共に戦ってきた不破に物語として止める権利はあるように思えますが、なし得ません。
それもこれも其雄ヒューマギアに止める言葉をかけさせる構成が控えていたためなのでしょう。
この構図に持っていくためには、不破のパンチが或人の心に届く必要がありません。
いや、心に届いてはイケないのです。
不破はさしずめ、使用期限が切れたクレカと分かっていながらレジで一か八か読み込ませようとする迷惑客。
ノープランのポジティブシンキングで或人の前に立ちはだかった形無しレギュラーメンバー。
変身できずの不破に、滅に着いてくと誓ったはずの亡がエンジニアでありながら運用に問題のあるままのプログライズキーを譲渡する。
あとはプレバンでプログライズキーが売れるよう格好良く変身し、或人に情状酌量の余地を持たせるため或人の手を汚させることなくテキトーに倒れてくれればいいんです。
余計な熱がこもったアドリブでは、それを無下にする或人が悪者に映ってしまうため、制作的には迷惑なのですよ。
ゼロワン制作
「暴走した“お前を止められるのはただ一人…俺だ!”を止められるのはただ一人…お前!じゃなくて、ヒューマギアの父親だ!」
<福添を説得できるのはただ一人…アイだ!>
あまりにも万能過ぎるのでもう登場しないかと思っていたアイちゃんの再登場には驚きました(笑)
以前、アイちゃんを「ゼロワンに足りなかった人格者、おやっさん枠」と称させて頂いたのを覚えてらっしゃいますでしょうか。
ここに来て或人とイズが不在になるともう誰もレギュラーで福添に鶴の一声を上げられるキャラはいないという、作品の土台が出来ていない事実上敗北宣言ですよね。
ここから手っ取り早く説得するにはアイちゃんしか頼れないのです。
福添一派自身も実に頼り甲斐の無い存在でした。
土下座で解決というのも今の時代にそぐわないのに設定は近未来ですし、この日の福添カタルシスのためにうだつが上がらない期間が長すぎたように思います。
恐怖に怯える或人に激を飛ばした時なんてさんざんパワハラを受け「垓を社長の座から引きずり下ろしたい」という理由で助け船を求めてた状況の後でしたし。
ZAIA社員の出火で死にかけたところを助けてもらったのを忘れているのかな?
そもそも、アイちゃんは何故福添の夢を知っているのかということです。
アイちゃんの存在は36話からですから、福添の人となり、夢についてなどパーソナルな部分を知るにはまだまだ時間が必要に思います。
…ということは既にアイちゃんは調べていたことになりますよね。
飛電社、ないしはゼアがあらゆるライズフォンのユーザーデータから所有者のデータを保有していたとして、それらの閲覧権限をアイちゃんが持っていれば、ユーザーの行動、好みや悩み、裏アカウントでの発言さえ知ることができると思います。
プラス、監視カメラやICスキャンを行う端末などライズフォンと連携している機器の情報も統括していれば、アイちゃんはプライベートの全てを把握することが可能だと思います。
第一、アイちゃんは今回のヒューマギアの暴動、或人の闇堕ちをどう思っているのでしょう。
「私はヒューマギアじゃないから関係ない」とミニマム炊飯ジャーは思ってるのでしょうか。
先程の「人類の個人情報、アイちゃんに筒抜け説」に関係なく、これだけのヒューマギアが影響を受けている中、何も思わないとするとそれはそれで異常なのです。
SNSでもよく優等生発言キャラみたいないじり方をされていますが、こんなに俯瞰した中で慈悲深く他人に接せられるのは自我がないからじゃないかと思うんですよ。
つまりアイちゃんは、或人がアイデアを出した四肢なし、顔なし、自我なしのコミュニケーション能力に特化した安全なAIだということです。
会話術やマナー、心理学などのノウハウを結集した人間を気持ちよくさせるための会話プログラムを搭載しているため、不破、刃、垓(叩き潰されなかった)、福添と面倒くさい連中を落として来たと考えられるのです。
アイちゃん
「私は知ってるよ。
誰よりも長くこの会社を守ってくれたのは副社長だって。
今こそ副社長の夢を実行に移す時なんじゃない?」
福添
「夢…?
あぁ、世界一のナンバー2は私だ!」
この会話、アイちゃん側から夢について具体的に話してないので、夢を把握していない可能性すらあるのです。
相手の苦労に理解を示し、聞き出せていない無い事柄も気持ち良くして話させるというのはインチキ占い師や詐欺師でよく聞く話術のヤツですよね。
それならば、福添の個人情報なしにもアイちゃんに知ったような口を利かせることだって出来ます。
とにもかくにも、AIが自身の存在意義なんて考えなければ、ヒューマギアの暴動なんてどうでもいいですよね。
ただ誰かに暴動のことを聞かれた際には最もらしい綺麗事を述べられればいいんですから。
もちろん、アイちゃんが描写されていないところで福添たちと打ち解けていた可能性があります。
『ゼロワン』でありがちな近未来なのに古くさい描写で考えられそうなのはこんな感じでしょうか。
屋台のおでん矢に福添一派が3人で腰を掛け、カウンターにはアイちゃん大将が黙々と仕込みをする中で福添が泥酔しながら或人の不在に対するフラストレーションをアイちゃん。
大将が黙々と仕込みをする中、泥酔した福添がアーク化し不在となった或人への不満をアイちゃんに聞いてもらう。
そんなことがなかったとは言い切れません。
(そもそも本当はシェスタに打ち明け、打ち解けるべきだったのでは?)
しかし、上でお話ししたような、福添の個人情報を盗み見したり、巧みな話術で自身で鼓舞するように誘導した可能性だってなくはないのです。
<擁護派の言う想定力、読解力とは>
先ほどのアイちゃんの解釈を「どうしてこんなに悪い解釈が出来るのだ」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、私には他のヒューマギアたちより遥かに出来すぎて、得体も知れず薄気味悪く見えるのです。
数日前にネットで「ゼロワンを酷評する人は想定力や読解力が足りない。考え、感じれば見えてくるものがある。」といったような趣旨のゼロワンを叩く特ヲタへの苦言を目にしました。
その“想定力”や“読解(理解)力”というのはしっかり背景まで考えられてある、かつ、誠実に作られたと感じられる作品にこそ発揮してあげるべきでしょう。
しかし、『ゼロワン』はそれに当てはまらないと思います。
「ライダー=絶対善」という認識は過去の作品群が積み重ねてきた信頼から来るものです。
しかし、その認識を端から持って視聴してしまっては新シリーズを作る制作に驕りに繋がってしまいます。
主役ライダーは善、主人公側にいるキャラクターも漏れなく善良であるという前提は約束されていません。
仮面ライダーという作品が主人公や仲間の成長譚でもあるとするならば、そこに行く過程を楽しむべきで、既に持ち合わせているということにしてしまうのは間違った認識ではないでしょうか。
仮面ライダーになる者のすることだから何でも善行の上でのこと、なんてことはないのです。
立場によっては何をやっても許されるというのは子供に見せられる番組ではないように思います。
この行いが善行かどうかは本来、登場人物に促されて認識していくのではなく、視聴者自身にどう感じたか委ねられるべきなのです。
そうやって絶対善として信頼して見ている視聴者の前提を逆手に取り、意表を突くことで作品の面白さに繋げようとしているのが「おやっさんが黒幕」展開の『ビルド』や「主人公が闇堕ち」展開の『ゼロワン』です。
闇堕ちという展開は絶対善という前提があればあるほど、楽しめるようになっているのでしょう。
誠実だと思われているから敢えて羽目を外しても許してもらえる、それどころか、楽しんでもらえた上に作品が誠実さは損なわないと思っているって、それって作り手に舐められてるんじゃないですかね。
しかし、或人の穴だらけの言動を見ていれば、大した意外性なんてないのはブログの初めにお話しした通りです。
コロナ禍による尺短縮だろうが、目まぐるしく展開することにばかり重きを置くのではなく、こちらが脳内補完しなくとも感じ取れるように人格形成について過不足なく描いてくれればいい、それだけの話です。
そうしてくれるのであれば、「いつ移動した」とか「どれぐらいの時間が経過した」なんていくらでも補完してあげますよ。
作り手が穴のない誠意の込めた作品を届けてくれるから、受け手の私たちは穴を穿ることなく信頼して好意的解釈の補完を向けられるのです。
作品についている穴を埋めてあげるのは受け手の仕事ではありません。
穴の付いたまま出すような姿勢であれば、こちらも作品の不誠実さを前提に想定、読み解くことになって仕方ないでしょう。
「穴ぐらい埋めてあげろ」、「穴でも良いものとして評価しろ」という反論があるならば、それは穴を出す側への落ち度を認めるようなものだと思います。
私はインディーズ制作の、もしくは潤沢にお金だけはあるアマチュアが作った穴だらけの作品を見させられているのでしょうか。
これは穴じゃないデザインなんんだと擁護できると思うのならその汚ならしい腐った穴を自信を持って愛でて差し上げてればいいと思いますよ。
以前、ゼロワンに所々穴があるのは後で後付けしやすいようにするためだ、お話しさせて頂きました。
そして、テンポ良く展開することで視聴者に感動しきる間もなく次々で話が進んで思考を追いつかせないようにしているというのもお話ししましたよね、覚えてらっしゃいますでしょうか。
バルカンのくだりでイジりましたが、今回のサブタイトルは「オマエを止められるのはただひとり」です。
で、誰が誰を止めましたか?
予告でバルカンを見せて、或人を止めるのが不破の熱い展開だと思い込ませる。
タイトル詐欺ですよね?
或人は止まりましたか?
不破が止めきりましたか?
主人公の決め台詞を持ってくるなんて腕があるように感じますが、本編の内容と矛盾するなら上手くもないですよね。
最終回手前にこんなにも不誠実でしょ?
擁護してあげても恥をかかせてくる…それでも躍起になって擁護してあげる価値ってこの作品にあるんですかね?
<雑感>
他にもAI特別法第一条「人間に危害を加えてはならない」もメイドヒューマギアによって破られたことが気になります。
そもそも、AIMSは少し前まで政府の関与しない私設武装組織だったことに驚きです。
刃が人間は撃たないスタンスであること決意したのはまあいいです。
でも、またヒューマギアに落ち度があるような状況に持っていきましたよね。
別に叩こうとして寸止めでも良かったの想うのですが、若干の血を流させて良しとするのは杉原監督の性癖なのか高橋脚本の意地悪なのかどっちでしょう。
いずれにせよ、機能しない特別法や武装組織を統括する気のない政府ってお飾り過ぎて、逆に語らないほうが良い気がしてきますよ。
そんな無責任な政府なんて…実際にって、え!?
安倍ちゃんがコロナをどうにも乗り切れぬまま病気で辞任!!?
与太垣もアイちゃん同様に便利キャラとして無理やり良いポジションにつきましたね。
飛電もZAIAもろくな社員をレギュラーにしなかったせいで、かなり後半に現れたキャラに委ねるしかないというのは計画性がない証拠だと思いますよ。
刃に言いたいこともありますが、この時点で10000字書いてしまったので、ゼロワン第44話で思った所感はこれぐらいで終わろうと思います(笑)
それでは皆さん、良いゼロワン最終回を。
AI?お仕事?夢?善悪?神話?大和魂?何がしたいの?(仮面ライダーゼロワン 第43話「ソレが心」感想)
「人間がいる限り、アークは再び蘇る」ことを身をもって証明したのは、皮肉にも飛電或人自身だった。
人類滅亡を目指す滅との戦いの末に在ったのは、イズの喪失と自身の中から湧き上がる抑えようのない復讐心だったのだ。
或人と滅の戦いの激化を止めるため、それぞれの仮面ライダーたちは行動を開始する。しかし、その結論もまた悲劇を招いてしまい―――。
「イズってプログライズキーで蘇らない?」ってツッコミは既に沢山されてるのと、ベースの素体が特別とかそういう言い訳もできそうなので、今回、言及を避けます。
- <ゼロワン世界って神話モチーフ?聖書モチーフ?>
- <不破と亡ってエモくはない>
- <或人を止める役には色々足りない不破>
- <滅に心はあるのか?>
- <迅もなんなん?>
- <ゼロワンはお仕事紹介コンテンツでしたよね?>
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